保険制度は弱者救済制度だ (008.04.30.)
保険と言うものは弱者救済の制度で、あらかじめ健常な時から保険料を払い、払った保険料の積み立てた総量を運用して、その時々の弱者を救済しようと言う物で、必ずしも払った総量の多寡によって受けられるサービスに違いを設けるものではありません。
あくまで、その時々の弱者を救済するのが保険の精神です。そのことから言えば被保険者の数が多ければ多いほど、また、健常者が多ければ多いほど保険を運用する積み立て額が多いから保険サービスの幅も広くなり高度な保険が得られることになります。
我が国の保険制度も、なるべく大きな保険制度にするため分割するのではなく、一括した一つのものにし、全員が被保険者になる事が最も望ましい事で積み立てた保険料の総額から、有効な運用を図ることが重要な事なのです。
今回後期高齢者だけを分割し独立した形での保険制度を考えた保険制度は、弱者ばかりを集め、保険支出の多く掛かるところだけを別扱いにしようとする事は、健常者との運用面で、格差が出来、どうしてもサービスの低下に繋がる傾向が生じます。
後期高齢者と言えども、健常であった時代は多額の保険料を納めてきたのであり、弱者になった時点で別の制度で運用されると言う事は、抵抗を感じるのは当然の事でしょう。
厚生労働省の立場からは、後期高齢者は、経済力は無く、手間が掛かって、もはや国家のお荷物でしかないと思っている。確かにその通りだが、その為に現役時代は、老後に備えて保険料も払い続けてきたのである。
現役時代は弱肉強食の社会の中で、身を粉にして働き、国の経済を支えてきたのである。
若き時代には、世の中の多少の抵抗にも跳ね除けて生きる力が備わっていたが、高齢者になり、更に後期高齢者になった人たちは、何のアルバイトも出来ず、若い人たちの厄介にならざるを得なくなっている。
その中にあって、保険と言う制度は、本当に有難い制度で、世の中の弱者は其れによって救われているのであります。
弱者救済の社会制度は、弱肉強食の「競争社会」と違い、お互いに「助け合ってゆく社会」で、格差を設けない平等で、人間性を尊重し、夫々人間として、生きてゆく社会である。
(えびなたろう)
保険と言うものは弱者救済の制度で、あらかじめ健常な時から保険料を払い、払った保険料の積み立てた総量を運用して、その時々の弱者を救済しようと言う物で、必ずしも払った総量の多寡によって受けられるサービスに違いを設けるものではありません。
あくまで、その時々の弱者を救済するのが保険の精神です。そのことから言えば被保険者の数が多ければ多いほど、また、健常者が多ければ多いほど保険を運用する積み立て額が多いから保険サービスの幅も広くなり高度な保険が得られることになります。
我が国の保険制度も、なるべく大きな保険制度にするため分割するのではなく、一括した一つのものにし、全員が被保険者になる事が最も望ましい事で積み立てた保険料の総額から、有効な運用を図ることが重要な事なのです。
今回後期高齢者だけを分割し独立した形での保険制度を考えた保険制度は、弱者ばかりを集め、保険支出の多く掛かるところだけを別扱いにしようとする事は、健常者との運用面で、格差が出来、どうしてもサービスの低下に繋がる傾向が生じます。
後期高齢者と言えども、健常であった時代は多額の保険料を納めてきたのであり、弱者になった時点で別の制度で運用されると言う事は、抵抗を感じるのは当然の事でしょう。
厚生労働省の立場からは、後期高齢者は、経済力は無く、手間が掛かって、もはや国家のお荷物でしかないと思っている。確かにその通りだが、その為に現役時代は、老後に備えて保険料も払い続けてきたのである。
現役時代は弱肉強食の社会の中で、身を粉にして働き、国の経済を支えてきたのである。
若き時代には、世の中の多少の抵抗にも跳ね除けて生きる力が備わっていたが、高齢者になり、更に後期高齢者になった人たちは、何のアルバイトも出来ず、若い人たちの厄介にならざるを得なくなっている。
その中にあって、保険と言う制度は、本当に有難い制度で、世の中の弱者は其れによって救われているのであります。
弱者救済の社会制度は、弱肉強食の「競争社会」と違い、お互いに「助け合ってゆく社会」で、格差を設けない平等で、人間性を尊重し、夫々人間として、生きてゆく社会である。
(えびなたろう)