ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

レ・ミゼラブル2000回記念バージョン

2005年05月30日 | ミュージカル・演劇
一昨日観てきました。
ほんの2週間前にも一度普通バージョン?を観ているのですが、なんと言うか、久々にホンモノのレミゼを観たな~、という気がしました(大汗)
アンサンブルは変わってないんですけど・・・(いや私が見た回とは違う人たちでしたが)メインが違うだけでこんなに変わってくるものなんでしょうか。「一日の終わりに」で背筋がゾクゾクしたのなんて本当に久しぶりです。
メインキャストですが、まずは今井さん。実はまだ2回目だったのですが、以前始まったばかりの頃に見たときよりは随分良くなってたなあと思いました。以前は「なんだか偉そうなバルジャン・・・」という印象だったのですが(汗)今回はちゃんと今井さんらしい迷いや揺らぎ、優しさも感じられました。
でも、なんだか山口バルジャンの方が好きなんだよなあ・・・他の役はエキセントリックなのに、なんでバルジャンはあんなにオーソドックスな解釈なんでしょうか(笑)
今井さんの歌は完璧だし、最後の方は本当に泣いてましたが、私としてはまだまだなバルジャンでした。
特に、「彼を帰して」では、朗々と歌い上げちゃだめだよ~。山口バルジャンは綺麗に歌うことよりもマリウスのことしか考えてなかったぞ、と思ってしまいました。まあ、まだまだバルジャンやるでしょうから、今後に期待です。
鹿賀丈史さんのジャベールは、意外にもと言ったら失礼ですが(汗)今やってるジャベールさんたちの中では良いほうでした。やっぱりまだまだ皆さんジャベールやるには若いですね。
個人的には、2000回記念なんだから、今井さんか村井国夫さんのジャベールが良かったんですが・・・(汗)
ファンティーヌの岩崎宏美さんは、やっぱりいいですね~。他の返り咲きキャストはやっばりこれで最後かな、と思いましたが、岩崎宏美さんにはまだまだやって欲しい! 正直、あのレベルのファンティーヌを見ることは今後当分は難しそうに思います・・・
ああ、岩崎宏美さんとほのかさん、「ファンティーヌはどっちでもいいや」なんて言っていられた頃が懐かしい・・・(涙)今は「誰でもダメ」ですから・・・(マルシア見てないけど(汗))
高橋由美子さんとか基本的には好きなんですが、ファンティーヌとしては全然前のお二人のレベルには行ってませんでした。
しかし、岩崎宏美さんで見てもやっぱりファンティーヌの病床のシーンのカットはひどすぎました。100歩譲って他のシーンはいいとしても、あそこだけは削るべきじゃなかったと思う・・・
島田歌穂さんのエポニーヌは、本当にもう職人芸の域で(笑)素晴らしかったです。
でも、思い切って世代交代は必要だな、と思いました。歌穂さんとダブルでやったら誰だってかすんでしまうと思うから・・・(その意味では本田美奈子さんはすごかったなあと思います)
石川禅さんのマリウスも、さすがに年齢オーバーだなーと思いましたが(汗)記念バージョンだからいいでしょう(笑)マリウスに関しては、若い人も結構いいので、無理に禅さんでなくてもいいと思いました。
でも、なんだかすっかり大人なマリウスになっていたのが面白かったというか感慨深かったというか。ガヴローシュが死んだ後、昔は「砦の者よ良く聞け~」のところで叫んでいたりしましたが、今回は静かな決意を見せた表情だったのが印象的でした。
コゼットは・・・(汗)ん~、やっぱり演技力は大切だなと思いました(笑)
斉藤晴彦さんのテナルディエは、とにかく懐かしかったですね~! 正直、もっと歌える人がいいなあと思っていたこともありましたが(汗)久々に見て、やっぱり年季を感じました。ある意味職人芸というか。記念バージョンにふさわしい出演だったと思います。
岡幸二郎さんは声の調子がちょっと悪かったようですが、それにしても標準よりはるかに上手かった(笑)
ちょっと今小鈴アンジョルラスにハマっているので、そんなに「おおっ」と感動することもなかったのですが(汗)マリウスの「死んでもいいさ」を聞いてショックを受けた後姿はすばらしかったです。久々にあの場面で泣けました。あれは岡アンジョルラスの一番好きな場面ですね。
その後、弾を取りに行くというバルジャンを止めようとする姿からも、「誰も死なせたくない」という思いが伝わってきました。なのにガヴローシュが死んでどれだけショックだったか・・・とか色々考えて泣けてしまいましたね。
最後、ファンティーヌとエポニーヌが出てきたら、顔見ただけで泣けました。最近のキャストではそういうことなかったので・・・やっぱり前は良かったなあ、と思ってしまいました。先のことを考えたらそれではいけないんですけど・・・

