赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

8月26日(土)のつぶやき

2017-08-27 02:49:40 | Weblog

【本】「昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹・著)

2017-08-27 00:21:50 | エンタメ・書籍所感
作家であり元東京都知事でもある猪瀬直樹さんの著作で既に巷ではかなり有名な小説ですが、まさに我が国政府が先の対英米蘭の「負け戦」に臨むことを決断しようという中で、開戦決定の前年に「日米戦争日本必敗」をかなり正確にシミュレートしていた国家機関が存在した、という事実に焦点を当てています。そしてそのシミュレーションについて、当時の関係者に対する丹念な取材をベースにした具体的内容を、同じ頃に進んでいた近衛文麿、東条英機両内閣の下での実際の日米開戦の最終決定までのプロセスと同時並行的に描くことで、ファクトベースのシミュレーションと実際の国家としての政策決定という両者の間のコントラストを強調しています。

その「コントラスト」とは何かと言えば、まず上記「国家機関」とは戦前の1940年に内閣総理大臣直下に設置された「総力戦研究所」のことであり、各省、陸海軍、そして民間大企業の30代の若手エリートを「研究生」として選抜して集めた研究機関で、文字どおり「総力戦運営の中枢人物」たるエリート養成を目的にしていました。ここでいう国家の「総力戦」と言うのは、戦争にあたって「武力戦」にとどまらず、「経済戦」「思想戦」まで含めた概念で、「他の国家との戦争に当り、または戦争を予想し、これらを屈服しあるいはその敵性を放棄せしむる事、換言すれば国防の為の高度の国家活動」と規定されています。

この総力戦研究所は英国やフランスの「国防大学」をモデルに勅令(現在の政令)により設置され華々しくスタートしました。しかし、走り出したはいいものの、実際にそのエリート研究生たちに提供するコンテンツには苦慮したようです。結果1期生に対しては、現実の我が国の置かれた状況とその推移をふまえた「机上演習」を行い、国策を検討し、総力戦方略を算定し、情勢判断を行い、そして対英米開戦準備の万全を期す、そうしたことが課題として与えられました。そしてこの演習にあたり研究員で構成される「模擬内閣」を組織し、各自が親元から取り寄せたデータやファクトをベースに「閣議」で議論を行う。

そしてそれを元に「統帥部」と協議しながら具体的な国策を分析・検討していくというスタイルを取っていました。というのも、この頃の大日本帝国政府の意思決定は「大本営・政府連絡会議」で行われていました。同会議は議長である内閣総理大臣、そして政府から外務、大蔵、陸軍、海軍の各大臣と企画院総裁、統帥部(軍部)からは陸軍参謀総長と海軍軍令部総長等をメンバーとし、内閣書記官長(現官房長官)と陸軍、海軍両省の軍務局長が幹事として出席していたものだそうです。総力戦研究所の演習でのそれに沿った形で、研究員の模擬内閣に対し、主に軍人で構成されていた研究所員(スタッフ)側が統帥部役を演じる形で演習を進めていたようです。

そしてこの模擬内閣が客観的なデータやファクトをもとに開戦決定の前に断じた結論が「対米戦争日本必敗」であり、米国に供給を止められたことを受けて石確保のためにインドネシア(南部仏印)に侵攻するも、肝心の石油を積んだタンカーが悉く米国側に沈められシーレーン(輸送路)が確保できず、結果として戦争遂行のためのエネルギーを確保できなかった点をはじめ、敗戦までの成り行き含めて相当正確な予想がなされていまいた。更に驚くべきことに、この模擬内閣の結論は実際の内閣はじめ時の最高責任者たちにも報告・共有され、実際当時陸軍大臣だった東条英機もそれなりに関心を寄せていたものの、結局一顧だにされなかったということです。

これに対して実際の大日本帝国政府の意思決定はどうであったかというと、総力戦研究所のファクトベースの議論とは全く対照的で、勿論先述の石油供給を含めたデータも議論の材料として提示はされたものの、その実、関東軍の独走による対中侵攻といった既成事実や、そして既得権益を捨ててまで「戦争回避」という選択肢は取れない、そして今思えば頭が痛くなるのは大真面目に「我が国には大和魂がある」といった精神論までその勝機ありとする根拠として飛び出す有様でした。そうした空気の中で本来は客観的であるべき石油供給のデータも「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということをみなが納得し合うために数字を並べたようなものだった」ようで、結論ありきの中でも開戦決定だったようです。

この時代に生きこの様子を見ていた研究員たちは元々エリートですから、戦後の混乱に翻弄されながらも立身出世を果たしていく者がやはり多かったものの、誰ひとり政治家にならなかったというのが印象的でした。ただ、「政治は妥協の産物」と言うのはよく言われることで、民主主義体制における政治や行政では純粋ファクトベースで検討され、決定される政策などというものはほとんどなく、それこそ「机上」のものだとは思います。ただ、それでも当時の政府が、「対米開戦」というこの国の行く末を大きく左右することが明明白白な重要事項と対峙した際、余りに「空気」に支配され、結論ありきで下した決定が、結果として300万人という大きな犠牲者を出し、その他戦後の我が国に諸々の大きな負の遺産を残し現在に至るまで我が国がその十字架を背負い続けていることは重い事実として受け止め、しっかりと後世に引き継いでいく必要がありそうです。