前回のつづき
翌日、遅くまで試合の録画中継を観ていたせいでかなりしんどかったが、何とか頑張って朝8時には起床。ホテルから一人で散歩に向かい、途中またコンビニの前のスペースでコーヒーで一服しつつ、ホテルから歩いていける距離にあった「ケクサ」(客舎)へ。李氏朝鮮時代にお客さんを迎えて様々な儀式を行っていた場所で、一部が現存しているらしい。
韓国で見た寺社仏閣などの歴史的建造物は、この後に向かうキョンジュ(慶州)などでもこの手の「極彩色」が多かった。このケクサはいまでは市民の待ち合わせ場所や憩いの場として使われているとのことだったが、確かに朝っぱらからこんなところで読書に勤しむおっさんとお姉さんがいた。ホテルに帰る道すがらでは、うぃあーさんと思しき方々を2組ほど目撃。当日はほとんどの人が試合終了後そのままバスでソウルに帰ってしまったなか、チョンジュ宿泊組はかなり珍しい方に入るのだろうな・・・。
実はこのチョンジュで韓国人の友人と会う予定だったが、ドタキャンを喰らう。ここまでトラブル続きでもはや小慣れていたのでさしてショックにも思わず、また浦和の勝利でかなりご機嫌だったこともあり、それならばということで、サッカーでもなければ死ぬまで訪れることのなかったであろうチョンジュの町を少しばかり観光をすることにする。てか、チョンボクのラフプレーを思えば正直2度と対戦したかないが・・・、まあそういうわけにもいかないのかな。
とりあえずホテルをチェックアウト。宿泊したチョンジュクワングワンホテル(全州観光ホテル)は某サイト経由で予約、一泊7,700円だった。繁華街に近いところにあるので決して静かではないが、値段相応で悪くないホテルだと思う。ちなみにここにも時計もアラームもなかったw
チョンジュは遡れば百済の都で、李氏朝鮮を築いたイ・ソンゲ(李成桂)の祖先の生地とか。60万都市らしいが、街並みは実にこじんまりとしていていかにも地方都市といった趣。ちなみに心底どうでもいいけどユンソナの出身地らしい。
地図を頼りにとりあえずプンナムン(豊南門、上の写真)へ徒歩で向かう。豊南門は、全州府城にあった東西南北の4つの門のうち、唯一現存している南門とのことで、ソウルの南大門と同じ形をしているらしいが、規模はかなり小さい。写真ではちょっと見難いが「湖南第一城」の「湖南」とはチョルラプクド(全羅北道)の別名らしい。
そしてそのままキョンギジョン(慶基殿)へ。こちらはイソンゲをはじめとした朝鮮王朝歴代の王様の肖像が奉納されている建物で、1410年に建立されたもの。ここでも建物は極彩色で彩られていた。チョンボクの名所旧跡は全体的に地味な感じが否めないが、薀蓄を読みながらぷらぷらするのはなかなか悪くない。こんなところでもところどころ日本語の解説もついているものもあったわけだが。
ここらでチョンジュ中心部のみどころはほぼ網羅したと判断し、半島の東端の方にあるキョンジュに向かうことに。路線図を見た限り鉄道だと乗換が多くて面倒そうだったので、ここは敢えてバスで移動することに。タクシーを拾って「コソクポストミナルカジ」(「高速バスターミナルまで」と言ったつもり)と告げる。すると運ちゃんにバスの行き先を聞かれたので、「キョンジュ」と応えると「それなら市外バスターミナルだよ」とアドバイスしてくれて、そっちへ向かう。この親切な運ちゃん、こっちが彼の韓国語をほとんど理解できなくても粘り強く話しかけてきてくれて、それはそれは正直やや疲れたが、まあ悪い気はしない。「チュッキュ(蹴球)でチョンジュに来た」といったら「ソンス?」(選手?)と言われて苦笑い。選手がバックパッカーやってるわけねーだろっつーの。こっちが「いやいや応援だ」と言ったら今度は運ちゃんが苦笑い。
(まだまだつづく)
