虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

壊したいシステム

2023年12月24日 | Weblog
外国に住めば、日本の良さを実感するというが、

40年も前に南米ペルーで生活した時は、そのことをいやというほど思った。

街中はションベン臭いし、道路はごみが散乱し、家を出れば、スリやヒッタクリに注意しなければならず、

鬱陶しい毎日だった。それでも住めば都で、友人知人がいれば、それなりの楽しい生活だった。

いまでも、年1回か、二回、ペルーの友人たちを訪問するのは、とても楽しいことで、なんとか都合つけて行っている。



10年ひと昔というが、

ペルーも40年前に知った頃とは、格段に異なって見える。

あのなんとも言えないションベンの臭いはなくなって、道路からはゴミが消えて、レストランは増えて、

きれいになっている。

ただ、ドロボーやスリだけは変わらずに跋扈しているという。

ところが、そのペルーへ、ベネズエラからの不法移民がかなり入り込んで、荒らしているという。

レストランに行くと、ベネズエラの女性と思われるきれいな娘さんがあちこちで働いている。

真面目に労働しているなら、それはそれで問題はないだろうが、南米の特徴なのか、

ペルー人の上を行くベネズエラ人のドロボーがたくさんいるという。



日本は本当に特殊な国で、民度の高さ、教育の高水準、性格の良さ、他人を思う気持ちなど、

諸外国から簡単に利用されてしまう「人の良さ」を備えている。

「悪貨は良貨・・・」ではないが、

日本に大勢の正式な移民、不法滞在者、自称難民や、あるいは外国から労働力をいれたり、

すでに多くの外国人が生活保護を受けたり、格安医療を受けたり、

真面目に働いている日本人も、外国人もなんとなく馬鹿を見ているきがする。


頭脳明晰な政治家やお役人は、こんなことはすでに百も承知だろうから、

日本のシステム、日本の良さ、日本の秩序など、営営と積み上げてきた文化習慣伝統を、

壊そうとしている、

たぶん、そうなんだろうと思う。壊して何をしたいのかわからないが。

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恥のない世界

2023年12月17日 | Weblog
師走だというのに、世界が落ち着かないし、日本だっておかしさ満載である、そんな感じだ。

これがテレビと新聞だけなら、こんな不安な気持ちにもならないが、

YouTubeを視聴すると、飽きもせずに殺戮を繰り返す人々から、

貧者をさらに貧者にしようとする政治、素人にはさっぱり不明だが、女風呂に入りたがる男子の話題だとか、

うまいこと日本に寄生している外国人だとか、

ずいぶんと混とんとした時代になっているなと、思う。



日本の警察は、しっかりした組織で、真実を明らかにするものだと信じていたが、

どうも、再審再審で、死刑から無実になったりする現実があると、

いい加減なものだなと思う。

例の、躊躇傷を一切残さず、肺まで一気にナイフを突き刺して亡くなった人の事件の、再捜査の件は、

事件性なしと判断され、自殺で処理されたと、YouTubeで見たが、

事件性がないなら無いで、しっかりした説明をすればいいものを、と思う。



日本のお役所は、明治から昭和と、非常に素晴らしいとおもう。

日本のことを、日本人のことを、一番に考えて仕事しているんだと思う。

ところが、国が安定し、経済力がついて、多くの人が豊かになってくると、

おかしな輩がたくさん出てくるのも、自然の流れなのか、と思う。




ペルーに赴任した時、ペルーの日系一世の人の話を聞いた。

息をするように噓をつく、平気で他人の物を盗む、騙す、と多くの事例や経験をあげて、結局は、

「ペルー人は恥というものを知らない」

そう教えてくれた。


現代は、恥のない世界かもしれない。





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七十も過ぎれば

2023年12月10日 | Weblog
年齢を重ね、七十も過ぎれば、とりとめもなく、死にまつわることを考える。

今朝は、ペルーの友人とズームで話したが、

今世の人生で、いいこと悪いこと、やったことで、「あの世」の行き先が決まるのか、とか

だいたい「あの世」はあるのか、とか

どうでもいいことを話し合ったが、

お互い死んだことがないので、結局は観念論というか、どこかの本の話とか、YouTubeにたくさんある不思議な体験とか、

死後の世界から帰ってきた話だとか、

面白かった。

結論は、あの世があってもなくても、死んでから考えても遅くはないだろうということになった。



ただ、自分の膚感覚というか、思いこみというか、なんとなくというか、

どうも、死んだあと、何かしらの世界があるだろうとは、思う。

太古の昔、世界には死んだ後の世界や、生まれ変わりのことや、当時の人々も悩んだことだろうし、

おそらく、不可思議な体験などもたくさんの人々がしただろうと思う。

そして、当時の人々のほうが、感というか、感覚というか、そういった目に見えない世界については、

たぶん、彼らのほうが鋭い感覚を持っていただろうと思う。



で、この世界でやったことによって、あの世のことが決まることがあるのか、ないのか、それはさっぱり分からないが、

真面目に生き、人のために尽くし、亡くなった人々と、ロクでもない人間と同じにされては、やってられないな、

そう思う。

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