友人の存在はありがたい。
今日、NYの友人がまた訪問してくれた。彼女はメキシコに姪がいる。その姪が結婚することになったので、和服を着たいが、ぞうりが無いので、ぞうりを買いたいと言う。
それで、すぐ近所の和服を扱うお店にいった。
店は、小さく、夫婦でやっていた。着物が飾ってあるわけでもなく、商品がたくさんあるわけでもなかった。
姪は165Cmあって、足も女性にしては大きい方だというので、大きいぞうりをだしてくれた。
価格は35,000円だが、半額にしてくれるという。
本革の、素人目にもお買い得だと感じた。
念のため、近くの着物専門店と、中古品を取り揃えた店を回ってみたが、
結局、最初の店が断然安いので、そこで購入した。
NYの友人は、土曜日にアメリカに帰国するが、
同じ日にペルーからまた3人やってくる。
友人が次から次へと訪問してくれるのは、楽しい。
昔、とても仲のよかった友人がいたが、
自分の不手際や心で、失ったことがある。
大切にしてきたつもりだったが、つもりは、自分への言い訳で、相手には届かないことを、思い知らされた。
失ったとき、辛かったが、それ以上に相手を傷つけたことに自分の至らなさを感じた。こういえば、なんとなく外向きの感覚だが、
実際の気持ちも、まったく同じだ。だから、よけいに、こんなことは相手には言えない。
失っても、失った友人は、ありがたいし、
今いる友人を、また大切にしようと感じた。