虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

姿かたち

2009年09月30日 | Weblog

姿かたちは、他人には大変な影響を与える。

高級な服装でもなくても、洗濯が行き届き、清潔感があれば、それだけで立派だと信じてしまう。

そのように自分も心がけているし、

そのような人を見れば、敬意を表してしまう。

どんな格好でも、他人を服装や姿かたちで判断してはいけない、とは分かっていても、

どうしても、姿かたちに影響をされてしまう。

人前に出るときは、だから大切にしている。

 

だからといって、もちろん全てを信用しているわけではない。

 

亡くなった有名なキャスターは、姿かたちは立派だった。話し方も上手かったし、インテリでもあった。

テレビに出て物を言う人は、たいてい同じだろうと思う。

ところが、もう昔だが、ペルー大使公邸事件が勃発したとき、このキャスターのコメントには心底腹が立った。

人質の安全開放が一番なのに、それを妨げる記者の行為を、わざわざ正当化していた。

このとき、姿かたちや話し方、話の上手さはあてにはできないことを、あらためて知った。

 

人前に出るときは、多少は気をつかう。

しわしわのYシャツや汚れたシャツ、汚れのついた靴は避ける。

ましてやなにか喋らなくちゃいけないときなどは、よけいだ。

できるだけ上手く話そうと思う。

そういった機会は誰にでもあるだろう。

話の上手い人を羨ましいとも、感じる。が、

経験上、話の上手い人で、この人は立派だな、と思うことは少なかった。

 

88歳になる人から少し話をうかがう機会があった。

常日頃から、日常の情報に耳を傾けて勉強している。

あるとき、まだ40代のころ、突然、人が訪ねてきた。人、といっても利害関係があるわけではなかった。

訪れたその人は、スーツだった。

それを見て、彼はすぐスーツに着替えて迎えた。

 

似たような話を他でも聞いたことがあったが、

実際にそれを実行した話は、はじめてだった。

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1000年の平和

2009年09月29日 | Weblog

誰もが、お腹一杯ご飯を食べることができるようになった時代は、いつ頃からだろうか。

それほど以前だとは思われないが、

子供頃は、お腹一杯食べていた記憶がある。

とすると、ここ50年くらいだろうか。

明治や大正、江戸はどうだったのだろうか。お腹いっぱいとは言えなくても、けっこう楽しめた時代ではなかったろうか。

 

腹いっぱい喰えれば、次に求めるのは快適な生活だろう。

よく成金というけど、なにかの拍子に成功して大金をつかむと、

大方は、まず車を買う。次が家か。

 

心が満足する時代、というのは来るのだろうか。

今日、ペルー人の友人と名古屋に行った。

ペルーにスーペという小さな町がある。そこに遺跡がある。約4000年ほど前らしい。遺跡の名前は忘れしまったが。

ここの遺跡からは、民衆が楽しむための笛だとか、土器しか出てこない。

武器は、みごとに一つも出てこない。

どんな遺跡からも、武器は出てくる。ここだけが例外の様な感じだ。

友人によると、その遺跡の時代は1000年くらい続いたらしい。

つまり1000年間は、争いがなかったことを意味すると言っていた。

 

歴史は繰り返すという。

繰り返すのは、なにも激しい争いだけではないだろう。

1000年の平和だって、繰り返すかもしれない。

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本能の質

2009年09月28日 | Weblog

今はもう言わなくなったが、ポルノのことを、

昔は、エログロという表現をしていた。

戦前からあった大人の時間だが、多少意味合いが今と違うのは、

経済的にどうしようもなくて働く、薄幸な女性をイメージしてしまうが、

現代は、手軽に稼げるというイメージの方が強い。

イメージだけだから、実際のところはわからない。

どちらにしても、それほど暗いという感覚は、両者、つまりお客にも当事者にもないような感じだ。

 

30年以上も前にブラジル行った。

当時は、ボアッチという売春酒場がたくさんあった。

広い店内で、女性がダンスを踊っている。

もちろんお酒だけを飲むこともできる。

お店はお酒を売って利益をあげる。

女性は、その場所にいって、お客を待つ。

実に、あっけらかんとした雰囲気だった。

 

