虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

ペルーで生きようか

2010年01月30日 | Weblog

マチュピチュ観光から、やっと昨日救出された、とガイドの友人からメールがあった。

50、60名の日本人のうち9名が彼女の受け持ちだったそうで、

観光客の中では若い人たちだったので、順番が後の方になったとのこと。

救出されれば、ホッと一息、やれやれだ。

この洪水で、ペルー観光のキャンセルが相次いでいるそうで、

何か事件や事故があると、すぐ仕事が減ってしまう、と嘆いていた。

もっとも、ペルーに行って、マチュピチュ観光が出来なければ、価値が半減してしまうのも無理からぬことだが。

 

リマ市には、異常なくらい中華レストランが多い。

ペルーでは中華料理や中華レストランを「チーファ(CHIFA)」と呼称する。ペルーだけで使用する言葉だ。他のスペイン語圏では通用しない。

ちなみにボリビアのサンタ・クルスでは「マンダリン」と言っていた。マンダリンは、サンタ・クルス市では一番大きく有名な中華レストランだから、自然とみんなが中華レストランをマンダリンと一般化したのだろうと思う。

リマ市の中華レストランは一般的な安い店と、とんでもなく高い店がある。提供される料理に、価格ほどの差があるとは思えないが、レストランそのもののつくりには極めて大きな差がある。

どのお店も、まずまず美味しい。

昔、行きつけだった中華レストランがあった。名前を「銀河」という。中華にしては名前の付け方が他とは変わっていた。残念ながらいまはない。

風の便りに、クスコで営業しているとは、聞いたが、定かではない。

ここの店主と友人になって、最高のフカヒレを食べさせてもらったり、

アンマンや肉まんのつくり方を教えてもらったことがある。

鶏の足だけの料理は、気持ち悪くてとても食えなかったが、

中華では、どの店よりもここが一番美味しかった。

一度、

「ツバメの巣を喰いたい」

というと、

「1000ドルかかるが、いいか?」

といわれて、さすがに断った。

 

生まれ育った国から離れて、異国に暮らすのは辛いだろうが、また夢や希望もある。

ペルーに行くと、ふと、ペルーで生きるのもいいかな、と考えてしまう。 

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金貨はどこにあるか?

2010年01月29日 | Weblog

ペルーの友人から、

「毎日、暑い暑い」

とメールが来た。

リマの夏は湿度が低いので、日中は暑くても、朝夕はけっこう爽快な気分になれる、筈だと思っていたが、このごろは、朝夕まで暑いそうだ。

普通、リマではクーラーは必要ないが、今年はクーラーが要るのかもしれない。

エル・ニーニョ傾向かもしれない。

 

今回のペルー行き、時間があれば、 友人から聞かせてもらった話に乗ってみたい。

以前にも、ちらっと書いたが、

それは、

スペイン統治時代、スペイン人が金貨を鋳造して本国に持ち帰る際、造幣所から港に金貨を運搬する途中、一度か、二度か、分からないが、強盗団がそれを横取りして隠した場所があるという。その場所に行ってみたい。

強盗団は皆殺しにされてしまったので、隠し場所が不明。

ここは、近年になって、1948年に大統領についたオドリアが、軍隊を送ってわざわざ調査させたらしい。これは記録が残っていると聞いている。

ところが、その記録によれば、その場所は異常な現象が発生し、仲間同士の正常な精神を奪い、お互いに殺しあってしまうという。

この辺りから、話としてはウソ臭くなってくるが。

場所は、特定できないが、近くまではなんとかいけるという。

目印は、コンドルの形をした岩があるという。コンドルというのが、いかにも伝説らしい。

ウソらしくなったところで、もう一つほぼウソだろうと分かる話。

ある老人が、山から町に下りてくる。老人は昔の金貨を一枚握り締めて、お店に行き、ひと月ぶんの食料を仕入れているという。

 

一人では無理だが、友人知人を誘ってチャンスがあれば、行きたい。

近くまでは、車でいけるが、車を降りてから6時間程度歩くそうだ。

 

