虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

被害者意識の源

2017年07月29日 | Weblog

被害者意識は、もともと、楽な方向、安易な道を選んだ結果だろう。

言い方を変えれば、被害者になることは、楽であり、同情を得やすい。

日本には、昔から、そんなことを潔しとしない文化というか、傾向があり、被害者意識の育ちにくい環境だった。

究極は、全くの被害者であっても、「俺がバカだった」でその失敗をエネルギーに変え、向上心に繋げる。

昔から言われたことの一つに、外国で交通事故をおこしても、絶対に謝ってはいけないと言われた。

それは、謝罪することによって、こちら側の瑕疵を認め、相手を被害者の立場に立たせることになるからだ。

おそらく、外国の環境は、被害者側の立場のほうが強いからなのだろう。

これがどこからくるのか、わからないが、

日本人には、そんな考え方が育つ環境はなかったと言えるだろう。

 

韓国の軍艦島映画や慰安婦の問題などに象徴されるように、とにかく、

韓国は「被害者」だ、ということを宣伝している。

被害者の立場に立つためには、手段や事実はどうでもよく、被害者の立場を訴え続ける。

苦境から立ち上がるのは、努力が必要だし、長い時間も必要だ。それに比較すれば、

被害者のほうが、はるかに楽だし、タカル事もできるし、世界の同情も集めやすいし、

一種の生き抜くための魂胆、というか知恵なのだろう。

半島の文化、歴史は、被害者の立場になる、そのためにはどうすればいいのか、そればかりに強大なエネルギーを注いできたのではないか、と思う。

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大海になる

2017年07月22日 | Weblog

観念は役立たないばかりか、妄想をもたらす。

妄想は、最初は小粒でも、そのうち大海のようになる。

 

虎ノ門ニュースが面白い。

解説者が、いろいろな角度で話している。

テレビで流れる左寄りと言われるコメンテーターの解説が、愚かに思える。


勤務先が代々木で、デモに時々遭遇する。

このまえ、左翼系の人々がデモしていたが、見ると年配者ばかりで、大きなお世話だが、気の毒さを感じた。

マイクで大声で叫んでいるのは若者の声だったが。

あの年寄りが、左翼系とは、いったいどんな人生を過ごしてきたのか、と不思議に思った。

いい大人が、デモに参加して、てくてく歩いている。

このひとたち、普段から、やたら、人権だの、差別だの、レイシストだの、戦争法反対と叫んでいるんだろうか。

漫画のような話だ。だって、日本ほど人権が大切にされ、差別がなく、戦争してない国は、そうそうにない。

自由の塊みたいな国だ。

デモで、日本に訴えていることを、そのままお隣の国に叫べばいいものを。

それをしない、ということは主張している内容と、目的がまるで異なることを表す。


共産党の大きなビルの前を歩いて勤務先に向かう。

朝、職員らしき人々が玄関一帯を清掃している。

委員長の大きなポスターが掲示してあり、戦争法反対と書いてある。

だれも戦争など望まない。

このポスターは、今の政権が、まるでこれから戦争をするんだみたいな印象を与える。

共産党の考え方や、方針を本当にいいと思っているんだろうか、いつも不思議に思う。

議論などするつもりは、サラサラないが、もとより議論など成立しないし、意味などないだろう。

働いているなら、共産党に賛成しないまでも、先に飯ありか、とも思う。


国連というか、その下部組織なのか、わからないけれど、

日本人がわざわざ出向いて、そこでいろいろ訴えをしているという。

慰安婦問題なら、韓国人がいって、なにか運動することはわかるが、

何が悲しくて、日本人でありながら、国連までいってそれを訴えるのか、逆立ちしても理解できない。

ここまでくると、思想とか、考えとか、信念とか、そんな高尚な話ではなく、

精神を病んでいるのだろう、と思う。

大海になっているようだ。

これもYouTubeで知った。

国連より病院へ。

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知恵

2017年07月15日 | Weblog

左翼とか右翼とか、

それほど明確に線引きできるものではないような気がする。

思想的なことよりも、その時の都合によることが大半だろう。

共産党のようなわかりやすい思想もあるが、おおかたは、いいかげんだろうと

想像している。

 

