菅総理って、打たれ強いというか、極端に鈍いというか、
つい羨望したくなる精神を持っている。しかもそれが中途半端じゃないから、いずれにしても、歴史に名を残すだろう。
昔のテレビがまだ視聴できる。
24日、アナログ最後の放送だと思ったのに、ちょっと拍子抜けした感じだ。
それにしても、多くの人がテレビを購入しただろうと思う。
なんとなく「また」騙された感覚に襲われた。
騙されることに慣れると、怒りもわいてこない。
たぶん、国家による愚民化政策が功を奏しているのだろうと思う。
菅総理って、打たれ強いというか、極端に鈍いというか、
つい羨望したくなる精神を持っている。しかもそれが中途半端じゃないから、いずれにしても、歴史に名を残すだろう。
昔のテレビがまだ視聴できる。
24日、アナログ最後の放送だと思ったのに、ちょっと拍子抜けした感じだ。
それにしても、多くの人がテレビを購入しただろうと思う。
なんとなく「また」騙された感覚に襲われた。
騙されることに慣れると、怒りもわいてこない。
たぶん、国家による愚民化政策が功を奏しているのだろうと思う。
ペルーに行くつもりだったが、時間取れず今回は諦めることにしたが、家人が行くことになった。
昔に比べれば、ペルーは随分と美しくなった。
特に首都リマは、清掃が行き届いて、道路が綺麗になっている。
一つだけ、相変わらず雨が降らないので、街路樹は埃を被って、新鮮さがないが、それでも、ゴミが圧倒的になくなっている。
なんといっても、あの吐き気をもよおす悪臭が消失したのが、一番の成果だろうと思う。
道路の清掃が始まったのが、たしかフジモリ政権からだから、
今の青年は、綺麗なリマ市しか知らないだろう。
シンガポールも以前はゴミだらけだったのが、厳しい罰則と取り締まりで、いまでは美しい都市だという。
それが当然の現象だと認識されるには10年以上の歳月が必要だろう。
リマ市も、美しさが当たり前になるだろう。
昔、東京銀行があった場所は、狭くて、汚くて、埃だらけだった。
ドロボーが横行し、道路脇にはアンブランテと呼ばれる大道商人が軒を連ねていた。
様々なものを売っている。食べもの、軽食、くだもの、洋服なんでもある。
近所には公衆トイレはないので、そこかしこで用をたす。
加えて質の悪い食用油で揚げものを作っている。この油が異様な臭いがする。それに生活水、おしっこの臭いが混然一体となって襲いかかる。
日本人には近寄りがたい場所だった。
この風景がリマ市の一般的な中心地だった。
いまはこんな場所はない。
値段にもよるが、リマでのお薦めホテルは、やはりスイスホテルだろうか。
朝食が素晴らしい。部屋もかなりいい。窓から見渡す景色だけがいまいち感がある。
周囲は比較的安全な場所で、となりはゴルフ場になっている。
ホテルの高級さだけで言えば他にもたくさんあるが、周囲の環境や部屋の作りなど、価格と釣り合わないと思う。
経済論理だけで進んでいる日本は、底辺の貧民層を広げている奴隷化を助長している。
派遣社員でも、パートでもバイトでも、フルタイム働いて、月収手取りで15万以下というのは、
人権問題と感じている。上層部はどんなに高給でも構わないが、けっして、楽しくない、楽しくできない社会になってしまうだろう、と思っている。
これはなにも労働だけの問題では終わらず、ほかにも影響を及ぼす。
災害被災者、原発事故被害者への対応にも、それが顕著だと感じている。
中国の列車事故についてのニュースが流れている。
証拠の詰まった先頭車両を潰し、穴を掘って、埋めてしまった。
証拠隠滅だと、コメンテーターが言っているし、それが中国のやり方だと、解説している。
安全は二の次で、スピードを重視した結果で、人災だとも言う。
これまでも、ずっと同じように国民には事実を流さず、もみ消してきた。
今回の事故で、国民は政府を批判しているし、ネットでもかなりの動画が流れている。
日本では、絶対あり得ない事故だとも自慢げに話している。事実新幹線では大きな事故はこれまでなかった。たしかに誇れる話だ。
だが、ちょっと待てよ、と思う。
中国は共産党一党独裁。言論統制は当然で日本とは根本的に違う。
そう信じてきた。が、
原発事故の対応とどれほどの違いがあると言うのか。
中国は、誰にでもわかるほど大胆、というか単純に、信じられない事故処理をしているが、
日本は、お上が「安全と健康に影響はない」を繰り返し、
汚染は、虫が住む世界の高度を測ったり、農作物はホウレンソウからはじまって、小魚に至り、牛乳の混ぜ合わせで濃度を薄めるこざかしいことをやったり、
今頃牛の食べものの藁の汚染を取り上げたり、
一つのもが取り上げられると、他のものは無視することで、汚染の状況を限定している。