このところ今ひとつ感動できない理由はキャストなのか短縮バージョンなのか、記念バージョンでわかるかな、と思ったのですが、結論。両方とも理由です(汗)
キャストの差はかなりあったのですが、短縮バージョンなこともやはり感動を減じるのには一役かってました(汗)
もうひとつ感じるのは、短縮バージョンだとアンサンブルの見せ場がなくなっちゃってるんですよね。短縮バージョンしか経験していないアンサンブルの人たちが、以前と同じだけの思いを持てるかというと、やっぱり難しいんじゃないかと思うんですよね・・・
今後を考えると不安な短縮バージョン。なんとか考え直して元に戻してくれるといいのですが。
そもそもブロードウェイでの人件費削減のために始まったらしい短縮バージョン、なんで全世界が右に倣えしなければならなかったのか、不思議です。日本だけでもいいから元に戻してくれないかなあ・・・

そうそう、12月の大阪のチラシができてました。やっぱり田中利花さんがテナルディエ夫人でした♪
多分来年また帝劇でやるでしょうから、その時に見られるのを楽しみにしていたいと思います! 駒田一さんとペアで見たいなあ。
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「指輪物語」の中の「神」

2005年05月30日 | 指輪物語&トールキン
前回書いた「われらが祖父トールキン」の中のマイクル・スワンウィック氏のエッセイの中に書かれていた内容で、「何かもうひとつ大事なことがあったような・・・」と思っていたのですが、後で思い出しました。トールキンの「神」の描き方についてです。
スワンウィック氏は、トールキンはC.S.ルイスが「ナルニア」で書いたような、神の存在について説得するような調子で書くのではなく、あくまでも自分が思ったとおりの世界観を描いただけだ、と書いていて、それが常々私が感じていたことと同じだったので、またまた「そうそう!」と思ってしまったのでした。
スワンウィック氏も書いていますが、ガンダルフの言葉の「この世には指輪を作った力とは別の力が働いている」と言う言葉の、「別の力」が神を表しているのでしょう。
神の存在(らしきもの)が言及されるのはここだけですが、作品中にはこの「別の力」を感じさせる場面がいくつかあります。
特に、モルドールでのフロドとサムの場面に強く感じます。それも、フロドが茫然自失して行き、サムがほとんど一人で頑張らなければならなくなった以降に最も感じるように思います。二人は「なにものか」に見守られているように感じるのですよね。
サムがフロドを助けることができたオークの塔の場面は、偶然が重なる幸運がありますが、それもまたサムが「なにものか」に助けられているように感じます。
絶望したサムの口からなぜか西の国を歌う希望に満ちた歌が出てくること。エアレンディルの光を見て安らぎに満たされてゆっくり眠れたこと。「水と光が欲しい」とガラドリエルに願ったら水も光も与えられたこと。
最後に指輪がゴクリによって葬られたこともまた「別の力」の働きによるものと言えるかもしれません。
「指輪物語」の良いなあと思うところは、この「別の力」を、トールキン自身は「神」として書いたかもしれませんが、けっして押し付けがましくなく、神の偉大さを表現する方法として書いたのでもない、というところです。
実際、「別の力」は、神ではなく単なる「運命」とか、その他のものに解釈することが可能です。私自身、トールキンが熱心なカトリックだと知る前はそういう風に解釈していました。
もし、ここで「神」の存在がはっきりとわかるような書き方、「神」としか解釈できなうような書き方だったら・・・非キリスト教徒なばかりか無宗教な私はかなりひいていたと思います(汗)私が「ナルニア」の一部の表現に拒絶反応を示したように・・・
けれど、「指輪物語」での「別の力」の描かれ方は、それが神を表すものかもしれないと悟った後でも、決して非キリスト教徒の私にも不快な気持ちは起こさせませんでした。
普通は決して人間の世界に介入してくることはない、けれどもどこかで見守っている。そんな「神」ならいても悪くないな、そんな風にすら思えました。
これって、「北風と太陽」ではないけれど(笑)神の存在を声高に説くルイスよりも、他人に押し付けようとはせずに、見えるか見えないか程度にその存在を書いたトールキンの方が異教徒に対して効果的に神の存在を伝えられている、ということになるような気がするのですが。
私は、「別の力」が神であろうが運命であろうが、ゴクリによる指輪棄却につながるその「力」のはたらきには感動したし、とても美しいと思いました。
けれど、指輪が棄てられるのがただ「運命」という偶然によるのでは説得力がない、と感じる人もいるようで、そういう人が、映画でフロドがゴクリに襲い掛かる、という展開を作ったわけですが・・・(汗)
やはり人によって読み取り方は様々なのだな、と思ったりします。
それでも、中にはやはり自分と同じような読み取り方をする人がいるのだな、と、スワンウィック氏のエッセイはそういう意味でもとても嬉しかったですね。
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