難民や移民を、節度なく受け入れるのは、ダメだろう。
ヨーロッパでは、あまり大声では言わないが、各国とも失敗だと考えているだろう。
文化が違う、民族が違う、宗教が違う、こういった人々と、「共生」などできないだろう。
否、できないことはないが、失うものも多いのも事実だ。
詳しいことは知らないが、例えば日本のある地域の人口比のどのくらいを占めれば、影響力を持つだろうか。
アメリカでは、○○系アメリカ人が選挙で大きな影響力をもつと、どうでもいいことでも、その民族の主張をきかざるを得なくなるという。
例えば、韓国系アメリカ人は既にその域に達して慰安婦像を設置したり、日本を攻撃する働きかけを議会にしていると、
青山さんが説明していた。
こうなると、恐ろしい。
文化、習慣、日常のエチケット、道徳、宗教。これらが異なれば、日常生活は鬱陶しくなる。
教育だというが、それを住民に求めるのは酷だ。
鬱陶しいだけならまだいいかもしれないが、やたら人権だ、権利だ、差別だと騒乱をおこされたら、たまらないだろう。
もとより日本人は、
「まあ、まあ、しょうがないか」
と争いを好まないから、譲歩に次ぐ譲歩になるだろう。
ダメ元って言葉があるが、ダメだと予想されることは、普通の日本人はしない。
ところが、移民を望む多くの外国人は、ダメと分かっていても、主張する。それに対して、明確に「ダメ」と言えない日本人が多いだろう。
こんな性格だろう日本人は。
以前、スーパーでバイトしていたとき、レジを済ませた主婦が卵を落として数個が割れた。
責任はすべてその主婦にあり、店は全く関係ない。ところが、その主婦は、
「卵が割れたから交換して」
と、平気で言った。店員は明確に「ダメ」と言わないで、上に相談してくるからと応えた。
ここで既に間違っている。相談するってのは、応じるってことだ。
人道問題から言えば、誰にも優しく、愛情を持って接するというのが国として大切だと思うが、
それだと、多くの日本人が泣きを見ることになるだろう。