わらが汚染された当時は、そこあったすべてのもの、人間も含めて、同じにように汚染されているわけで、藁だけが放射線を浴びたわけではない。
日本も、考えれば、中国とさほど大差ないことを平気で国民に流している。
流すのはマスコミで、流し方や方法は、マスコミの自主性に任されている。
マスコミは完全な「権威」になっている。
国会中継を見た。
首相の答弁がおかしい。
政治家の認識は、いろいろな意味で国難ということで一致しているが、質問側はともかくも、首相の答弁からは国難という危機意識や、一日も早く復興という気持ちがさっぱり見えてこない。
首相の「居直り」「はぐらかし」で7度中断 西岡氏「日本を滅ぼす気か!」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110722/plc11072200530000-n1.htm
なんと表現したらいいのか、とんでもない時に、とんでもない人が首相をやっているのかもしれない。
あの社会党の村山さんだって、復興に尽力したのに、
今の首相は日本がどんどん混沌として、政治も経済も、もっとおかしくなることを望んでいるのかもしれない、などと、こっちもとんでもないことを考えてしまう。
生活レベルを上げるのは、難しいことではないが、
下げるのは、かなり難しいだろうと思う。
中小企業の社長に聞いたことがあるが、経営不振はまず車らしい。
高級車から一気に軽自動車になる。それでもまだ車をもてる身分ならと思う。
民間で高級車に乗り続けるのは、また難しい。
上から下まで体験できることは、長い目で見れば、それがいいだろうと思う。
なんでも体験だが、「しない」より「した」体験が、一般的にはいいだろうと思う。
結婚も、しないよりした方がいい。
年齢を重ねて、還暦を迎える。
今の還暦年代は、見た目若く見える。が、体の中は還暦にふさわしい機能だろう。
体だけではなく、精神まで機能しなくなると、辛い。
辛いのは、本人だが、いくら辛くとも、本人が作り上げてきたものだから、しっかり見つめるしかないだろう。これが現実なんだろう。
テレビCMに、
「どこかの誰かがうまいことして・・・」
って、のがあるが、それは絶対にないだろう。時に、宝くじに当たったり、億単位のお金を拾ったりと、3万年一度の幸運もないわけではないが、
「ない」と信じてほぼ間違いないだろう。
ペルーの日本一世は、スペイン語はうまくない。
特別に勉強したわけではないので、日常生活に困らなければ、それでよしとしてしまう。
ロスに行ったとき、日本人一世はやはり英語はうまくなかった。
ブラジルでも、同じだった。
語学は、現地に行けば、それでうまくなると信じていたが、そうではなかったことを知ったのは、
かなりの驚きだった。
長じて外国に行っても、それなりの勉強をしなければ上達しない。
フジモリさんが日系人で大統領になったとき、当然スペイン語で演説するわけだが、
そのスペイン語はうまくないと、識者から批判されたことがあった。
日本は、政治家が恥ずかしい言い回しをしても、語学で教養を判断されることは、あまり聞かない。
やたら「あーうー」を挟み込む大平首相だって、それで教養を疑われることはなかった。
アメリカでも、ペルーでも、人前で話をするときは、かなりうるさい。
恥ずかしい言葉というのは、厳然としてある。
その世界で使う語学があるのだ。
日本は、中学3年高校3年の6年間英語を勉強しても話せないと、昔かなり批判され、
会話に重点が置かれるようになった。
が、これにはクエスチョンマークをつける。
日本にいたら、発音も、話すことも、聞くこともなかなか機会がないから、仕方ないが、
読み書きが立派にできれば、そのほうがいものではないかと考えている。
単に通じる英語なら、中学での会話の勉強なんかする必要はない。耳で覚えればそれでいい。ただしこれは、出るところに出れば、屁馬鹿にされるだろう。
仕事で英語を使う、議論するなら、昔のように文法をしっかり学んで、いい文章よくない文章の違いまで理解しなければならない。
英語より、格式を重んじるスペイン語は、さらに厳しい。
首相の言動に接すると、今の日本の世相というか、人間性というか、なんとなく象徴的に表わしているような感じがする。
具体的な指摘はなかなか難しいが、
責任の逃れ方が典型的に思える。
中小企業は違うだろうと想像しているが、大きな会社で、なにかうまくいかなかった場合、すべて末端の責任になる。それは、上層部は能力以上のものを求めるし、それに対して末端は責任を負わなければならない。
上層部は言葉ですむが、末端は言葉ではなく、実際の労働になる。このギャップは上層部は理解できないし、しようともしないという、一種の棲み分けができてしまっている。