翌日、遅くまで試合の録画中継を観ていたせいでかなりしんどかったが、何とか頑張って朝8時には起床。ホテルから一人で散歩に向かい、途中またコンビニの前のスペースでコーヒーで一服しつつ、ホテルから歩いていける距離にあった「ケクサ」(客舎)へ。李氏朝鮮時代にお客さんを迎えて様々な儀式を行っていた場所で、一部が現存しているらしい。
韓国で見た寺社仏閣などの歴史的建造物は、この後に向かうキョンジュ(慶州)などでもこの手の「極彩色」が多かった。このケクサはいまでは市民の待ち合わせ場所や憩いの場として使われているとのことだったが、確かに朝っぱらからこんなところで読書に勤しむおっさんとお姉さんがいた。ホテルに帰る道すがらでは、うぃあーさんと思しき方々を2組ほど目撃。当日はほとんどの人が試合終了後そのままバスでソウルに帰ってしまったなか、チョンジュ宿泊組はかなり珍しい方に入るのだろうな・・・。
実はこのチョンジュで韓国人の友人と会う予定だったが、ドタキャンを喰らう。ここまでトラブル続きでもはや小慣れていたのでさしてショックにも思わず、また浦和の勝利でかなりご機嫌だったこともあり、それならばということで、サッカーでもなければ死ぬまで訪れることのなかったであろうチョンジュの町を少しばかり観光をすることにする。てか、チョンボクのラフプレーを思えば正直2度と対戦したかないが・・・、まあそういうわけにもいかないのかな。
とりあえずホテルをチェックアウト。宿泊したチョンジュクワングワンホテル(全州観光ホテル)は某サイト経由で予約、一泊7,700円だった。繁華街に近いところにあるので決して静かではないが、値段相応で悪くないホテルだと思う。ちなみにここにも時計もアラームもなかったw
チョンジュは遡れば百済の都で、李氏朝鮮を築いたイ・ソンゲ(李成桂)の祖先の生地とか。60万都市らしいが、街並みは実にこじんまりとしていていかにも地方都市といった趣。ちなみに心底どうでもいいけどユンソナの出身地らしい。
地図を頼りにとりあえずプンナムン(豊南門、上の写真)へ徒歩で向かう。豊南門は、全州府城にあった東西南北の4つの門のうち、唯一現存している南門とのことで、ソウルの南大門と同じ形をしているらしいが、規模はかなり小さい。写真ではちょっと見難いが「湖南第一城」の「湖南」とはチョルラプクド(全羅北道)の別名らしい。
そしてそのままキョンギジョン(慶基殿)へ。こちらはイソンゲをはじめとした朝鮮王朝歴代の王様の肖像が奉納されている建物で、1410年に建立されたもの。ここでも建物は極彩色で彩られていた。チョンボクの名所旧跡は全体的に地味な感じが否めないが、薀蓄を読みながらぷらぷらするのはなかなか悪くない。こんなところでもところどころ日本語の解説もついているものもあったわけだが。
ここらでチョンジュ中心部のみどころはほぼ網羅したと判断し、半島の東端の方にあるキョンジュに向かうことに。路線図を見た限り鉄道だと乗換が多くて面倒そうだったので、ここは敢えてバスで移動することに。タクシーを拾って「コソクポストミナルカジ」(「高速バスターミナルまで」と言ったつもり)と告げる。すると運ちゃんにバスの行き先を聞かれたので、「キョンジュ」と応えると「それなら市外バスターミナルだよ」とアドバイスしてくれて、そっちへ向かう。この親切な運ちゃん、こっちが彼の韓国語をほとんど理解できなくても粘り強く話しかけてきてくれて、それはそれは正直やや疲れたが、まあ悪い気はしない。「チュッキュ(蹴球)でチョンジュに来た」といったら「ソンス?」(選手?)と言われて苦笑い。選手がバックパッカーやってるわけねーだろっつーの。こっちが「いやいや応援だ」と言ったら今度は運ちゃんが苦笑い。
(まだまだつづく)