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マチュピチュの災害

2010年01月28日 | Weblog

ペルーの世界遺産、マチュピチュの遺跡に観光客が2000人も閉じ込められたニュースが気になって、リマ市のガイドの友人に問い合わせをしてみた。それによると、


昨年末からペルーの気候がノーマルではなく、ややエル・ニーニョ傾向にあったらしい。

1998年には海水温度が4度もあがって、世界の気候に影響を与えたが、

やはり、太平洋の海水温度は少々上がり気味のようだ。マスコミでは、何度というような報道はされてないが、

今は、とにかく蒸し暑く、以前のように夕方になれば涼しいというかひんやり感がない。

そのせいか、アンデスに必要以上の雨。10日間くらいの降雨量を3日間で消化。それで地盤に緩みが生じたらしい。


友人のお客は全員日本人、1月23日がマチュ・ピチュ遺跡日帰り観光で、間一髪まぬがれたが、

もう一人、ガイドの友人のお客も日本人、翌24日だったので洪水に遭遇。

橋は流され、Aguas Caliente(アグア カリエンテ)からOllaitaytambo(オヤイタイタンボ)までの路線が不通になってしまい未だに脱出できないでいる。

ガイドの友人は、自分のお客だから、寝るまもなく情報収集に奔走していると思う。

身体を壊さなければいいが、心配だ。

 

全員救出には2~3週間はかかるだろう、という予想です。

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北海道

2010年01月27日 | Weblog

25、26日と、北海道に行ってきた。

JALのマイレッジを利用した。

マシーンで、バーコードをかざせばそれで、チェックインは終了。簡単だ。

往路は空席が目立った。座席指定した27番の一列は全ての席が空いていた。

飛行機を降りれば、一面銀世界。

空港から新札幌まで快速エアーポートで20分程度。

友人が迎えに来てくれた。暖かいのか、道路はアイスバーンではなく、雨に濡れたような感じだった。ところがちょっとわき道に入ると雪が積もっている。その上を器用に運転する、慣れている。経験のない人では、おっかない。

友人の家は、暖かい、というより暑い。友人はTシャツ一枚。1歳くらいの赤ちゃんは裸。

 

夕方、新札幌から苫小牧に向かった。

苫小牧も、暖かい。道路が凍っていない。

ここで、また友人と会って、夜札幌にいった。

宿泊したホテルは京王プラザ。マイレッジ利用だ。

札幌駅から、DAIMARUの中を通って、すぐだ。外を歩くが、近いので苦にはならない。

部屋は快適。係員も丁寧だし、明るい。

朝食はバイキングだが、どれを食しても美味しい。

周囲は中国人の観光客で満席。彼らがいなければ、ホテルも厳しいかもしれない。

あちこちから中国語が聞こえる。

 

早めに空港にいって、お土産を買った。2000円のクーポンがあったので、それで、生チーズケーキと、ティラミス、生チョコのスフレというのか、なんというか分からないが、それをゲット。

札幌空港には、待合室がある。クレジットカードを見せれば無料で利用できる。

札幌では、ここが快適なので、いつもここを利用する。

混んでいないのが不思議だ。

ミルク、コーヒー、野菜ジュースなど無料だ。時間も関係ない。

 

雪の北海道だからと、完全防寒でいくと暑すぎる。

10分以上外に出ることが予想されるなら、完全防寒が必要だが、それ以内なら東京にいるのと同じ程度の感覚で充分だ。

 

文明が発達することはすごいと思った。

 

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ペルーのカジノで適度に遊ぶ

2010年01月24日 | Weblog

リマ市にはカジノがたくさんある。

一流ホテルからレストラン、パチンコのような個人商店のようなカジノまで乱立の様相だ。

バカラ、ルーレット、マシーン、なんでもある。

ペルーにいた当時はよく行っていた。

ルーレットとマシーンをよくやったが、感覚的にはパチンコと同じだ。

1万ドルや5000ドルのジャックポットも当時は、けっこう目撃した。

ゴルフ仲間だった商社員が、ホントかウソか、ひと月で1000万をカジノにつぎ込んだ話も聞いた。

ペルーからの出稼ぎがピークだったころ、

旦那がせっせせっせと働いたお金をペルーに送る。

そのお金をカジノにつぎ込む奥さん。カジノは、はまるとなかなか抜け出せない。

悲劇が、生まれる。

知り合いの日系人もカジノにのめりこんで、どこかに行ってしまった。

 

