難しいことは分からないが、
日本を牛耳っている人々は、国民が賢くなることを望んではいない。
愚鈍な国民になるよう、しているのではないか。
さらに、日本を憎んでやまない日本人の人々もいる。
これは、違うように見えても、根っこは同じだ。
こいうことは経験的に知ってしまった。
難しいことは分からないが、
日本を牛耳っている人々は、国民が賢くなることを望んではいない。
愚鈍な国民になるよう、しているのではないか。
さらに、日本を憎んでやまない日本人の人々もいる。
これは、違うように見えても、根っこは同じだ。
こいうことは経験的に知ってしまった。
「植草ブログの「人気ブログランキング」の急落について…。」
というタイトルで、文藝評論家・山崎行太郎さんが、
ブログの「ランキング」を意図的に操作することについて書いている。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/ こちら
興味があって、読んでみた。
驚きの一言だ。
もっとも僕のような、一般素人の、毒にも薬にもならないブログには関係のない話だが、
世の中は、想像以上に監視、煽動、制御、誘導が意図的になされていると、考えた方がいいだろうと思う。
見ず知らずの人を、
「誰でもよかった」
と、ホームから突き落として殺害してしまう。
これに似た事件は、昔からある。
裁判では弁護側は精神状態を検査する。
たぶん、精神障害者が起こす殺人は、一般人の事件より低い、だろうと思う。
それでも、被害者側遺族は、理不尽な死を強いられるわけで、とても納得できる話ではない。
なぜ?と答えの出ない問いを、続けることになってしまう。
今の複雑な世の中では、解決は、人間社会が続くかぎりできないだろう、と思う。
七五三掛地区の地すべりをテレビ見た。
食い止めるための策を何億もかけて実施しても、自然の猛威には歯が立たないのか、じわじわ地すべりは進む。
儲かるのは業者だけで、実際被害を被っている人々には不安だけが残っている。
地すべりは、地震保険でカバーされるものなのか知らない。
地すべりをとめるのは、台風を止めたり、地震を止めたりするのと、似たようなものではないのか。
人々のその土地に対する愛着や執着心は理解は出来るが、
あれは、しかし、政府は、避難命令を出すべきではないかと、思った。
避難先のある人は、避難しているが、
ない人は、役所がいくら避難を勧告しても、そこにいなければならない。
補正予算が何兆円も組まれるなら、人々の畑や土地家屋の保証、そこ使えばいいものを、と思う。
こっちの方が粋だと思うが。
平清盛や頼朝、足利や信長、家康など、名だたる武将達は、
武力で日本国を統治したにもかかわらず、天皇を滅ぼさなかったのは、とても不思議に思う。
なにも天皇から肩書きを貰うのではなく、自分が肩書きを与える側に立てば済むことなのにと思う。
歴史には詳しくはないが、外国は、おおかた、武力で倒した側は、その前の為政者を皆殺しにしてしまっている。これには、ほとんど例外なく、そうしている。
大体、尊皇攘夷というが、尊王になった途端、攘夷は忘れ去られている。
日本の天皇家だけは、権力を失っても時の天下の上に存在していた。
これは、しかし、外国人に説明するのは容易ではない。
世界に2000年近くも続いている王家はない。
インカ帝国の歴史に詳しい天野博物館の人に伺ったところ、天皇家に近いのは既に滅びてしまったインカ帝国の王家だと説明を受けた。
皇室に対する報道で、敬語が時々問題になるが、
昔、今の憲法が出来る以前から、国民は皇室に対して違和感なく敬語を使っていただろうと思う。
学校では教わらなかった。
100年安心の年金プランもたかだか数年で、崩壊。
既に、はなからそんなことは当てにはしていない、と町の声は言うが、実は、これこそが、お役人の目指すところだろう。
