赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

五能線ありきの旅(7)

2017-03-20 19:03:27 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回までのつづき)

我々のリゾートしらかみの旅は、少々名残惜しいながらも弘前駅で終了。さて弘前といえば弘前城、という理解は城ヲタだけのものなのかもしれませんが、いずれにしてもその弘前城、訪問時は石垣の修復工事に伴い天守を移動させるというプロジェクトの真っ最中ということで天守内は一切見学できない状況でした。ちなみに、「動く!」というセリフに微妙に反応するのも恐らくガンヲタだけなのでしょうね。



当日はお天気いまいちでやや肌寒い中を駅からお城まで長い距離を皆さんに歩かせてしまい幹事失格でした。お昼は市場で、とも思っていたのですが、結局郷土料理のお店菊富士さんでいただきました。こちらは修学旅行生も受け入れているようなお店のようです。写真左上に見えるのが弘前の地のものである「いがめんち」で、イカゲソを包丁で叩いて野菜などとともに小麦粉で揚げたもののようです。



弘前城に到着です。こちらは5つある櫓門のうち東門(ひがしもん)です。言わずもがなの津軽藩の居城ですが、その津軽藩は天正18年(1590年)、大浦為信(後の津軽為信)が津軽地方を統一したことに始まったようです。



為信公は時の為政者であった豊臣秀吉から津軽地方の領有を認められ4万5千石の領地を得ます。ただ、まだその時点では堀越城という城を居城にしていたようで、弘前に城が築かれたのは少々後の話ということのようです。その弘前城と言えば桜の名所ですが、訪問したのは11月下旬ということでご覧のとおりどちらかというと紅葉シーズンでした。



中濠と思われますが、お花見シーズンはいわゆる「花筏」も見られそうです。さて為信公ですが、豊臣方、特に石田光成公と近かったながらも関ヶ原の戦いには東軍として参加しその功績から幾ばくかの加増を得ています。ただ、嫡男の信建公は大阪城にいて西軍側だったようなので、それが事実とすれば真田氏と同様お家の生き残りのために「二股をかけていた」ということなのかもしれません。



東内門です。さきほどの東門もこちらも慶長16年(1611年)に津軽藩2代藩主津軽信牧の治世で建てられたものだそうです。この信牧公は為信公の三男で、父とともに関ヶ原では東軍で参加していたとのこと。長男の信建公は病死してしまったようですね。



二ノ丸にあった与力番所です。曳屋移築されたもののようです。津軽氏ですが、関ヶ原の最中に家内で反乱があり堀越城を占領されたりごたごたがあったようで、そんなこともあってか、その後現在の弘前城のある高岡の地に築城を開始。ただ本格的に築城が進んだのはやはり2代信牧公の治世だったようです。



ただ、信牧公の家督相続に当たってもお家騒動があり、最終的に幕府裁定で信牧公が跡継ぎということになったようです。こちらは石垣修理事業の能書き。字が小さくて読めませんかね。



本丸と二の丸に架かる下乗橋と思われます。オフィシャルサイトによれば、かつて二ノ丸側に「下馬札」が置かれて藩士は馬から降りるルールだったようで、それに由来するのではないかとされています。



(つづく)

3月19日(日)のつぶやき

2017-03-20 01:51:47 | Weblog

御の字

2017-03-20 00:08:20 | Urawa Reds
J-league Div.1 - 2017 season 4th sec.
G Osaka 1 v 1 Urawa @Suita Stadium, SUITA(AWAY)

中国上海でのタフなゲームから中3日で迎えた、リーグ優勝を争うであろうチームの一つガンバ大阪さんとの対戦。個人的には初めてのDAZNさんでのJリーグ観戦となりました。浦和は柏木がスタメンに復帰してシャドーに入りましたが、いつもの1トップ2シャドーではなく興梠とラファの2トップに柏木がトップ下みたいな布陣。G大阪さんはGK東口選手が負傷のため藤ヶ谷選手がスタメン。今年から導入した3バックのシステムのバックラインは左から金正也、ファビオ、三浦の各選手という、3人中2名が横浜FMから移籍してきたばかりというDF陣。そのバックラインの前にMF遠藤選手が陣取りピルロのような役割を務め、セントラルハーフ的に寺田と今野の各選手を配置。そして右WBに若手の初瀬選手、左WBに韓国籍のオ・ジェソク選手で、アデミウソン、長澤の両選手による2トップという布陣。

DAZN解説の福田さんも指摘していましたが、浦和のトップ下に柏木を配置したのはガンバ遠藤対策もあったのだと思います。実際この試合で浦和は同選手にほとんど仕事らしい仕事をさせず「消す」ことには概ね成功していたと思います。その柏木ですが、上海では後半頭から投入されるもあまり試合に入れていないようにも見えましたが、この試合を見る限り復調気味のようで心強い限り。しかし柏木を前線に「追い出した」形になる青木も大したものです。さてさて試合ですが、ゴリゴリ来るG大阪さんの2人のインサイドハーフ(4/1訂正)のところからボールを奪われてカウンターを浴びるような場面もありましたが、これも浦和としてはうまくマネージできていたように見えました。アデミウソン選手がイライラしている場面も少なからずありましたしね。

浦和は5-3-2的なG大阪の布陣に対しても臆することなくボールを回し、相手のプレッシャーにも慌てることなくいなしてしっかりとゲームを支配できていたように思います。序盤から再三再四決定機を演出しますが、ミスショットあり、シュートがバーやポストを叩く場面も多く、いわゆる「決めきれない」という意味でいやーな展開が続きました。そのイヤな予感は当たってしまい、後半に入って57分に倉田選手のにわかのドリブル突進を阻止できず中央に侵入を許し、左サイドのオ選手のクロスに飛び込んできた今野選手に槙野が競り負けて頭で押し込まれて先制を許してしまいます。浦和はブレずに浦和のサッカーを続けていきますが、なかなかゴールを割ることができません。

こうしてじりじりと時間が過ぎて行きましたが、70分過ぎにG大阪GKの藤ヶ谷選手が痛んでリーグ初出場となる田尻選手にスイッチ。緊迫する場面での初出場ながら割とそつなく役割を果たしていた同選手でしたが、とはいえ微妙にゲームに影響を与えたのかもしれません。そして浦和の猛攻は続きますが、武藤の宇宙開発などそれでもなおゴールをこじ開けることはできず。しかしATに浦和のシュートがG大阪寺田選手の手に当たりPK判定。これをラファが落ち着いて決めてようやくタイに持ち込み、試合はそのままドローで終了。内容的には浦和は勝たなければならない試合、決めるべき時に決めずに足元を掬われそうになるいつもパターンだったとも言えますが、優勝争いのライバル相手にゲームを終始支配し、リードは許すも何とか引き分けに持ち込むことが出来たという意味でポジティブに捉えたいと思っています。

追伸;DAZNさんですが、画像はWOWOWのドラマみたいな感じで動きがやや粗いようにも感じましたが、それでも我が家では途中止まることもなくまずまず快適に見られました。適宜の改善含め今後ともよろしくお願いします。

J1第4節 G大阪1×1浦和@吹田