虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

ありがとう

2017年12月31日 | Weblog

今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

 

韓国がやっていることは、とても、まともとは思えない。

羞恥心がまるでない。国家としての体をなしていない。

北朝鮮も似たようなもので、

朝鮮半島だけは、世界に類を見ない、文明も文化も精神も年月とともに、退化していく。

こんな国と、よくもまあ、ン十年も日本はまともに付き合ってきたなあと思う。

好き好んで疎まれることを平気で、しかも積極的にやる。

 

来年は、久しぶりにニューヨークとペルーにいく。

1月18日に出発。2月5日に帰国だ。

楽しみにしている。


来年は、いろいろ騒がしい世の中になるかもしれない。

お互いに、ネガティブなことは「ない」と思わず、「ある」と思っていたほうがいいだろう。

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目くらまし

2017年12月23日 | Weblog

寒くなってきた。

暑いのも鬱陶しいが、寒さも厄介だ。

もっとも、四季がもたらす文化のほうがはるかに大きいが。

日本に生きるものとして、国への感謝、恩を忘れることはできない。

ましてや、日本を貶すことなど正気に沙汰とは思えないが、

それでも、日本を貶めるためだけに生きている人々がいる。

それも自由だが、悲しい、なにかを喪失した人生にしかならないだろうと思う。

 

この頃、というか、ここ数年というか、マスコミによる民意のコントロールがこれまで、どれだけひどかったか、

よく分かる出来事が目立つようになってきている。

マスコミも、すでに開き直った感じがする。

目くらましが、通用しなくなっている。

 

日本政府はたいしたもので、韓国をまだ相手にしている。

韓国は上も下も、例の慰安婦合意などは平気で踏みにじっている。

それでも、日本は、履行を粘り強く迫っていく、と言葉で言っているだけだ。

韓国は、日本に要求ばかりをしているにもかかわらずだ。

日本になにか大きな利益でもあれば別だが、特になにかいいことがあるとも思えない。

 

韓国は、というか、民間団体なのか、アメリカにまで慰安婦像を立てている。

おかしいというか、正常ではないというか、児戯というか、

何を考えているんだろうと思ってしまう。

おそらく、ただひたすら日本を貶めるためだろう。

この辺は、日本のおかしな国会議員や、民間団体とそっくりだ。

 

虎ノ門ニュースは、視聴している。

この番組を多くの人に見てほしいと、切実に思う。

素直に頷くことができる、ごく当然のことを解説していてくれる。

いまだに、憲法九条のお陰で日本は戦争しなかったと、思っている人がいるのも驚きだ。

 

共産党が、憲法九条のお陰で、自衛隊員が一人も死ななかったと、主張している。

ならば、それはそれは平和憲法ではなくて、自衛隊員保護憲法だろう。

なぜなら、憲法九条のお陰で、北朝鮮に多くの人が拉致され、いまだに救出すらできていない。

ならば、国民犠牲憲法だろう。

決して平和憲法でなどではない。

覚醒。

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つまらない

2017年12月17日 | Weblog

多様性という言葉を以前からよく聞くようになった。

これって、たぶんまやかしだろう。

人間社会においては、これが成功し、機能している国など存在しない。

あの国で、教育費がタダになっと言えば、そっちに行き利用する。

医療費が少なくて済む、といえば目の色を変える。

 

国が孤立することは、ないだろう。

 

 

国が国民を思って、国民を守る。

こんな国は地球上には、多くない。

国民が国を思って、無意識であれ、平和に、安心して暮らせるよう、行動する国も、多くない。

 

昔、ブラジルに行ったとき、

ブラジルの閣僚の財産で、ブラジルの借金をチャラにできる、と聞いた。

それほど、私腹を肥やすことに熱心だ、ということだ。

ブラジルに限らず、南米は、というか、世界は似たようなものらしい。

表面的には、愛国心あふれる国民性だが、お金に関しては、個人的な利益が優先するらしい。

賄賂があまり効かないのは日本くらいで、しかも上層部、決定権や権利を有する層には賄賂は有効だが、

最先端の職員にはまるで効かない。

試しに、交通違反で捕まった時、10万の賄賂ならと思うかもしれないが、

賄賂をポリスに渡したら、どうなるか、経験するのもいいかもしれない。

おそらく、交通違反プラス、なにか罪がついてしまうだろう。

日本は変な国で、権限の多い上層部は賄賂に転ぶことがあるが、最先端の真面目な職員は、無理だろう。

世界は、上から下まで、賄賂が効く国のほうが多いだろ。

 

議員が献金を受けて、献金に見合う行動をすれば、本質的には賄賂と同じだろう。

よく、団体の支援をうけて当選し、その団体が有利になることに熱心になるのは、これも賄賂と本質は同じだろうと思う。

 


