赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

100%周防かもね(2)

2009-10-07 07:39:31 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

とりあえず喰うもんだけ喰って、山城である岩国城に向けてロープウェイに乗り込む。20~30分おきに往復しているようだったが、週末でそれなりに観光客が訪れていたためそれなりに手狭でありつつも、あっという間に山上に辿り着く。



山上に着くなり早速お城に向かって歩き出す。獣道?を行く険しいコースと、舗装された坂道をひたすら登る2つのコースがあった。舗装された路を進むと眼前に突如現れた石垣、天守台っぽいがしかし建物らしいものもなく。よくよく解説を読んでみると、元々天守はここにあったのだそう。え、じゃあ復元天守は別の位置に建てられてるのかよ、ってなことでいきなりちょっと萎える。



で、こちらがその復元天守。昭和37年に再建されたもので、「桃山南蛮風」というらしいのだが、実にユニークなスタイル。錦帯橋から望むことができるように敢えて天守台と異なる場所に再建されたという話で、益々何だかなあという感じ。天守内の展示は刀剣が充実しており、どうも最近刀剣に目覚めたらしい連れがガン見。



頂上からの眺め。遠くに瀬戸内海も望むことが出来てなかなかの絶景ではある。それにしても錦帯橋といい岩国城といい、若いカップル(死語か)の姿が思いの外多くてちょっとびっくり。個人的にはデートで城ってのは有り得ないオプションなんだが、よっぽど他に行くところがねーのかな・・・。



岩国城について少々。関が原の後に大減封された毛利家、その一族であり同家存続のため奔走した吉川広家が毛利家家臣として1601年に米子よりこの地に赴任、築城したのが岩国城。しかし7年かけてせっかく築いたところで折悪しく江戸幕府による一国一城令が下り、敢えなく廃城の憂き目にあった城らしい。



ロープウェイと城との間になにやら曰くありげ「大釣井」という井戸跡があった。岩国城のような山城では篭城に備えての蓄えの一環として井戸を設けていたという話はどこかで聞いたことがある。ちなみに山城は防御に優れ戦略的であるため、安定期だった江戸期に入ってからその山城が築城されたという意味で岩国城は珍しい例らしい。



帰りのロープウェイは行列でポールポジションを取ってしまったので大人気なくアリーナ席を確保。蛇行する錦川はもちろん、錦帯橋もわずかながら見える。そんなこんなでようやく山を降りる。



ややくだびれてしまい、帰りの飛行機まで時間もあったので錦帯橋そばのレストランで茶をしばきつつ一服。ほどなく目の前の錦川で鵜飼のパフォーマンスが始まって賑々しい様子だった。飛行機のチケットの控えをなくして焦ったのはご愛嬌w



(広島編・了)