本州に住む人は、北海道の雪道を歩くと転倒する。

ペルー人は雨道を運転したことない。だから忘れた頃に道路を濡らすほどの雨が降るとやたら事故を起こす。

フジモリ以前、クレジットで物を購入するシステムはペルーにはなかった。それがクレジットで購入できるようになると、手軽さからか、バンバンものが売れるようになった。その結果、支払い不能になる。買ったものは取り上げられ、また中古品で売られる。

経験のないことには、人は無防備だ。

カジノも同じようなもので、

100ドルが、あっというまに1000ドル、2000ドルになる「一瞬」がある。これはパチンコの比ではない。パチンコで10万稼ぐには一日かかる。

ジャックポットを何度か出せば、止められなくなる。

 

適度に遊べばいいが、この適度が難しい。

 

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ナスカ

2010年01月23日 | Weblog

ナスカの地上絵図は有名だ。ネットには写真が一杯掲載されている。

ペルーでもドル箱観光地と言えるだろう。

でも一度見れば、いいだろう。

確かにセスナ機に乗らなければ全体図を見ることができない。

絵ばかりではなく、悠久の昔に水が流れた後がくっきりと見える。その流れの後に絵が描いてある。

 

あの辺りは雨が降らない。水は必需品だ。水を、年がら年中求めていただろうとは、想像できる。

太陽が出れば、遠くに蜃気楼が見える。蜃気楼は満々と水を湛えた湖だ。

そこの湖から、こっち側に水が流れてくるよう、滑走路のような、水路のような、ものを描いたのではないか。

絵は一筆書きで、入り口が作ってある。流れてきた水を貯めるためのものだろう。

こんな仮説を以前テレビでやっていたことを、思い出した。

 

昔、ナスカまで車で行った。買ったばかりの、現地生産の日産車だ。

現地生産だから、つくりは悪い。

両側には、砂と禿山だけが延々と続く道を走る。

雨が降らない土地のすごさを知った。

セスナで、上から見る。パイロットは、世界一だという腕を見せてくれる。乗り物酔いをする人は、それなりの準備が必要だ。

上から見ると、何のために、という考えが自然と湧くが、

何のために、というより絵に思い込めた情念のような希望を感じた。

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ふと、思う

2010年01月22日 | Weblog

ハイチの地震を報道で見るたびに、やりきれなくなる。

貧しい上に、地震災害、災害の後には暴動。救援物資は一番困っている人には届かない。

こういうのを見ると一部の人間に都合のいい神は存在しても、多くの人間にとってのいい神はいないんだな、と思う。

アフガン、テロや権力とは関係なのない人々のほうがずっと多いだろう。

貧しくとも、静かに、穏やかに生活したい人々の方が多いだろう。

言葉や話し合いなどは、主張や権力、あるいはたかりの前では無力だ。

大多数はこんな不安定な、暴力蔓延な社会などは望まない。

 

 

小沢幹事長の金の問題。幹事長は与党だ。その与党が検察を批判、批難する。

外国から見たら、奇異だろうと思う。

国を動かす人々が、その国を支える検察、自分たちの仲間内、部下ともいえる検察を批判するのは、外国では考えられない。

これでは、日本は信用を、外国からなくすだろうと思う。

フジモリ、かつての大統領は、その地位にいる間は、テロ集団を撲滅した。

国民は安堵し、拍手喝采をした。にもかかわらず、次期政権はその仕事の瑕疵を見つけて、叩く。

こっちの方が、国としては正常のような気がする。

 

ふと、思う。

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占い師の友人

2010年01月21日 | Weblog

昨日、占い師の友人と会った。

美容師から日本語教師へ、そして占い師へ転職。

一番合っていそうな感じがした。

昨年まで、天津へ日本語教師として4ヶ月滞在。天津の学校では15、16さいの学生を教えていた。 

約500人の生徒、15クラスを受け持っていた。

日本を発つ前に、諸条件についていろいろ話をしたそうだが、現地とでは金銭面で大変な差があって、大変な剣幕で交渉したそうだ。

たいての日本人は、現地で言われる金額をそのまま受け入れて授業をするそうだ。だから、すぐ辞めるといっていた。

学生たちはみんな穏やかで、面白かったらしい。

 