同じ本能なのに、昔から、広い意味の恋愛しか芸術の対象にはならない。

同じ本能なのに、眠ることや、食べることが芸術の対象にはならないことが不思議だった。

音楽の世界でも、絵画でも、小説でも、恋愛だけが芸術たり得た。

単に寝姿だけを延々と映し出した映画があったが、とても我慢できないしろものだった。

芸術家の身ではない自分には僅かに、想像するしかできないが、

どの本能も他人に見られるのは恥ずかしいが、恥ずかしさの本質が違うのではないかと、思う。

心理学的には、恥ずかしいと感じるのは、敵から身を守れない状態だから恥ずかしいと感じるらしいとは、どこかで教わったが、

どうも、同じ恥ずかしさでも、恋愛は異質な気がする。

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基本

2009年09月27日 | Weblog

土曜日、みんなでマザー牧場に行ってきた。

大勢の人で一杯だった。

名前からもっと素朴な感じをイメージしていたが、テーマパークと変わらなかった。

動物と触れ合うことのできるイベントや、乳搾りの体験、乗馬などができる。

子供には、素晴らしい場所だと思う。

東京からレンタカーで行ったのだが、混雑もなくスイスイ進めた。

ソフトクリーム、ステーキ、ジンギスカンなどの料理も楽しめる。が、

実際食べたハンバーグに限って言えば、お金のとれる代物ではなかった。

食べ物は、どんなときでも基本だと思う。

 

10月からNYに行くことになった。

久しぶりだ。

友人の中に、シャンプーのCM出ている女性がいる。めちゃくちゃ綺麗な人だ。子供ができなくて悩んでいたが、女の子ができて喜んでいた。

訪ねると家内の名前を呼んで、遊んでくれと、せがむ。

もう3年くらいは会っていないが、どうしているだろうか。

アメリカ人と結婚し、国連で働いていた日本人女性もいる。彼女の英語力は大変なもので、医学書などを翻訳している。

彼女が作るさつまいもの天婦羅が美味しかった。

 

英語を話すわけではないが、学生時代の文法教育のお陰で、筆談ができる。会話は、日本で生活しているなら、そんな機会はほぼない。

やはり基本的な文法を少しでも勉強してよかった、と実感している。

日記@BlogRanking     ハロウィン

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自棄

2009年09月26日 | Weblog

自棄酒は、まったく経験がないが、

自暴自棄になったこと、なることはある。

自棄酒は、翌日が厳しく、金輪際飲まないと、誓うらしいが、

夕方になれば、とりあえず一杯やろうか、となるらしい。

飲める人は、それで、また楽しいかもしれない。

飲めない人間は、そのまま自棄起こして、終わることが多い。

 

インカに伝わる布製品には様々な色が染められている。

時間が経過すれば、その色も褪せては来るはずだが、

インカの布に染められた色は、決して色が褪せることがない。

いまだに、当時のままの色で、墳墓から掘り出される。

技術なのか、気候のせいか、なんだかわからない。

残念ながら、この技術を今に伝える口伝の類や、資料などは残されていない。

文字があれば、その秘伝、当時は秘伝でもなんでもないだろうが、残されているはずだが、文字を持たなかったインカ人の知恵を知る由もない。

インカの歴史は、文字がないため、征服したスペイン人が書き残したものが資料として使われている。だから、本当のことは、分からない。

なぜ文字をもたなかったのか、ミステリーだが、おそらくは、意図的に文字を作り出さなかった、のではないかと考えている。

キープと呼ばれる、縄で結び目を作って、それで数量を表したものがあるが、それとても、想像で数字を当てはめるしかない。キープでは大量の情報量を処理できない。

有名な天野博物館に行くと、キープの結び目に0から10までだったか、9までだったか、忘れたが数字を当てはめてある。

10進法が自然だと思うが、分からない。

当時、インカに0の概念があったのか、知らないが、

キープに0を当てているのを不思議に感じたが、0という考え方は存在していたかもしれない。

 