挨拶は、やはり大切で、朝から元気な声であいさつされると、気持ちがいい。

どうも人間はそのようにできているようだ。

ところが、あいさつがきらいなのか、面倒くさいのか、あさってのほうを向いて過ぎ去る人がいる。

中には声が小さくて、わからない人もいる。苦手なんだろうか。

 

お互い様とか、袖触れ合うも他生の縁とか、普通のあいさつとか、どれもこれも社会生活、特に日本では、日常的な感覚だと思うが、

全体的に薄れてきたような、そんな感じがする。

 


安倍政権をヨシとしないマスコミの報道内容は、かなりヒドイらしい。

これも動画で知ったわけだが、ネットはありがたい。

「愚かなる大衆」とよく表現されるが、まさにその通りだった、と思う。

テレビ、新聞だけのニュースに依存していると、間違いなく「愚かなる大衆」になってしまう。

日本のように自由を謳歌できるのは、そうそうに世界にあるわけではないが、

それでも、大いなる権力、権威のマスコミに思考をコントロールされている事実に、いまさらながら驚愕する。

 

韓国の反日教育というか、優越教育というか、歴史のおとぎ話を、子供のころから勉強している国にあっては、

国民は反日、嫌日感情が、人生の魂胆として染着いてしまう。

この呪縛から解放されるのはちっとやそっとではできないだろう。

そりゃあ話し合いだの、共生だの、成立するわけがないし、親交を進展させるにはどうしたらいいのか、などというテーマははなから成立しない。

それを知っていてて、問いかけるのは、愚かだろう。

 

いつだったか、今後韓国とどう付き合えばいいのかという問いがあって、それに韓国に詳しい人が、

「付き合う必要性がまるでない」

と回答していたが、その通りだと思う。

断絶なんて意味ではないだろうが、できるだけかかわらないで、相手にしないで、ってことだろう。


この感覚は、同じ会社の中でも、自分が生きている周囲にもある。

生活の知恵ではないか。

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彼には愛はない

2017年07月09日 | Weblog

人生論は昔の書物ですでに尽きている。

読んで頭に入れても、日常をおくるうえでそれほど役には立たない。

人生は、人生論では生きてはいけない。

 

愛をテーマに歌うのは、共感を得るが、結局は夢の中の出来事で終わる。

歌詞通りの行動や考え方をみんながしてくれれば、いいが、そうはならないのが現実だ。

昔、愛の反対の言葉は、孤独だとかいてあった心理学の本があった。

学問ではそうかもしれないが、すんなりと納得はできなかった。

愛という概念が、歌詞通りのあるいはみんなが漠然と思っているような内容なら、愛の反対の言葉は、嫉妬心だろうと思う。

 

左翼の言論人が、テレビなどで安倍一強を批判したり、どうでもいいような言質を鬼の首でもとったように、

口角泡を飛ばして何かを主張しているが、むなしさしか感じない。

こういった主張からは嫉妬心しか感じない。

つまり、彼らには愛は存在しなことになる。

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歪んでるよ

2017年07月02日 | Weblog

これから、選挙に行く。

この頃、選挙に興味がある。

なんでこんな人が当選するんだ?、という人が当選してくる。

不思議と言えば、不思議だが、どんな有権者が投票するんだろうか。

 

議員の中には、日本に生活しているにもかかわらず、日本を大切にできない気持ちで、日本で生きていくのは辛くないのかと思う。

これは、自ら自身の人生を無駄にしているだろうと、思う。

もっとも、こういった精神では何を言っても、何があっても、他人から愛情を受けても、思いやりを享受しても、

悲しいだろうな、とかってに想像している。

政治家でありながら、拉致被害者のことを一片も思えない精神って、信じられないが、

現実的に存在している。

彼らが、仮に政権をとって、

目指している社会を築いても、同胞には、憐みの一つも感じない歪んだ思想を意味するだろう。

 

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