昨日、名古屋の新幹線ホームで、冷やしきしめんを食べた。
390円。美味しかった。ペタペタ、フニャフニャ、適度なコシがあって、気に入った。
人が一生付き合う友人はどのくらいだろうか。5本の指で充分足りるだろう。
いや、足りない人もいるかもしれない。
友人の付き合いをする。お互いが相手を尊重した行動をとれば長続きもするだろうが、一方が相手の気に入らないことや、一種裏切り行為をすれば、それでその関係は終わる。
そこには許す、許さないということもあるが、許すことができなければ、顔を合わす事はもうないだろう。
ここに利害関係があれば、弱い方が耐えるしかない。
外国の日本人の狭い社会や、会社の中、あるいは何かのグループなら利害関係があろうと、なかろうと顔を合わす機会はいつでもある。そんなときでも挨拶くらいはしなければならない。
お互いがお互いを尊重すると、言葉では簡単だが、実際には困難なことだ。
価値観が違うから、仕方ないかもしれない。
結局は、相性がいい、というわかったような、わからないことに落ち着く。
もう亡くなった人たちだが、仮にAとBにしよう。
ある日、ある場所で、Aさん夫婦に、向こうからBさん夫婦が近づいてきた。
彼らは、昔からの、知り合いであったが、付き合い関係はなかった。
お互いにもう60歳は超えていた。
Bさん夫婦は、
「申し訳ありませんでした」
と、深々と頭を下げて、謝った。
Aさん夫婦は、それが何を意味するかよ~く理解した。
20年以上の期間をかけて、Bさん夫婦は謝罪した。
この話を、Aさん夫婦から直接聞いた。
なぜ、謝罪したのか、僕にはわからないとAさんは言っていたが、事実はよ~~く理解していたことが、その表情からわかった。
謝罪する方は、いつしようか、いつしようか、と迷っていたのか、あるいは謝罪なんか必要ないと考えていたのが、人生半ばを過ぎて考え方が変化したのか、わからないが、そこには真面目に生きてきたことが感じられる。
一方Aさんは、あのやろう、と思っていたのか、忘れようと思っていたのか、あるいはもしかしたら自分の誤解だったかもしれないと、思っていたのか、心に傷として残っていたのだろうか。それが長い年月を経て、ある日突然、謝罪を受ける。
この日は、一瞬でそれまでの年月が縮まってしまったのだろう、と思う。
どんな、ドラマが二組の夫婦にあったのだろうか、知る由もないが、
人生にドラマがある、ドラマをつくるのは、それが悲しいことでもつらいことでも、
よかったこと、なのかもしれない。
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