ヒンズーの思想では、生まれ変わりが信じられている。それも中途半端なものではなく、一種の知恵というか、魂胆と言うか、かなり厳しいものらしい。

つまり、自分の人生が今世では、たまたま人間だが、来世はゴキブリかもしれない、今世では、とんでもない金持ちであっても、来世はカーストの一番下かもしれない。

これが延々と、永劫に続く。

となると、生きる意欲というか、希望もなにもあったものではない。

馬鹿馬鹿しくて、働く気も起こらないだろう。

この際限なく続く生を、途中でまったくのゼロにしたい、輪廻から逃れたい、この枠から外れたいと、考えてもおかしくはない。

その方法を求めて厳しい修行をするものがでてきても自然のような気がする。

ここからゼロという考え方が生まれたらしい、とは聞いた。

釈尊も、そんな中の一人だった、らしい。

かなり説得力のある説明だ。

 

自棄を起こすのも、取り返しがつけばいが、

取り返しのつかない自棄は、起こしたくないものだ。

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畏れる

2009年09月25日 | Weblog

昔から人智を超えた現象は、掃いて捨てるほどあった。

現代でも、同じようなものだ。

昔の人は、たとえば、ふわふわ浮かぶ人魂や幽霊など見たときは、どうしたんだろうか。

おそらく疑問も持たずに、素直に恐れおののいたり、ひれ伏した、と思う。

これは今でも、やはり変わらない。強がりを言っても、たった一人でそんな現象に遭遇すればだれでも同じようなものだろう。

理由はよく分からないが、気分はよくない。

うまく、自分の中で説明できないと、やたら不安になってしまう。

 

UFOやUMAも同じようなもので、

不安がなせるわざか、不思議な現象には、恐れおののく。

 

昔の方が、いまより説明できない現象は多かったはずだから、

素直に恐れる。

科学が進んでものごとを説明できるようになると、人々は恐れおののくことを嘲笑するようになる。

それでも、説明できないことには、あいかわらず、恐れてしまう。知識が増えた分、よけいに恐れるかもしれない。

 

人間の心は、もしかしたら、説明に苦慮する最たるものかもしれないが、人間は人間を恐れない。否、畏れない。

畏れる事を知ることは、うまく生きるための知恵かもしれない。

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筋肉痛

2009年09月24日 | Weblog

お酒には縁はないが、

西田佐知子が歌うCMソング、貼ってみた。

 

筋肉痛などは、もう数十年も知らないままできたが、

息子に、

「ずいぶん筋肉が落ちたね」

と衝撃的なことを言われて、二日ほど頑張って、身体をいじめたら、

今日は筋肉痛で歩き始めに苦痛を感じた。

とくにふくらはぎと太ももに、気持ちのいい痛痒を感じた。

せっかくの筋肉痛だから、もうすこし頑張って歩いてみよう。

 

中学時代は、バスケットクラブに所属し、毎日活動をしていた。当時は疲れても、のどが渇いても水分をとることが許されなかった。よけいに疲れてしまうとか、体に悪いとか言われていた。

それを素直に信じていたからか、

水分補給をしなくても、とりたてて身体に問題の出る生徒はいなかった。

変われば変わるもので、脱水症状を防ぐには、のどが渇く前に水分補給をするべきだと、専門家は言う。

 

専門家が言うほど、とても大事だとは思われないが、

のどが渇いたら水を飲めばいいと、思っている。欲しくもない水を、感じる前に飲むのはおかしい。

 

