きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

2大政党としての与党と野党

2009-10-03 12:07:39 | Weblog
2大政党としての与党と野党 (2009.10.03)

政権交代によって、今までの野党民主党が政権に付き与党となり、与党を半世紀以上も続けていた自民党政権は政権を民主党に明け渡し野党になったのである。
野党になった自民党にしてみれば、何が理由で政権交代が起こったのか、何が理由で、国民の審判が民主党に変わったのか、良く反省し、その反省点の一つ一つが、国民の意思を新しい政権の期待に結びつけた結果であると言う認識が必要ではないでしょうか。

そして、再起を誓って出直しを図るべく、総裁選挙をおこなったが、立候補した総裁候補者が前回は「俺が!俺が!」と5人ぐらいいたが、今回は敗戦のショックからか、手を上げる人が誰もいなく、意を決した谷垣氏が「私が捨石になる覚悟で遣りましょう」と言う事で、出馬を決意し、党の若返りを主張する、若手の候補者を抑えて総裁になったのである。
自民党と言う政党は、戦後わが国の再建を担って、主導してきた歴史的にも名誉ある政党で、今の民主党代表はじめ幹部の殆どが元自民党と共にして、国家の政権を担った経験を持った人たちがたくさんいる。

其れが、長い歴史の間に現在、与党と野党という立場に別れてしまっている事は何を物語っているのであろうか。その原因の多くは、「長すぎた政権与党」「時代の流れが地方主権の政治形態に変化を求めてきた」事等が上げられ、自民党はそれに対応した党内改革が行われなかったからである。

今回、新政権は、まだ発足1ヶ月足らずであるが、政権交代早々やらねばならない色んな問題が次ぎ次ぎと出てきた、「ダム工事問題」「公務員の天下り中止問題」「予算の見直し問題」「無駄な財源の捻出問題」等々である。
今まで自民党が遣って来た流れの中で、その流れを変えると言うことは、流れに刺激を与える事になるから、それに付随した混乱は当然起こるのは当たり前の事である。

今回の選挙の結果は、現状にマッチした政治の形態に変更する事であり、国民が選択した政権交代の主眼であります。
八っ場ダム問題にしても、当初の計画の中では、利根川下流の治水・利水の問題から建設の必要性が企画された事で、地域の住民に合意を得るまでの事には大変な苦労があった事と思う。

しかしその後の状況変化の中で、ダムの必要性がなくなった事から、工事を進めること自体が無意味になった事なので、本来なればその時点で直ちに工事を見直し中止するべきなのが、其れを放置しズルズル今日まで延ばしてきた事は、行政の怠慢で、無駄な工事費を垂れ流してきたと言う事に他なりません。

公共工事は、一旦決めたら、必要が無くても最後まで、遣ると言う悪習慣が今日まで続いてきた、自民党内に、公共工事利権に係わる、族議員の存在が居たからである。
谷垣氏は自民党の新総裁として、八っ場ダムを見学し、住民に対して「無駄を省く観点から新政権がいろいろ事業を見直す事は否定すべきではないが、特定の事業を血祭りに上げて乱暴に中止するのはいかがなものか」と政府を批判している。
そして、住民からは「民主党が中止をマニフェストに載せた事自体が正しかったかを追及してもらいたい」「生活再建があと10年も20年も延びたら大変なことだ」と中止撤回を求める事を訴えている。
状況の変化から、今までにも中止が言われていながら自民党は中止することが出来ず、ただ先延ばしして来ただけで、何もせず責任逃れして来た結果である。
民主党に政権が変わってダム中止を発言した事に、谷口総裁が政府批判するのは野党になった事からの対抗発言としか思えない。

今回の「八っ場ダム」問題は、国の状況の変化によって、無駄なダムを作ることを中止すると言う国の方針に変わったもので、国家的見地に立って、その犠牲になった住民の生活を尊重する事を優先し、工事の中止が円満に行われるよう、与党も野党も一緒になって、解決の道を考えるのが当然の事ではないでしょうか。
従って、その観点から、自民党も中止に向けた善後策を提案する事をすれば、再生自民党の姿を、国民に示す事が出来るが、新政権に対抗意識だけを示し、与党時代の放置してきた責任を考えずに批判する事は、国民に背を向けるようなものである。

八っ場ダム工事の一番の被害者は、八っ場地域に住む住民である。 
彼らの生活再建のビジョンを与野党、超党派で、解決に向けた努力する事が、2大政党としての自民党の存在が認められるもので、国民からの信頼はその上に成り立って行くものである。
(えびなたろう)