いじめは、陰湿だ。
小学生時代に、中学生からいまでいう、いじめを受けたことがある。
このときは、いじめている相手にゴマをするようなことを言って、逃れたことがある。
小学生とは言え、そうしている自分に苛立ちを覚えた。
自尊心からだが、自尊心を捨ててまで相手に迎合しなくてならない現実に理不尽さを感じた。
なぜ親とか、先生あるいは相手の親にでも言って、助けを求めなかったのか、分からない。
そんな知恵がなかったのか、報復がおっかなかったのか、自尊心が許さなかったのか。
小学生でも、大人でもこれは変わらない。
いえるのは、それに対抗できるだけの何かが不足していたのだ。
ペルーに、相性の合う友人がいる。日本人だが、もうペルーに骨を埋めるつもりだろうと思う。
彼とはもう何十年もいい関係を保っている。
大変おとなしい性質で、人と争うことを嫌う。
彼が商売をはじめたとき、一生懸命営業に回った。その成果があって、数年で商売が安定した。
それまでは、いろいろな屈辱に耐えた。屈辱の種類には様々ある。罵詈雑言から優しい言葉、あるいは相手の行動などだ。
屈辱とはいえないが、彼からこんな話を聞いた。
当初は、小さな車に乗っていた。お客と会うためにその車でホテルや高級レストランなどに出かけることがたびたびあった。
高級ホテルやレストランには、ドアボーイがいる。
小さな車とベンツやBMWなどの高級車とではドアボーイの扱いが違う。
彼は数年後、大きな高級車にのりかえた。
それからボーイの扱いは極端に変わった、と笑いながら話してくれた。
その彼から最近、お客から嫌なことを言われた、とメールがはいった。
どのように対処したらいいか質問してきた。もちろん相談ではなく、同意を求めてきた。
「そんなお客なら、いらないから、こっちから切るけど、いいよね」
と、昔の彼なら考えられない内容だった。
そう言えるだけのバックボーンを自らが築いた。