政治を牛耳る人やお役人は、国民を愚かなる大衆と信じて疑わない。
間違いなく、どうにでもできると考えている。
厚生労働省のノンキャリの人、逮捕されたけど、それまで築いてきた地位と名誉、なにより生きがいを棒に振ってまでも悪事をするには、それに見合うほどの利益がないと、普通はしない。
よほどの利益があったのか。
それとも単に、「上」から命令だったのか。
上からの命令でも、上の人は逮捕されないだろうな、きっと。
天皇家にパラサイトして、栄華を謳歌してきた古代の藤原氏と同じで、お役人は国民にパラサイトしている。
昨夜は友人の招待で、横須賀まで行って来た。
有名なレストランで、食事をご馳走になった。
特に、やりいかの活き作りが美味しかった。
店の真ん中に、水槽をつくって、そのなかに鯵だのイカだのを放って、それを料理してくれる。
新鮮だから美味しいというわけでもないそうだが、新鮮という響きだけで、美味しく感じてしまう。
もちろん魚は、毎日仕入れるので、狭い水槽で長い間、飼われる訳ではない。
どぶ板通りも案内してくれた。外国人が多く、たぶん海兵隊だろう、たむろしている景色はあまり感じがよくなかった。
最近は、海兵隊も志願が少なくなったそうだ。
ジョージワシントン空母は5000人の乗員らしい。ところが横須賀に到着すると、寝るのは空母の中で、それを嫌がる傾向にあるそうだ。
カラオケにも行った。カラオケといっても、ボックスタイプではなく、スナックだった。
一人のペルー人がホステスで働いていた。女性が4人もいて、けっこう盛況だった。
スペイン語で話しかけると、喜んでくれた。
横須賀にはペルー人はいないが、近くにはけっこうまだいるらしいということだった。
久しぶりにべサメムーチョを歌い、カラオケを楽しんだ。
税金の無駄遣い、年金の杜撰な管理やいい加減な使途。それも責任をとる人はいないし、
影響力の大きい有名なキャスターというか、司会者というか、立派なことを発言している人が、拉致被害者の横田さんはもう亡くなっていることを公表したり、
http://www.youtube.com/watch?v=tVHyh4rEuKA&hl=ja
その発言は間違いだと、政治家が言ったり、
その根拠を追及するニュースはないし、
拉致事件をなにかの間違いだと公言して憚らなかった土井さんとか、政治家としてとんでもない人もいたり、
今まで多くの政治家が北朝鮮を訪問しても、知っていても拉致事件にはまったく触れなかったり、
とんでもないことが多すぎる。
これらに比すれば、インフルなんて屁みたいな感じだ。
これが自由社会のありがたい所だ、と思えなくもないが、
だんだん、とんでもなことに麻痺していく、諦めてしまう気持ちが湧いてくる。
とてもおバカさんを売りにしているタレントを笑えない。
それでも、多くのお役人や政治家は真剣に日本ことをおもって仕事をしているんだろうと信じている。
明日、久しぶりに横須賀に行く。
友人が、食事に招待してくれた。
横須賀は、魚が美味しい。すし屋の名前は忘れたが、そこで食べたこはだが印象に残っている。
鮑は高価な食材なので、日本では食したことがない。
鮑は、ペルーにもある。種類は違うが、美味しい。日本ほど大きくはないが安く市場に並んでいる。
ペルーにいたころはよく買って食べていた。
一度、ペルーの友人が大きな鮑を3つくれた。それは今まで市場では見たことがなかった。
普段、漁師が行かない島でとってきたという。島までは4、5時間かかるそうだ。
誰もいかない場所には、やはり大きないい鮑があるんだなと思う。
その3つの鮑の味は別格だった。
先日、ペルーに行ったとき、このことを思い出して、友人にあの鮑がまた食べたいと、
ずうずうしく言うと、もう今はとれない、と言っていた。
明日、横須賀の友人に面の皮を厚くして、言ってみようか。
パチンコには、けっこう行く。