占いは、算命学、手相が中心。

既に100人以上を見ている。2時間ずっと話を聞いていたがまったく飽きない。2時間があっというまに経過した。

場所は、大きな声を出しても問題のない、周囲を気にすることなく、しかも飲み物や食べ物があるところ、カラオケだ。

性格や、人生観などことごとく、自分で思っていることを話してくれた。

当てるのが占いではないらしい。算命学が教えることをそのまま話しているに過ぎないと、言っていた。

算命学はいろいろな占いの元のような存在で、ネットで調べると、面白い。

算命学は、直感というか、霊感のようなものではなく、演繹法に近いと思う。もちろん、個人感覚で行う占いも好きだが。

 

ペルーへの出発が近づいてきた。

こちらは、個人の感性による占いだ。

また、見てもらおう。

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肘までも

2010年01月20日 | Weblog

自爆テロの瞬間をテレビで見たが、言葉がない。

ハイチの地震は、略奪行為が報道されていた。

災害による略奪行為は、日本でもあっただろう。自動販売機などは狙われやすい。

有事の際には、言葉は役に立たないから、武力でしかコントロールできない。 

自分も同じ人間だと、思うしかない。

 

どうも、自分の周囲に、正義やおもいやりを期待するのは間違いなのだ、と思う。

自分が正義やおもいやりをもって働きかけなければと願うが、自信もない。

 

ペルーには、手を差し伸べたら、肘まで持っていかれる、ということわざというか、生きるための知恵というか、教えがある。

これを、何度となく経験した。

一度、ペルー日系人協会の役員の方が訪ねてきて、

「1万ドルでも、2万ドルでもいいですから、寄付していただきたい」

と、呆れるような言葉で頼まれたことがあった。

後で、落ち着いて考えると、

頼んでいる本人も、おそらく何度なくされてきた経験をもっているのだろう、と思った。

そういった社会環境なんだなと、あらためて感じた。

そして、たぶん、自分もたいして変わらないのだろう、とも思った。

 

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ペルーの偽札事情

2010年01月19日 | Weblog

日本で一時期偽札が流行したが、

ペルーは、あいもかわらず偽札が多い。

誰が作っているのか、わからないけれど、出来上がりはお粗末なモンから、ちっとやそっとでは見分けのつかないものまで、いろいろある。

銀行は、窓口の係員の責任になるので、係員が偽札を掴まされたときには、その札をお客に渡す。

銀行だから、と安心は出来ない。

何年もペルーに生活していても、偽札にひっかかる。

手口は、

タクシーの料金受け渡しの時が、狙われる。

ペルーの札は、10ソーレス、20、50、100の4種類の札がある。ときには、5ソーレスのコインの偽がある。作ってもそれほど価値があるとは思えないが市中に出回る。

お客が20ソーレス札を出すと、それをまじまじと調べて、

「このお札は偽のようだから、別の札をくれ」

と、言いながら本物の偽札?を渡される。仕方なく別の札を渡す。

これで済めば、まあ、いいと思わなければならない。

新たに渡した20ソーレス札も返されて、20ソーレス札は偽が多いので、50か100ソーレス札を要求される。

これで、友人のガイドさんが、ことごとく偽札で騙された。

防ぐ方法は、札を渡すとき、番号確認して、言いながら渡すのがいい。

 

偽札は、ペルーの通貨だけではない。

ドル札も偽が多い。

こうなると、もうどこでも信じられない、ようになってしまう。

ペルーは、銀行以外にも街中で、両替人がたむろしている。

両替人だから、大金を常に持っている。ドロボー天国のペルーでは極めて危険だから、両替人は、徒党を組んで、お互いがお互いを守るように警備している。

銀行より、少し有利だ。

以前はこれをよく利用していた。

「300ドル両替してくれ」

と、100ドル札を渡した。

彼らは、手品師のように素早く偽と取り替える。そして、

「これは偽だから別のをくれ」

と、同じ言葉を繰り返す。

札をコピーしていたので、大声で、

「お~~~い、この男はな~~~あ」

と叫んで、近くにいる仲間の両替人に告げると、男はあわててしまい込んで、

「許してくれ」

と懇願した。

両替人のグループは、信用を当然大事にする。

 

