虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

他人事

2011年12月29日 | Weblog

昨夜放送された原発についての議論が面白かった。

ある専門家が福島の放射線量なら全く健康に影響がないことを主張していたが、

素人が聞いてもむなしさを感じるほどの説明だった。

政府、というか官僚というか、国を牛耳っている人々は、こっち側の意見に立っていることがわかる。

名前は忘れたが、彼によれば、癌などは発症しないと断言していた。

他の専門家は、タバコの危険性や列車に乗る危険性を例に出していたが、

放射線が勝手に向こうからこっちに侵入し、健康を害するかもしれない危険性と、

自分の意思との危険性は同次元では比較できないことは、学問の研鑽をつまなくとも、

素人でも理解できる。

 

今回の地震津波で甚大な被害を被った事実から、また原発事故から、

国を牛耳っている人々は、

一般の庶民が、想像するほど、期待するほど、あるいは漠然と思い描いているほど、

愛情には満ちてはいないし、どちらかというと、できれば関わりたくないという意識で一杯なんだと、ということがよく分かった。

日記@BlogRanking

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藁一本

2011年12月23日 | Weblog

独裁者が亡くなって、メディアはいろいろな角度で取り上げている。

外国の独裁者はたった一人だから、独裁だと直ちに理解できるが、そうでない場合は、なかなか独裁を実感できない。

独裁者は、たった一人の気まぐれな意見でも、簡単に通ってしまうという印象があるが、このあたりはどうなんだろうか。

けっこう難しいのではないかと思う。そうであっても、一応はみんなの意見だって聞くだろう。

独裁者が一番困るのは、おそらく民衆と不満分子だろう。

そのためには常にエネルギーを使わなければならない。民衆と不満分子に満足感を与えることができればそれが一番いいのだろうが、実際は困難で、多くの場合は恐怖で抑え込む方法をとっている。

 

日本は、官僚による独裁にちかいことをやっているのではないか。巧妙すぎて実感を持てないが、見事にコントロールされている。

あまり調子に乗ると、藁一本で爆発してしまうかもしれない。

日記@BlogRanking

 

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運がいいかも

2011年12月21日 | Weblog

ブログの面白いところは、会ったこともない人たちと言葉を交わし、感じたことを交換するところだろうか。

言葉のやり取りは、普段使う日本語で、相手を気遣い、丁寧な言い方をする。

これがいい。

 

バイト先で、こっちが積極的に挨拶しても、挨拶がない場合が多々ある。

挨拶するのは、もちろん返事が返ってくるものと思ってするが、それだけではなく、今日もがんばろうとか、よろしくとか、一方的に一種姿勢を示すようなところがある。

だから、相手から返事がなくとも、かまわないが、相手への感性に何かしら影響を与えるのだろうか。

続けていると、そのうち相手もなにか感じるのか、小さな声で、もぐもぐ返すようになる。

挨拶は一種習慣だから、慣れない人にはけっこう難しいだろうと思う。

挨拶しないからといって、人間性まで疑うことはないが、環境が変わったりすると、たかがあいさつで損してしまうことがある。

 

友人がメールをくれた。

「あなたって、運がいいね」

一行文だった。

理由は皆目見当がつかないが、なんとなく活力をもらった感じで、うれしかった。

日記@BlogRanking

 

 

 

 

 

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悲しい

2011年12月16日 | Weblog

冷温停止したと首相が発表した。

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE7BF03Z20111216

冷温停止で事故収束だと打ってある。これが事実なら、よかったと思う。

冷温停止って、いわゆるお釜がちゃんとしていればの話で、お釜の底が抜けて、核燃料が今どこにあるのか分からないって、この前発表したばかりだと思っていたが、記事からはどうなっているのか、まったく分からない。

収束、というのはもう放射性物質は飛散しない、という理解でいいのか、いまだに飛散しているのか、それも分からない。

分からない、だけならどうでもいいが、その発表が信じられないのが、悲しい。

日記@BlogRanking

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上から眺める

2011年12月10日 | Weblog

窓から眺める曇り空が広がり、見ているだけで寒く感じる。

曇り空は、なんとなく元気が出ない。

 

今朝土曜日、放射線汚染の自主避難地域の人々が、避難したくとも避難できないことを報道していた。

年間の線量が1ミリシーベルトを超える。この数字は呼吸する空気だけなのか、または水や食料といった摂取するものまで含まれているのか、見逃した。

放射線の専門家のコメントが、バカバカしく聞こえる。

一人は、ゼロに近い数字だから全く心配には及ばない、もう一人は影響があるから避難すべきだという、両極端。

とても学問を研鑽した専門家とは思えない。

だから避難できる人は、さっさと避難する。

報道された人は、まだ若く二人のお子さんがいるのに、5年前に新築した家のローンがあり、避難したくとも簡単にはいかないという。

にもかかわらず公務員と議員のボーナスは、増えたという。

 

多くの民間の人々が支援を行っている。本来、いの一番に支援し保護しなければならない人々は上から眺めているような、そんな気がしてならない。

日記@BlogRanking

 

 

 

 

 

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なんだか分からない

2011年12月08日 | Weblog

明治の粉ミルクが放射線に汚染されていたことがニュースになった。

報道によれば、ミルクを乾燥するときにその熱風というか、空気によって汚染されたと推測しているという。

空気は、人間が日常呼吸している空気をそのまま使うことはないだろうから、高性能なフィルターを通しているだろうと思う。

にもかかわらず、汚染されたというのは、外の空気はかなり汚染されていたことになる。

考えたらこっちの方が不気味だ。

とにかくなんでも汚染されているわけだから、粉ミルクは安全だと考える人はいなかっただろう。

危険だと判っていても、普通の人は、それを使わざるを得ない。

魚は、もっと危険だろう、と想像している。それでもその魚を買わざるを得ない。

野菜もコメも同じで、口に入るものは、すべてそうだ。

 

政府や、明治をはじめとする大手企業は、汚染されていることを百も承知だろう。

だからこそ、小出しにしたり、意図的に検査しなかったり、後出ししたり、国民を愚弄し続けている。

この姿勢は原発事故直後からなにも変わっていない。

そこには為政者の思惑があるんだろうと、想像している。

それがどんなものなのかは、全くわからない。

日記@BlogRanking

 

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一抹の寂しさ

2011年12月02日 | Weblog

先日、原発事故の最前線で陣頭指揮をとってきた所長さんが入院した報道を見た。

記者の質問、被曝量を問うと、所長さんは個人情報を盾に詳細を明らかにしなかった。が、

一言、それなりの被曝をしていると、語った。

インタビューは終始朗らかに明るく終わったが、なんとなく寂しさのような、寂寥感が感じられた。

ついお大事にと、テレビに向かって言ってしまった。

このとき、「それなり」というのが精いっぱいだったのか、それとも被曝量は公表してはいけないと釘を刺されていたのかわからないが、

「それなり」の意味はいろいろと憶測ができる。

所長さんの被曝環境は、爆心地にいて、かつ事故処理にあたってきた被曝だから、「それなり」の環境は、かなりのものだろう。

 

放射線量の多い地域での病気の調査などは行われているんだろうか。

日本人の死因のトップの病気だとか、○○名に○○名の人がこの病気を抱えているとかデータがあるわけだから、たぶんしかるべき機関が調べているんだろうと思う。

調べても、これまでに、つまり公害や薬の被害で訴訟になった時、さんざん繰り返されてきた言葉、

「因果関係を認めることができない」って、また言うんだろうなと思ってしまった。

日記@BlogRanking

 

 

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