耳栓をしっかり用意する。幸い飛行機の中でもらった、性能のいい耳栓があるので、それをつかっている。
あるパチプロが、長年パチンコをやり続けた結果、パチンコを打つなら、耳栓は必需品だと、ブログの中で薦めていたからだ。
パチンコのやりすぎで、耳の機能が衰えたそうだ。
確かに耳栓は、必要だと思った。
飛行機で貰った耳栓は、硬いスポンジ状で、指で細くしてから、耳に入れる。すると、耳栓は耳の中で元の大きさに大きくなって、耳を塞ぐ。
騒音から、一気に静かな音になる。騒がしいとは感じない。
今、パチンコ店には、マスクが常備されている。無料配布だ。もっとも、僕が行くパチンコ店だけかもしれないが。
マスクの無料配布は、気が利いている。
それなら、耳栓も用意したらどうか。どの程度の価格か知らないが、それほど高くはないだろう。
裁判員制度が始まった。
全国30万人が選出されたそうだが、
30万人というと、かなりの数だ。これに当たらないのだから、宝クジなんて、やはり夢のまた夢だと、あたらためて思う。
昔、西村寿行の小説を読んだことがある。
うろ覚えだが、自分の娘が強姦される。それを助けるために父親は犯人を殺してしまうか、過剰な攻撃を加える。
裁判で、それが過剰防衛だと判断される。
父親は、親としての感情や、その場で過剰な防衛だとか、過剰な攻撃だとか、いちいちそんなことは冷静に考えられないと主張するが、聞き入れてもらえなかった。
主人公は、その判決を下した裁判官の娘を拉致して、目の前で強姦する。
そして、実際の体験を裁判官に味わわせる、というものだった。
警察が積み上げた証拠の数々中から、瑕疵を見破ることは難しい。
冤罪で苦しんだ被害者が、警察の取調べの横暴さを訴えていた。ひどいと思うが、一方では、
優しい取調べなんて、ありえないとも思う。
素直に罪を認める被告人だとしても、それが嘘なら、嘘だと見破るのも難しい。
プロと素人、一種の対決だ。
裁判員には、一生の守秘義務があるというが、法廷でのやりとりは公開しても問題はないという。いやむしろ公開して欲しいと当局は願っているとも聞いた。
誰かが、ブログで公開するだろう。
新型インフルエンザの流行で、煩わしい事態だ。
罹患するのはかなわないが、どうもおかしい現象がある。
テレビに映る画面では、アメリカではほとんどの人がマスクの着用をしていない。しかし、日本では一定の効果があるということで、売り切れている。
医療では同じ最高レベルにあるアメリカと日本では、かくも違いがあるのかと、ビックリする。
アメリカでも日本と同じように、マスク着用を推進しているだろうか。
やらないよりは、やったほうがいいだろうとは、想像がつくが、
科学的にその程度なら、慌てることもなかろうに、と思う。
昨年、ガンになったひとが、どうも実験台のような感じだと、抗がん剤をやめた。
高学歴で、常識的な人物だったが、当初抗がん剤の治療を受けて頑張っていたが、
抗がん剤での治療が思わしくなかったのだろうか、
ある日、それをやめてしまった。
僕の周囲で起きた、この出来事は、
昔読んだ近藤誠の本を思いださせた。衝撃的な本だったが、素人にも分かりやすい文章だった。
僕が理解したところでは、一言でいえば、ガンには効果的な治療法がない、手術も抗がん剤も役には立たない、というものだった。
この出来事からすると、これは、今でも、さほどの進展はないだろう。
情報を一方的に流される立場は、よほどの腹を据えて生きなければならないと、思った。
背泳ぎで世界記録を出しても、すぐ認められるわけではなく、
承認されている水着着用でなければならない、ということを初めて知った。
それなら、はなから、承認されている水着着用と、すればいいものを、と思う。
仮に今回の記録が承認されない場合は、着順はどうなるだろうか。
失格になってしまうのだろうか。
選手が気の毒すぎる。
