考古学の年代測定というのは、どのくらいの誤差があるんだろうか。
米は、てっきり朝鮮半島から伝えられたと思っていたが、DNAの解析で、それが違うことが分かっている。
日本には5000年前の米粒が発掘されたというが、それが分かるんだから凄いもんだと思う。
同じ時代の、火焔土器も発掘されている。
縄文時代中期というが、ずいぶん複雑な模様だなと思う。
土器から思うのは、かなり統制のとれた部族だったろうと感じる。土器は簡単にはできないだろうから、生活の安定が必要だ。
ましてや、そこに模様をあつらえるとなると、平和的な情景が浮かぶ。
そうすると、精神面では協力体制が整っていただろうと思う。
自分たちが生活している地域が争いばかりなら、あるいは食料の確保に四苦八苦していたら、こんな模様のついた土器なんか作っている時間はなかったろうと想像している。
意外とこの時代は、のんびりとした生活しやすい環境だったのではないかと思う。
縄文時代は1万年だと言う。
1万年ずっとずっと縄文時代だという。いくつかの区分はあるだろうが、縄文時代だとしている。
数の概念は、どうなっていただろうか。
家を建てる柱の数とか、魚と米を交換するとか、なにかにつけ数がある。多い少ないがあるだろう。
双方が納得できなければ、交換だって成立しないだろうから、しっかりした数の概念はあったろうと思う。
数は、10進法だったのか、なんなのかわからないが、10進法で言ういくつまで具体的に頭の中に描けただろうか。
仮に貝を10ケ獲っても、数の概念が10以上なければ、10、15も違いが分からないだろうか。
この辺は想像もできないが、言葉で数を表したんだろうか、あるいはなにか記号でもあったんだろうか。
1万年続くと言うのは、文明は徐々には発達するだろうが、あるいは新しい何か発明をしたりすることだって、当然充分すぎる時間だと思う。
それが、遅々として進まなかったのは、何故なんだろうか。
火焔土器から卑弥呼の時代まで3000年が必要だったわけだが、遅々として進まなかったように見えるだけで、、実際にはどんどん進んだのかもしれない。