姿かたちは、他人には大変な影響を与える。
高級な服装でもなくても、洗濯が行き届き、清潔感があれば、それだけで立派だと信じてしまう。
そのように自分も心がけているし、
そのような人を見れば、敬意を表してしまう。
どんな格好でも、他人を服装や姿かたちで判断してはいけない、とは分かっていても、
どうしても、姿かたちに影響をされてしまう。
人前に出るときは、だから大切にしている。
だからといって、もちろん全てを信用しているわけではない。
亡くなった有名なキャスターは、姿かたちは立派だった。話し方も上手かったし、インテリでもあった。
テレビに出て物を言う人は、たいてい同じだろうと思う。
ところが、もう昔だが、ペルー大使公邸事件が勃発したとき、このキャスターのコメントには心底腹が立った。
人質の安全開放が一番なのに、それを妨げる記者の行為を、わざわざ正当化していた。
このとき、姿かたちや話し方、話の上手さはあてにはできないことを、あらためて知った。
人前に出るときは、多少は気をつかう。
しわしわのYシャツや汚れたシャツ、汚れのついた靴は避ける。
ましてやなにか喋らなくちゃいけないときなどは、よけいだ。
できるだけ上手く話そうと思う。
そういった機会は誰にでもあるだろう。
話の上手い人を羨ましいとも、感じる。が、
経験上、話の上手い人で、この人は立派だな、と思うことは少なかった。
88歳になる人から少し話をうかがう機会があった。
常日頃から、日常の情報に耳を傾けて勉強している。
あるとき、まだ40代のころ、突然、人が訪ねてきた。人、といっても利害関係があるわけではなかった。
訪れたその人は、スーツだった。
それを見て、彼はすぐスーツに着替えて迎えた。
似たような話を他でも聞いたことがあったが、
実際にそれを実行した話は、はじめてだった。