偽札ではないが、古いドル札と新しいのを交換してくれと、1000ドルほど頼まれたことがあった。

軽く引き受けて、日本円に両替するために銀行に出すと、

すると、4、5枚機械が反応しない。偽ではないが、機械が反応しない。両替が出来ないので、しかたなく、NYの友人に渡して、NYでつかってもらった。

本物だから、NYでは当然流通する。

この札は、実は麻薬取引で得たドル札を、赤ちゃんに使用する粉と一緒にカメに入れて隠しておいたものだった。

 

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保養地

2010年01月18日 | Weblog

もう、20年ほど前だが、カンクンに行ったことがある。

2度行った。

海は緑色で、やたら綺麗だったが、町全体がドブ臭くて参った。

宿泊したホテルは忘れてしまったが、とにかく大きなホテルだった。

海は泳ぎに適した海岸ではないが、そこで泳いで波にのまれて大事なめがねを紛失してしまった。

めがねがないと生活できないから、町中を探して、牛乳瓶の底の様なレンズの分厚いやつを買った。

ホテルのプールで末娘が泳いで、おぼれた。3歳くらいだったか。

浮き輪から身体が外れて、アップアップしていると、兄が飛び込んですぐ助けた。

すると、娘は浮き輪を掴んで、

「お兄ちゃんのバカ」

と大声で叫んで罵倒した。

 

カンクンは美しい、保養地だが、なんとなく魅力がない。なんというかのか、つまらない感じだ。

感覚的には、その後訪れたラスベガスにも同じような印象を持った。

 

リオに行ったのは、もう30年以上も前だ。

世界三大美港のひとつだと教わって、ホテルの窓から海岸を写真撮影した。

絵画的な海岸だった。

日本反対側まで来ている、という感動というか、人生の不思議さを感じた。

その後、何度もリオを訪れたが、最初の感動はなかった。が、リオが持つ味のような、エネルギーのような、臭いのような魅力を感じた。

 

ペルーの北部に位置する小さな町がある。プンタソルという。

エクアドルに近い。

年中太陽があって、日がな一日ぼけ~~っと過ごせるホテルがある。

砂浜は、あくまで白い。海岸に近いが、海で遊べるほど、穏やかな海ではない。

ここに、友人家族といったことがる。友人は、裏千家から派遣されていたお茶の先生だ。

わさび、醤油、などをもって、ホテルの食事に飽きると、調理場を借りて炊事した。

夜の遊び場も、ホテル以外のレストランも、電話もなかった。

カンクンやリオの、足元にも及ばない保養地。

いまでも営業しているかどうかは、分からない。

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ピンクの塩

2010年01月17日 | Weblog

10月に来日したペルーの友人があさって帰国する。

お土産にアンデスの塩を頂いた。

実は、お土産に何がいいか、きかれたとき、ずうずうしく塩と答えた。

この塩は、前回ペルーに行ったとき持って帰り、かなり気に入ったので、大量に欲しくなった。

ヒマラヤのピンク色の塩が、日曜日なると商店街に出る。これがかなり高い。

写真の塩はアンデス3000m高地から出る塩。同じようにピンク色だ。

なぜピンク色になるのかさっぱり分からないが。

 

この塩を使って、イカの塩辛を作った。

かなり美味しい。家族にも評判がいいので、調子に乗って何回もつくった。

塩辛い、という味ではなく、もっとまろやかな塩味だ。

ヨーグルトでの漬物もこの塩を使っている。こちらもかなりいける。

 

ペルーに旅行する人は、かならずクスコやマチュピチュに行くだろう。クスコに行ったら、この塩を手に入れることをお勧めする。

ただ、塩だから重い。多くても1kgくらいがいい。多分、すぐなくなってしまうが。

 

