ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

原作読書:一行の離散

2005年05月13日 | 指輪物語&トールキン
ゆっくりと旅の仲間たちとの旅を続けた後、ついに「旅の仲間」のクライマックス、一行の離散を読みました。
ずっと仲間たちと旅を続けていたいような気分でしたが、やはり「一行の離散」は感動しますね。
原作ならではでとても好きなのが、ボロミアとフロドの会話です。特にフロドが、既に正気を失っているはずのボロミアに「ボロミアよ、私は怖いのです」と率直な言葉を吐いてしまうのが、とても悲しいです。
それを思うと、映画ではこの「怖いのです」という台詞をガラドリエルに対して言っていて、ガラドリエルが「最も小さな者が世界の運命を変えるのです」とフロドを励ましたというのは、かなり救われる展開ですね。映画のこのシーンも好きです。
「指輪物語」のすごいと思うところは、主人公が「怖い」と言ってしまうことですね。フロドだけでなく、メリーも恐怖の中から勇気を出して魔王を刺しますが。
そもそも主人公が英雄でもない、力も魔法もないホビットだということが、私が「指輪物語」にまず惹かれた部分でした。
映画の「弱いフロド」は、おそらくそういうあたりを拡大解釈したものではないかなあと思うのですが、その後のフロドの変化と成長を捉えていなかったのが失敗だったのではないかなあと思います。私もそういう読み方していたのでなんとなくわかるような気が(汗)
話が原作に戻りますが、そのフロドの恐怖を、ただ一人サムだけが正しく理解していたのがまたじーんとしますね。
指輪を棄てる使命の本当の重さも、おそらくこの時点のサムにはわかっていませんが、ただただフロドのことだけを考えていたサムによってフロドは心身ともに救われるし、最終的には指輪を棄てることもできたのですよね。
原作初読時にはもちろんそんな結末は知りませんでしたが、それでも単純にサムの一途さがフロドの心を明るくしたということが嬉しかったですね。
そしてボロミアですが、ボロミアに関しては、原作ではさらっと読んでしまったら「悪人」と誤解されやすいので、映画はかなりいいなあ、と思います。(いや映画でもやっぱり「悪い奴」と思う人は結構多いみたいですが(汗))
原作では、アラゴルンの「せめてメリーとピピンを守ってやってくれ」という言葉を忠実に守り、斃れたというのがまた泣かせます。映画では自発的にやったのですが、「つぐないのため」というのは同じかなあと。
後でガンダルフと再会した時、ボロミアがメリーとピピンを守るために死んだことで「救われた」とガンダルフが言っていたのにはハッとしたものです。「彼のためだけにでもあの若いホビットたちが一緒に来て良かった」という言葉にも。
原作ではボロミアの最期はあっさりしていますが、最期にかすかに微笑んで死んでいくのがいいなあと。
でもここはやはり映画の方が泣かせますね。映像の強みだなあとFotR公開当時は思ってましたが、その後「原作よりも映画の方が泣かせる」という場面はほとんどなくなってしまったことを考えると、かなり秀逸な場面だったと言っていいと思います。
映画のイメージに原作が侵食されることには抵抗してますが(汗)それでも映画のおかげで原作でもボロミアの最期の微笑みが明確にイメージできるようになって、感動が増したように思います。
その後のボロミアを舟で流すところは、原作が好きですねえ。映画も映像として綺麗ですけど。
地の文の「大河はゴンドールの息子ボロミアを受け取ったのです」なんて言葉、映画じゃ表現できませんもんね。
舟で亡骸を流すなんて美しいイメージだな、と思いましたが、これはアーサー王伝説のパクリもとい(汗)オマージュのようですね。
それにしても、ギムリがアラゴルンからボロミアのいまわの際の言葉を聞いて、「ホビットたちですと!」と熱くなっているのが嬉しい、ホビットに優しい人好きな私でした(笑)旅している間もフロドをケレド・ザラムに引っ張って行ったりとかありましたが、本格的にギムリのホビット心配性?が出てきたのはここからだったのですね~(笑)
というわけでついに離散してしまったのですが、旅の仲間が離散してしまった後も、あんな話やこんな話が出て来るんだよな、と思ったらまた別の楽しみが(笑)
まだしばらく楽しみながらゆるゆる読んで行きたいと思います。
コメント
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