赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

紀伊街道の要衝(1)

2009-10-10 00:49:09 | ぶらりアウェイの旅
夏場の連敗地獄にどっぷり浸かっていたアウェイ神戸戦、当日は新大阪駅で師匠に迎えてもらい昼飯にらーめんを食った後なぜか南海電車に乗り込み南下、向かった先は岸和田。

大阪で南に向かうということはまあそういうことなわけで、個人的にも「岸和田」というと「だんじり」とか「清原」とか「愚連隊」とか実に荒っぽいキーワードしか浮かんでこなかった(ごめんなさい)。



しかしながら、実際に歩いてみた岸和田の街並みはなかなか美しく歴史の香りを感じさせるもので正直意外(といっては失礼だったか)。写真は住宅街に佇む「だんじり」の格納庫かと思われる。



毎年秋に行われる「岸和田だんじり祭り」では、テレビの映像などでよく知られるように、だんじり(山車のようなもの?)を街中でハイスピードで曳き回し、急転回させるのがある種の見せ場。それゆえか、このように街の至るところには破損対策の緩衝材として紅白の飾りつけが施されていた。



そんなこんなで駅からとぼとぼ歩いていき、市役所や消防署を過ぎると大ぶりな石垣が忽然と姿を現す。ちなみに街並みを眺めながら歩きたかったので、駅からの道のりは少々遠回りをしております。



石垣沿いに歩を進め回り込むとやがて天守の姿が。それにしても街のそこかしこに歴史が溢れていて散策していて飽きない。



本丸へ続く櫓門を抜けると眼前にデカい釜が登場してちょっとびっくり。この釜は酒造用の大釜らしいのだが、何でまたこんなところに飾ってあるのかよくわからん。



岸和田城はもともと1300年代に楠木正成一族の和田高家が現在とは別の場所に築いたといわれている。当時この地は「岸」と呼ばれており、「岸の和田」転じて「岸和田」と呼ばれるようになったとかならなかったとか。



(つづく)