交流などという言葉は存在しない。
イヤなら辞めればいいし、辞められない状態なら諦めるしかない。
なにせ、安い労働力はいくらでもあるのだから、会社は痛くもない。
寂しいといえば寂しいが、さっぱりしていると感じる人もいるだろう。
牛肉の放射線物質の報道は、かなり違和感がある。
藁を与えた持ち主の責任が如くの報道が目立つが、彼らは実は被害者だという視点が抜け落ちている。
前述の末端に当たるだろう。
札幌の焼き肉店の人が涙を流して謝罪していたが、あの感覚も奇妙で、本来なら被害者として政府なりを批難しなければならない。
マスコミの意図的な報道かもしれないが、社会的な素地があるのだろうと思う。
このごろの首相の報道を見ていると、思い出す知人がいる。
話をしていて、どうも通じていないな、と感じる男だ。
K君はまさにそんな人だった。
会社の1年先輩だったが、同年代だった。
仲は悪くないのだが、サロンの話題から仕事の話まで、どうもかみ合わない。
一言二言、三言くらいで会話が終了する。
喧嘩したこともないし、言い争ったこともない。それはどうも、もともと話がかみ合わないから、喧嘩にもなりようがなかったのだろうと、思う。
K君とは異なるタイプだが、やはりSさんという話し合いが成立しない人がいる。
話が成立しないというのは、話し合っても全く無駄で、時間がもったいない。
Sさんの場合は、異常に自説にこだわる人で、他人の意見は普段から認めないところがあった。
ただ明確に言えるのは、K君もSさんも、こっち側の主張というか、意見というか、それをまったく理解していないか、無視している、ということだけは共通している。
が、間違いなく二人ともこっち側に対して同じことを考えているだろう、とは想像がつく。
同じ日本人で、同じ会社にいて、同じような教育程度で、同じような頭脳で、それで話し合いができないなら、
「元気?」
「うん、まあまあ」
「じゃあ、またね」
この程度の挨拶だけで終わってしまうことになる。
よく考えてみると、実はこれで終了すればオンの字だ。
紛争が絶えない世界で、外国同士が話し合いをしても、理解して納得することはあり得ないだろう。双方が相手の主張を受け入れるのは、条件が整わないと無理だろう。
「じゃあ、元気で」
国同士が、これで終われば最高の出来になるだろうが、そうなったためしがない。
話し合いなどは、本当は夢物語なんだろうと思う。
放射線から逃れられない。
どこからでも入り込んでくる。
いくら注意しても防ぎようがない。心がけてもたいした違いはないだろう。
子どもが気の毒だ。
ミルクも、あちこちの牛乳を混ぜて、線量をおさえているという。
摂取しても健康には影響がないという。ならば騒ぐことなく、政府でしっかり消費すべきではないか。
検査をすり抜けたとか、外に出ていた藁を餌として与えたことが、まるで当事者の責任が如く報道されていた。
ストレステストを行うと言う。
国民はもう既にストレステストを受け続けている。それで4カ月も耐えている。
かなり強いけど、もう限界に近い。
いままで、考えもしなかったが、
同窓会には何年も出席したことがないことを思い出した。
今は掛川市になってしまったが、昔は小笠郡だった。
小さな村に、男4人女4人の同級生がいた。小学校中学校は同じだったので、村だけの同窓会だ。
みんなけっこう仲が良かった。一度だけ若いころ同窓会をやった。
その後、一人だけ、サラ金に手を出して、夜逃げ同然に姿を消した同級生がいたことを聞いたが、その後の消息は聞いたことがない。
時間が経てば、なんでもある。幸せな奴から、ちょっと悲しい生活をしている者までいる。
中学校の同窓会もあったようだが、外国生活が長くて、一度も顔を出していない。
どういうわけか、高校時代の同窓会にはまったく興味がわかない。
小、中学校の同窓会には出たい。
この違いはなんだろうか。単なる年のせいなのか。
中学校時代の、小学校時代のあの初々しい顔から、
還暦を迎えるまでの年月が、だれでも顔に刻まれている。話し方に変化をもたらしている。たち振る舞いもかわっているだろう。
面影は残っているだろうが、すぐにわかるだろうか。
今すぐには名前は思い出せないが、会えば瞬時に昔の名前を呼ぶだろうか。
やはり年齢のせいで、幼いころを懐かしむのか。
マイアミは、とんでもなく楽しめる場所だ。しかもどこも高くはない。
もう行くことはないだろうが、もう一度行きたいと思う。
大人にも子どもにもいい。
動物園や水族館、テーマパークだらけって感じだ。
マイアミの空港で、レンタカーを借りる。国際免許などと堅いことは言わない。日本の免許証で車一台貸してくれる。たぶん正確にはダメだろうから、ちゃんと用意した方がいい。