給料に100倍も200倍も格差をつけるのは、いくら資本主義、実力主義、そうであっても、首をかしげてしまう。

人間に、仕事に、それほどの差があるとは思えない。

トイレを清掃する人、あるいは先端で総務関係の仕事は目立たないが、「いなきゃ困る」仕事だ。

これなどは、失ってはならない自然な感覚だろう。

 

お金優先社会は、

丁寧な仕事より、より合理性を選択することになる。

それはつまらない社会になるだろうと思う。

だって、エチケットだの、道徳だの、他人に迷惑をかけないとか、嘘をつかないとか、

安心安全、安穏に暮らせるための要素は、ことごとく失われていくだろう、と容易に想像できるからだ。

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前回の続き

2017年12月10日 | Weblog

寒くなった。

インフルエンザも流行の兆し。

避けることはできないが、体力をつけることはできるので、充分な睡眠、栄養、規則正しい日常、

昔から言われたことを実行しよう。

非科学的なことでも、昔からのいわれや、習慣には経験的な積み重ねがある。

大事なことだと思う。

 

芳しくない体調が続くとき、6代前の先祖が食べていたものを摂取するといいと、聞いたことがあるが、こういういわれは馬鹿にできないだろうと思う。

 

来年1月、ペルーに行く計画をたてた。

バイトが忙しくてなかなか時間が取れないが、三週間ほど休みの許可をもらったので、いってくる。

ペルーと言えばインカ帝国だが、インカ帝国の住人は、どうも争いが少なかったようで、遺跡からは、武器などはでてこない。

博物館に行っても、武器の展示はすくない。

アイヌが、争い事を嫌い、仲良くやってきた文化を築いたというが、インカ帝国も似ている。

アイヌの博物館には、やはり武器はないようで、戦争には長けていなかった。

それは、相手を信用する、約束を守る、姦計をしない、など戦争にはまるで不利な文化だったという。

日本、というか内地の武士と三度ほど戦いをしたが、すべて負けている。

いわば、相手の善意を信じると、勢力を失って、滅びてしまう。

こんな話を武田先生が動画で話していた。

インカ帝国もどうも同じようで、

スペイン人の戦争に長けた関係にはまり、滅ぼされた。

何万というインカ軍がわずか数十人のスペイン人に負けた理由をうまく説明している学説はないが、

アイヌと同じように、相手の善意を信用したからだ、そう思うようになった。

 

今でこそ知っているが、子供のころは、アメリカが戦争で原爆を使ったことや、

ひどい空襲をおこなって、一般人を殺したのは、国際法違反だが、そんなことを誰からも教えてもらったことはない。

戦争だから、しかたないと思っていたが、

この国際法違反を声を大きくしていう人は少ないし、問題として取り上げない。

アメリカは正当化している。

これが、アイヌやインカと異なる外交なんだろうと思う。

そして、姦計、騙し、裏切り、こういったことをうまく使う人種や国が、栄え、

いわゆる正直村は、悲惨なうちに滅びていく。

 

経験的に知ったことは大事で、この前提で外交をしなければならない。

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善意は不要?

2017年12月03日 | Weblog

相手の善意を考えて物事を進めるのは、日本だけとは言わないが、日本の大きな特徴だろうと思う。

 

 

ドンパチがありそうな気配になってきたが、どうなんだろうか。

素人にはわからない。

アメリカはジャイアンみたいなもので、本質的な理屈を言えば、北朝鮮を攻撃する理由が、ホントは明確ではない。

とはいえ、北朝鮮のようなほんまもんの独裁者が核兵器、生物兵器、化学兵器を自由にできるってことは、恐ろしい話だ。

日本は拉致被害者がいるから、北朝鮮を攻撃できる理由はあるだろうと思う。

本来は理屈は簡単であろう。

 

どうも、人間の歴史は、戦争の積み重ねで、今日の世界が出来上がっているので、国同士の決めごとや条約は、

争い、殺し合い、奪い合い、騙しあい、を前提としたものなっている。

しかも、それすらも時に、簡単に破棄されてしまう。

これでは、いくら言葉を尽くして決めても、「いざ有事」となれば、安心はできないのが道理だろう。

 

こんなことは、人間は長い歴史の中で、経験的に知ってしまっている。

要は、妄想であっても、誤解であっても、危険だとわかれば、先に叩くのが、世界的な常識だろう。

 

日本のように、なんでも善意を前提とした決まり事をつくるのは、世界には存在しないだろうとおもう。

日本の、対韓国や中国の外交も、この相手の善意を前提にしたもので、たびたび「こんなはずでは・・・」という思いをさせられてきたように思う。

相手の善意を考えられない思考は、悲しいことだが、悲しいと理解していても、それでも善意を信用できない資質はいかんともしがたいことだろう。

 

こういったことに敏感に反応して物事を主張する識者や議員もいるが、

彼らはたいてい、批判の的になってしまう。

この頃は、NHKでも取り上げないことが多くなってしまった。

 

今の日本には彼らのような感覚というか、感性というか、

必要な時代だと、思う。

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