虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

ウソの常識

2009年11月16日 | Weblog

外国では、というと語弊があるが、すくなくともペルーやアメリカでは、

仮にドロボーに入られた場合、警察に届けて、非難しても、

入られる方が悪い、と言われる。

ドロボーだけではなく、ウソをつかれて被害を受けても、

ウソをつかれて、ウソが真実となってしまうのも、ウソを信じる方が悪い、となる。

だから、ドロボーに入ることは悪いことである、ウソをつくことは悪いことである、という価値観よりも、

ドロボーに入られる方が悪い、ウソを信じる方が悪い、という価値観の方が、より常識的になる。

日本人には馴染めない価値観だが、それだけ生きている環境が厳しいことが分かる。

 

子供にウソをつくことはいけないことだ、と教えるのはいい。が、騙される側はもっと悪いことを、または愚かであることも教えなければ、

これからの日本での生活は難しい、のではないか。 

そして、この価値観は、おそらくは、日本以外の国では圧倒的に多いだろうと、推測している。 

 

普通の日本人は、ウソをつくと、それが言動に出てしまう。それは、ウソをつくことはいけないことだと、思っているからだ。

ところが、ウソをつくより、騙される側が悪い、という価値観では、ウソをついても平気でいられるし、ウソをつくことに全力を傾ける。しかも、もっともらしく言動できる。

隣国では、歴史やオリジナリティー、あるいは起源論で、平気でウソをつく。それを世界に発信する。それに反論しない、放置すればそれが事実になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

後で、ウソがばれても、騙された側が悪いのだから、謝る必要も無い。

これが、世界的常識なのだろうと思う。 

日記@BlogRanking                                 

 http://putiya.com/412gatu_7animal.html   

コメント
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