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北海道行き

2010年01月16日 | Weblog

25日に札幌に行くことになった。

雪のある札幌は5年ぶりくらいだろうか。

ある人が入院したので、そのお見舞いに行った。

雪のある道を歩くのは、難しい。寒いので急ぐ。急ぐとこける。

 

25日に札幌で用事を済ませて、苫小牧に向かう。夜、苫小牧の友人たちと会って、遅くに札幌に戻る。

JALのマイレッジをつかって、京王プラザを利用して、28500円。メチャ安だ。

28500円分は、30000マイルだが、本来ならお釣りが戻るはずだが、規定でお釣りは無し。

マイルは、ちょうどよくは、引き落とせないようになっている。

それでも、マイルで旅行できることなど、昔なら信じられない。ありがたい。

 

最初に北海道にいったとき、北海道人というか、人類学的に顔つきが違って見えた。

なんというか、顔は小ぶりで、美しい人が多いように思えた。特に女性がそうだった。

本州にいる人たちとは、顔の形がどうしても違って見える。

気のせいなのか、わからない。

後年、ブラジルに最初に行ったとき、

多くの日系人と会ったが、やはり日系人の顔が日本人とは違っている、ように見えた。

科学的に骨格などを調べれば、同じだろうが、どうしても違って見える。

 

半年ぶりの北海道だ。

雪道は、ゆっくり、しっかり歩こう、こけないように。

25、26日は、天候は穏やかであって欲しい。雪も降らないで欲しい。

 

日記@BlogRanking   かわいい虎さんのイラスト

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盗まれる準備

2010年01月15日 | Weblog

2月にペルーに行くというと、

友人たちが、

「じゃあ、我々も一緒に行く」

元気よく応じた。ところが、

結局は、取りやめになった。

一週間程度では、ペルーまで行くのはもったいない。時差ぼけが解消される頃に帰国しなければならない。

パック旅行には強硬なスケジュールもあり、 元気な人はいいが、体力がないと楽しめないかもしれない。

旅行は、ゆったりが、やはり一番いいだろう。

それで、また今度になった。

 

日本は、もうかつてのように安全な国、とは言えなくなったが、

安全だと、一度も評価されたことのないペルーを歩くには、ちょっとしたセンスが必要だ。

ペルーに限らずどこでも日本人というだけで、ドロボーに狙われる。理由は簡単で、スキだらけ、だからだ。

それに、どんなに安価な腕時計でも、日本人がつければ高級になってしまう。

とはいえ、これを修正するのは至難の業で、たぶんできないだろうと、思う。

つまりドロボーを防ぐことは、できないと、最初から覚悟した準備や備えをしておくしか方法がない、という悲しい結論になってしまう。

命や薬物にかかわることは、一切の妥協を許さず、まさか、と考えないことだけが、身を守ることになる。

 

実は、もう一つ、ドロボーを防ぐ方法があるが、リマ市内ではかなり有効だろうと思う。それは、サラリーマン風かOL風の格好をするのが、一番狙われにくい。

リマ市内は、間違っても腰につける、なんとかという入れ物だけはつけない、ことだだろう。

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紙切れ

2010年01月14日 | Weblog

ネットの世界はさまざまな意見が飛び交って、面白い。が、

真実かどうかは、また別問題で、判断はできない。

判断できるほどの知識も材料もないので、いろいろな意見を頭の引き出しにしまいこむしかない。

また、判断できたとしても、それほど影響があるとも思えない。

ただ、マスコミから、もたらされる情報には、簡単には与しなくなった。

 

もうだいぶ前だが、秘密文書というのが明らかになった。

米国の核を日本に持ち込むための合意が、実はなされていたというわけだ。

「なあんだ」って、ことで、

非核三原則とか、憲法だとか、日本全土を巻き込んだ議論や争いも、そういったものは、結局は紙切れと同じ価値しかないのだ。

そういえば、別に有事でなくても、約束事は、一方が破綻すれば履行されなくなる、というのも至極当然なことだ。

昔の漫画の台詞じゃないが、

「役者やのう」

という、チャバンなのかもしれない。

  

日記@BlogRanking   コタツに入っている子供達

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