よく軸がブレない人、発言がブレる、ということを聞く。
昨日言ったことと、今日の主張が違っては、確かに、普通の社会人では信用を失う。できるだけ言行一致が望ましい。が、
それも、実は日本の社会の中や、自分の生活範囲の話であって、日本以外では、「ブレる」のは当然だ。
「私を信用してください」
この言葉は、けっこう有名になって、マスコミでも取り上げて、首相を批判する際に使うが、
アメリカは、はなからそんなことは信用などはしていないだろう。ましてや言葉などは信用できない黒人の歴史が染み付いている大統領には、頭にも残らない。
日本の文化は中国や韓国のコピーだと、主張するが、
「パクリは中国の文化」
と、かんたんに開き直りができる。恥ずかしさを感じることはない。これが、おそらく世界の常識だろう。
かつては、さんざん植民地化していたヨーロッパの国々が、いまの中国のアフリカ政策を形を変えた植民地化だと、平気で批判する。
これが、常識なんだろう。
ブレない人、ブレない民族は、現代まで生き残ってはいないだろう。生き残っていても、秘かに、だろう。
ブレない人は、ブレる人を強くは批判はしない。
ブレる人は、他者のブレを強く指摘、批判する。
だから、生き残る。
インカ帝国が、わずかの人数を引き連れたピサロに征服された一番の理由は、たぶん、この「ブレない」民族としての生き方にあっただろうと、思っている。
あるとき、
ペルーである駐在員と仲良しになって、いろいろとりとめのない話をしたことがあった。
彼は、有名なメーカーで働いていた。
「社長はどの程度の給料なのかな?」
と問うと、
「5倍程度くらいかな」
と応じた。
つまり、日本は社長といえども、実際に家計にはいる金額は、一般社員とそれほど差がないことになる。
どんなに違っても10倍の違いはないだろう。
方や一般大衆車、一方は高級車程度のちがいだ。
とすると、日本は、資本主義社会であっても、事実上は、中国、旧ソ連などの共産主義国や社会主義国がなし得なかった報酬の平等化を、実現してしまった、ことになる。
これは、しかし、人類の歴史に刻まれるべく偉業だとおもうが、どうだろうか。
ペルーは、社長と一般社員との給料格差は100倍あっても、それは普通の話だ。
1万円と、100万円の差が当たり前だ、ということだ。がちがちの実力本位の社会だ。
いまでも、同じだろう。
今の日本は、どうだろうか。
だんだん、ペルーやアメリカに近づいているような気がする。
方や一般大衆車すら持てないが、一方は相変わらず高級車というわけだ。
本来は、たぶん、いまの現状が世界の常識、持てるものと、持てないものがくっきり分かれている、が、
日本がこうなることは、どこかに大きな落とし穴がありそうな気がする。
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