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わからないづくし

2009年09月23日 | Weblog

シルバーウイークを移用して、

インドから来たペルーの友人と、山梨にある日蓮宗の身延山までいってきた。

友人は、日本の歴史に詳しく、よく勉強している。

インドは仏教発祥の地でもあり、仏教にもかなりの興味をもっている。

変わった外国人だ、というと叱られるが、

ベジタリアンだし、ヨガもやっているし、

どうみても少数派だろ。

インドでは、ホントかウソか知らないけど、70%くらいの人がベジタリアンだそうで、レストランには、ベジタリアン用のメニューがどっさりあるそうだ。

ベジタリアンにも、いろいろカテゴリーがあって、

根菜類、大根、にんじんなど土に隠れて日の当たらないものは、野菜でも食さないらしい。

この辺は、もう思想的にもいくら説明を聞いても不明だ。

やはり一種の宗教的な考え方だろうと思う。

東京で、ベジタリアンはかなり困る。レストランを見つけるのが大変だし、あってもすぐ近くにあるわけではない。いきおい、コンビニのおにぎりですますことになる。

だからか、よく果物は食べる。

途中からベジタリアンになるのは、不思議な気がする。

よほどのことがあったんだろうと思う。

 

日本人が興味を持たない、知らなくても気にしないことを、外国人は質問してくる。

屋根についているマークのような、家紋のような、

「あれは何を意味するんだ?」

わかりっこないから、

「考えたこともない」

と逃げる、事ばかりだった。

お坊さんに訊いても分からない。

わからない、わからないづくしの観光だった。

 

 日記@BlogRanking    紅葉(もみじ)イラスト     

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友人の出迎え

2009年09月19日 | Weblog

ひところ、タミフルの副作用、異常行動がニュースになっていたが、

最近は報道されることがなくなった。

タミフルと異常行動の因果関係が証明されないのか、

それとも、他の理由があるのか、わからない。

分からなければ、自分で判断するしかないのか、と思う

 

今日はインドからの友人を出迎えに、成田まで行った。インドからといっても、インド人ではなく、インドに駐在しているペルー人だ。

もう3年生活しているという。

1年目は、インド人の常識はずれの言動に、ああ、インド人からすればもちろん常識だが、悩みに悩んだそうだが、もう慣れたと言っていた。

カーストは厳然と存在していて、インド人同士では瞬時にカーストの違いを理解するらしい。カーストといっても、1000以上はあると言っていた。

こうなるともう想像がつかない。

用をたした後、左手をつかって水で洗う。紙をつかう日本人には、否、日本人以外でも、

「汚い」

と感じるが、インド人からすれば、

紙を使う我々を「汚い」と、当然感じる。

 

普通は、もう普通と言う言葉すら使えないが、ペルー人は、テーブルに座って、フォークをつかって食事をする。そのように厳しく子供をしつける。

インド人はちがう。土間と言うか、床というか、に座って、手で食べるように、躾ける。

土間や床に座るのは、どのくらいまでのカーストなのかわからないが、大方はそうだろうと思う。

それぞれのカーストは、いつ、いかなる場所でも、「自分の立つ位置、いる位置」を守る。

他のカーストの邪魔はしないし、争いもない、という。

さっき聞いた話だが、住んだことのない僕には、想像すらできない。

 

日本に住んでいるインド人は、どのように生活しているんだろうか。日本人のようにグループをつくっているのだろうか、それとも、同じインド人でもカーストが違えば、グループなどはつくらないのだろうか。

分からない。

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ピスコ&ピンガ

2009年09月18日 | Weblog

八ツ場ダムの、「八ツ場」を「ヤンバ」と発音するのをいぶかる人も多いだろう、と思う。

試しに「八ツ場」と検索してもダムのことばかりで、肝心の読み方は出ていない。

想像するに、書くとおりに「ヤツバ」と発音していたのが、なまって「ヤンバ」になってしまったのだろう、とは思う。

 

日本語には、このての言葉が結構ある。

世論、施行、代替、大舞台。NHKの発音の影響が大きいのだろうか。

 

スペイン語はローマ字読みすれば大方は正確に発音できる。つまり日本語をローマ字表記したときと同じ発音だ。

これがときに、厄介になる。

雑貨屋を細々とやっていたある日本人。

ドローボーが、ペルーでは多いので注意をしていたが、その日もドロボーにやられてしまった。

ドロボーの後を追いかけながら、大声で周囲に助けを求める。

「待て~~~~!!」

この「MATE~~~!!」は、スペイン語では

「殺せ~~~!!」

と言う意味になる。

さぞ、周囲のペルー人は驚いたことだろう。

という笑い話が伝えられている。

 