マイアミだけはツアーではなく、レンタカーがお薦めだ。
時々、道路脇で、採りたて果物が売られている。日本と同じ光景だ。どれも大味で美味い、と言うほどではないが、アメリカの味だ。
もう一度行きたい、と思う旅行先はあおれほどないが、
マイアミは家族で行ってよし、孫と一緒に行ってよし、2、3家族でマイクロバスでの旅も楽しめるだろう。
ただし、レストランは、期待ほど美味しくはないので、時々にし、醤油の準備は欠かせない。
普通のスーパーでも売っているので、見つけたら買うべし。
日本のスーパーのように、パック詰めのサラダや豆腐なども売っている。
突然、マイアミを思い出したのは、唐突で、昔の写真を見たからだった。
もう一度行きたい、と思う旅行先はそれほどないが、マイアミは子どもたち家族大勢で行きたいと思う。
難しい哲学だの思想だのは、分からない。
そんなものは分からなくても、しっかり生きていける。
中学生のころだったか、
「他人様に迷惑をかけない」
と言うことが盛んに言われるようになった。
喫煙、飲酒が問題にされるとき、この言葉はよく言われた。
「小遣いで買って、だれにも迷惑をかけていない」
と反論する。こうなると、もうお手上げで、結局法律で禁止されているということで、なんとか収めようとする。
あげくは、大人になる前に喫煙するとカラダに害があるということまで言われた。
なにを言っても、無駄なことで、中学生の喫煙はなくならない。
こういった風潮は高校生まで続いた。
「他人に迷惑をかけない」は、「迷惑をかけなければ、いい」ということになる。
これは、ちょっと以前までは、批判の対象になった。多くの人がたしなめたものだった。
しかし、いまは違う。さらにひどくなってしまった。
他人に迷惑をかける、かけないはもう考えない。自分の立場のためには、なんでもありという感じになってしまっている。
言わずと知れたお上の面々だ。
あの精神構造はどこからきているだろうかと、不思議に思う。
タバコはパッケージに警告が書かれているが、あの文言はウソくさい。警告ほど結果は出ていないだろう。
玄米食が健康にいいというのも、ウソだろうと思う。正確に言えば、例えばニンジンは健康にいい、という程度の話だろうと思う。
有機野菜が健康にいい、という常識に近い話にも疑問をもっている。事実、有機野菜などは逆に危険で、食べない、という人もいる。このどちらも極端な感じがしている。いってみれば、健康にいいと言うほどでもないし、危険ということもないだろう。
国が勧めるワクチンに反対する専門家も多数いる。
子宮けいがんの予防ワクチンなどは宣伝までしている。それでもワクチンは危険だと警告をする専門家集団がいる。
温暖化も全く同じで、専門家が警鐘をならして世界に広がったが、これにも反対する専門家がいる。
専門家が右だの左だのと言っていることに、素人にはなにが真実なのか、わかりっこない。
放射線量についての話も同じで、なにが本当なのか分からない。
早い話、誰もが納得する根拠はないことになる。
UFOや幽霊の話とさほどレベル的には変わらないことになる。
信じる、信じないという極めて個人的なレベル、科学もくそもなく、どんな人生をおくってきたかによる判断に落ち着くことになる。
サラリーマン時代に、ちょっとしたミスをした。
その時、上司に大変な剣幕で叱られた。
こんなミスとも言えないミスで、そんなに怒ることもなかろうにと、逆にこっちの方が頭にきたくらいだった。
一、二年して、今度は命にかかわるような交通事故を起こした。自損事故で、スリップして、そのまま車ごと田んぼに突っ込んでしまった。
お客さんを乗せての事故だったので、それなりの覚悟をしていた。が、
件の上司は、怒ることも注意することもなく、慰めの言葉をかけてくれた。
このとき、上司の人間性を知った。
小さなミスでは、ミスした本人には反省など無い。大きなミスなら本人が一番凹んでいる。
上司にはこれが手に取るように分かっていたのだろう。
この体験はその後、役に立っている。
時に友人を怒らせ、泣かせてきたことを思い出すと、
恥ずかしいと思う。
いくら恥ずかしくても怒らせた方は、心にたたんでしまってしまうが、された側は忘れないだろう。
こんな記事を読んだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110702-00000077-san-pol
アメリカの好きなところは、なんといっても何かあればアメリカ人を助ける、というところだ。
政治家として、助けることができなければ、せめて加害者を応援するようなことは、いくら法律に違反していなくともやめてほしいと思う。