きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

遣られた時には遣りかえす権利がある 

2014-07-15 10:46:53 | 政治関係

遣られた時には遣りかえす権利がある        (2014-07.15.)

喧嘩でも先に手を出して殴れば、其の為に相手から殴られても、何も文句は言えない。

仲裁に入った人も、先に手を出した方を、先ずは咎めるのが普通である。

自衛権と言うのは、相手から遣られて、其れに対抗して、遣りかえすのが「自衛のための権利」である。

だから、戦争とは、この様にして、両国の武力がぶつかり合って、始まるのである。その場合どちらが先に手を出したかが問われ、先ずは先に出した方が、咎められる。

また、仲介が入らない場合は、強い方が勝つことになるので、両者の間には、戦争する前にどちらが強いかを、色んな角度から、推測し、特に近代戦争となれば、其の推測は、間違えば命取りになるだけに慎重である。

日本は、今迄で、戦争放棄を謳っており、どんなことが有っても戦争しないと言う姿勢を示して来た。理想は戦争の無い世界が理想だが、最初から戦争しないと分かって居た相手であれば「どんな難問や、横槍を入れても」戦争しないのであるから、相手は安心して、横暴や横槍を入れて、好き放題の事をする。

普通の人なら相手が戦争しないと分かれば、飽く迄話し合いで決着をつけ様とするのが常道であるが、抵抗しないと分かっておれば、容赦なくお構いなしに「難題を吹っかけ、挑発して、脅し、それで言う事を聞かせる」と言う国もある、普通の国ではありません。

将に、その様な普通の国ではない、のが中国である。中国は武力に物を言わせて、挑発したり、民間漁船でも体当たりしたりして、脅かし、相手が(ベトナム)弱いと見れば力ずくで、横暴を極めている。従って、中國は常識的に普通の国では無いのである。

今回日本が「集団的自衛権容認」に踏み切ったのも、普通でない国が存在すれば、当然の事で、何時、戦争に成っても戦える体制だけは、持っていなければ、「抑止力」に成りません。戦争を「遣る・遣らない」は最終的には「内閣総理大臣」が決める事で、相手の出方次第です。

日本は、飽く迄、戦争しない平和な国の姿勢を取り続けるが、相手の出方によっては、「何時でも受けて立つぞ!」と言う姿勢こそ、戦争の“抑止力”に成るのではないでしょうか。

その時の為に内閣総理大臣は国民の最も信頼のある人を選択するべきである。

(えびなたろう)

 



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