笑い話程度ならまだいいが、深刻なこともある。

自分の実際の体験がある。

ペルーに行く前にブラジルで2~3ヶ月過ごした。

ブラジルには有名な地酒「ピンガ」という強い酒がある。発音も日本語と同じ発音だ。

ストレートで飲む人は少ない。レモンと砂糖を入れて、楽しむ。

ペルーにも、地酒がある。「ピスコ」という。質のいいピスコはストレートでもいけるらしいが、だいたいは中にレモンを絞っていれる。

ペルーの歓迎の席では必ず、このレモン入りのピスコが出る。

ピンガを知っている人なら、

「ああ、ブラジルにはピンガがありますね」

と言ってしまうのは、極めて自然だ。ところが、

この「ピンガ」は、ペルーでは、男のものを指す言葉、しかもかなりきつい言い方になる。

 

何回も言ったあと、

注意を受けたとき事は、いまだに思い出しても恥ずかしい。

 日記@BlogRanking  おかたづけ4

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後悔を感じる

2009年09月17日 | Weblog

時々、イヤな思いをしたときのことを、思い出す。

それで、怒りまで感じるか、というとそうでもない。

思い出になってしまった、ということだろうか。

反対に、イヤな思いをさせたことも、思い出す。

こちらの方は、後悔を感じる。

多少、成長したということであろうか。

ここら辺りの心理は、どうなっているんだろうか。

 

昔、後輩を公衆の面前で叱ったことがある。

後輩は、公衆の面前で叱られたことに腹を立てて、歯向かってきた。

喧嘩には自信があったのだろうか、謝るまで、許してはくれなかった。

僕は、謝罪をして、その場をなんとかおさめたが、

そのときは、納得がいかなかった。

数年後、後輩に癌が見つかって、入院した。

彼を見舞うと、

「すいませんでした」

と、僕に一言、他人には分からないように謝った。

そのとき、ああ、彼はずっとあの時のことを後悔していたんだな、と感じた。

後輩は、それからすぐ死んでしまった。

 

自分にも、謝るチャンスがあるだろうか。

 

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既に宗教

2009年09月16日 | Weblog

外国で、注意しなければならない二つの話題がある。

一つは宗教、二つ目は政治のテーマだ。

二つとも、どんなに話し合っても答えが出ないし、議論はかみ合わないし、

その意図がなくても莫迦にしたと誤解されがちになる。

やすやすと、興奮して、自制心を失ってしまう。

 

昨日、日本人の鯨を食べることについての番組があったが、テレビだから、それなりの演出などもあるだろうが、

オーストラリアの人々が口角泡を飛ばして、日本の研究用捕鯨や、それを食べることを非難していた。

主張していることは、屁でもない理由で、そこが演出なんだろうけど、

「鯨は頭がいいから、殺して食べたらいけない」

「ほかに食べるものはいっぱいあるのだから、鯨を食べるのは贅沢だ」

「鯨は殺されることを知っている」

などと、主張していた。

政治の話題でも宗教のテーマでもないが、

実は、これはもう宗教の話題と大差ない。

 

それぞれの信徒には、

「牛を食べたらいけない」

「豚をたべたらいけない」

「●○をしたらいけない」

これらには議論の余地はない。

信徒以外の人も、いちいちそれに屁理屈をつけて反論しようとか、非難しようとは、

絶対にしない。

 

ところが、鯨には、宗教はかかわっていないので、議論や話し合いで解決できると、錯覚してしまう。

だから、双方簡単に自制心を失い、興奮してしまう。

 

捕鯨反対の話や、鯨を食べることに反対の主張は、

すでに「宗教」だと、

日本人は知るべきであろう。

 

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スジャータ

2009年09月15日 | Weblog

「スジャータ」と言えば、コーヒーに入れるミルクで有名だ。

スジャータは、あのお釈迦さまにミルク粥をあげた娘の名前だ。

多分、コーヒーに入れるミルクの「スジャータ」は、ここからとったのだろうと思うが、確かなことは分からない。

 