鳩山さんは小沢さんの傀儡だ、ということが言われているが、岡田さんだったら傀儡ではない、という根拠が不明だ。
傀儡を言うなら、自民党はお役人の傀儡ではないのか。
年金、天下り、無駄遣いと次から次へと問題が取り上げられても、日本国民はデモをするわけではなく、暴動を起こすわけでもなく、
じっと大人しくしている。
大人しくしているのは、昔は美徳だったが、もう美徳でもなんでもなくなった。
大正時代だったか、軍人は一般国民からいじめられた。ゴク潰しだと、ののしられた。
石を投げた方は投げたことを忘れしまうが、投げられた方はいつまでも覚えていると、本で読んだことがある。
そのツケは、昭和になって回ってきた。
派遣は、人買い人売りのイメージがつきまとって、どうもいけない。
派遣では、ロイヤリティーは醸成できない。会社は、従業員のものではく、株主のもになってしまった。とすると、従業員からもロイヤリティーは失われる。こんな会社が長くもつわけはない。
母親が病気でペルーに帰国するという。
今朝友人のペルー人から電話があった。悲しそうな声だった。
「仕事は?」
訊くと、ないという。
「奥さんは?」
同じように、働いていないと応えた。
仕事を失って、貯金を切り崩して生きている。
頑張りやの働き者だったので、持ち家だ。ローンは残っているだろう。
優しい言葉などは役にはたたない。
なにも出来ない僕は、ただ聞いているしかない。
やりきれないとは、こんなことを言うんだろうか。
スペイン語のパンフレットを自己流で作成して、友人のペルー人に添削をお願いした。
修正箇所だらけで、実力のなさを思い知らされた。
スペイン語はかなり保守的な言語で、新しい言葉が辞書の世界で認められるのは長い時間必要だ。
もちろんスラングのような若者言葉もあるが、日本語のようにたくさんあるわけではなく、しかも消滅するのは早い。
日本語はその点、柔軟性に富んでいる。
自由に新しい言葉を作り出して使っている。
「食べれる」のようなラ抜き言葉は、テレビなどのインタビューに答える際、普通に使用している。聞いていても違和感を感じなくなってしまった。
ラ抜き言葉を使っても、教養のない人だ、と感じる人はいまどき、もういないだろうと思う。言葉にうるさい人でも、教養がないとまでは思わないだろう。
しかし、「信じれる」という言葉はどうだろうか。「信じられる」の方がまだ一般的のような気がする。
スペイン語は、なかなかこうはいかない。
間違った使い方をすると、すぐ教養がないと、判断されてしまう。
日本語はなぜそうはならなかったのか、不思議だ。
ペルーの全てを知っているわけではないが、フジモリさんはペルーに、もっとも貢献した大統領の一人として歴史に名を残すことになるだろうと思う。
フジモリさんの前は、現大統領のアランだった。この人がひどい政治を展開して、ペルーは経済も治安も悪化の一途だった。
テロには日本人も何回も襲撃され、有名なところでは東京銀行リマ支店長の襲撃、ワラルの日本人農業技術者の殺害、それから大使公邸事件など悲惨なことばかりだった。
アランの時代には、テロは最高潮に達して、毎日のように警察官や公人が殺害されていた。
誘拐も、しょっちゅうという感じだった。
日本人駐在員は、出勤退勤のルートや時間帯をずらして、誘拐から身を守っていた。
爆弾事件も多発していた。
自動車に盗んだダイナマイト詰め込んで放置して、企業を爆発させたり、高架線を倒壊させて、停電はいつものことだった。
経済のたて直しやテロ撲滅をやり遂げたのが、フジモリさんだ。
ペルーでは、テロ撲滅で、やりすぎたことばかりが、報道されているが、
この辺りは、日本の報道でも同じような感覚を受ける。
選挙が近い。
小沢さんの政治献金問題は、マスコミの異常な執拗さを感じる。
ちょっと前の、芸能人の裸騒動の異常な報道。
マスコミは、現代では、間違いなく最高の権威になっている。
受身一方の立場は、よほどの注意が必要だ。