外国では、というと語弊があるが、すくなくともペルーやアメリカでは、
仮にドロボーに入られた場合、警察に届けて、非難しても、
入られる方が悪い、と言われる。
ドロボーだけではなく、ウソをつかれて被害を受けても、
ウソをつかれて、ウソが真実となってしまうのも、ウソを信じる方が悪い、となる。
だから、ドロボーに入ることは悪いことである、ウソをつくことは悪いことである、という価値観よりも、
ドロボーに入られる方が悪い、ウソを信じる方が悪い、という価値観の方が、より常識的になる。
日本人には馴染めない価値観だが、それだけ生きている環境が厳しいことが分かる。
子供にウソをつくことはいけないことだ、と教えるのはいい。が、騙される側はもっと悪いことを、または愚かであることも教えなければ、
これからの日本での生活は難しい、のではないか。
そして、この価値観は、おそらくは、日本以外の国では圧倒的に多いだろうと、推測している。
普通の日本人は、ウソをつくと、それが言動に出てしまう。それは、ウソをつくことはいけないことだと、思っているからだ。
ところが、ウソをつくより、騙される側が悪い、という価値観では、ウソをついても平気でいられるし、ウソをつくことに全力を傾ける。しかも、もっともらしく言動できる。
隣国では、歴史やオリジナリティー、あるいは起源論で、平気でウソをつく。それを世界に発信する。それに反論しない、放置すればそれが事実になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC
後で、ウソがばれても、騙された側が悪いのだから、謝る必要も無い。
これが、世界的常識なのだろうと思う。