苦行し続けた釈迦は、後にも先にも私ほど苦行をしたものはいないだろう、と言ったほど苦行したらしい。

自らの身体を痛めつけるのは、当時にあっては、唯一の覚る道であったろうと思う。覚るとは、なんのことはさっぱり分からない。

多分、リンカーネーションからの解脱だろうと思うが、

釈迦の苦行を見て、同僚たちは、彼こそは覚るだろうと、考えた。

ところが、スジャータからミルク粥の施しを受けた釈迦を見て、同僚たちはあきれ果てて、釈迦を見捨ててしまった。

伝説なのか、単なる話なのか知らないけれど、3000年も前の人間って、いろいろ考えていたんだなと、思う。

「ミルク粥の施しを受ける」のは、それまでの苦行を否定してしまうことに繋がりかねない。

にもかかわらず、施しを受けた釈迦の行為には、なにかメッセージがあるような気がする。

欲の塊である普通の人には、苦行はできない。それを、

普通のままでいいよ、と主張しているような気がする。

 

もしかしたら、その普通が一番難しいことなのかもしれない。

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お互い様

2009年09月14日 | Weblog

パパイヤの話をしたら、栃木の友人が欲しいと言うので、送ることにした。

彼なら畑を持っているし、うまく育ててくれるだろう。

彼の梅ノ木からとった梅干がうまくできたことを伝えると、喜んでくれた。

もちろん出来上がりを差し上げた。ついでにアンデスの岩塩もプレゼントした。

人間関係は、持ちつ持たれつがいい。

 

子供の頃から異国にあこがれて、仕事で最初に日本を出たのが、24、5歳だった。

行き先はブラジルだった。

とにかく、ストップが多くて、足はパンパンに腫れて、とんでもなく長い時間がかかった。

サンパウロに到着すると、いきなりあたり一面はコーヒーの香りでいっぱいだった。

コーヒーは、布に包んだコーヒーを煮出してつくる。

そのなかに、これでもか、というほど砂糖を入れる。

だから、甘い。

どの会社でもポットにコーヒーをつくってあって、それを小さなカップにいれて出してくれる。

一口飲んだら、それで終わり。

やたら飲んだ記憶がある。

当時は、極端なインフレで、朝と夕方では、大根一本の値段が違っていた。手に入ったお金はその日のうちにつかわなければ、価値が下がってしまう。

シュラスコという、主に牛肉を塩水につけて塊のまま焼く豪快な料理が安かった。

甘いコーヒーとシュラスコ、太らないわけがない。

帰国して、太った父親を見た娘は、いきなり大声で泣いた。

 

今は、そのブラジル人が大挙して日本に出稼ぎに来ている。

国同士も、お互い様が一番だと思う。

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名古屋の友人

2009年09月13日 | Weblog

名古屋駅の新幹線ホームにある、きしめんは美味しい。

やたら醤油くさくて、食欲をさそいます。

 

古い友人を、金曜日、土曜日名古屋に行ったときに、気になって訪ねた。

友人は本業とは別にレストランもやっている。

ハンバーグの美味しいお店だ。高くはない。

本業は少し前までは、破竹の勢いで業績を伸ばして、一千万以上もする車を乗り回していた。

あこがれのGTRも所有していた。

迎えに来てくれたときは、もう小さな大衆車だった。

勢いがあるときは、それが続くと思ってしまう、

と自戒をこめて言っていた。我が身と思い、心して聞いた。

 

レストランは順調のようだ。

レストランにも女性の友人が働いている。

僕のことをパパと読んでいる。

ちょっと、浮腫んでいたので、訊いてみると偏頭痛、腰痛、肩こりで悩んでいた。

いろいろ試しているが、効果はないという。

医者を代えてみるのも、良いかもしれない、と助言にもならないことを言って、

近々の再会を約束してレストランを後にした。

    日記@BlogRanking                絵の具1

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