山本夏彦だったか、石を投げた方は忘れてしまうが、投げられた方はいつまでも覚えているって、言っていた。
お金も一緒で、借りた方は早くに忘れるが、貸した方は多寡に関係なく覚えている。
恩は忘れやすいから、恩を忘れないことが大事なんだろう。
少しでも、恩を忘れないことを言うと、怒りだす人がいる。
恩を認めたくないのか、そんなものに価値を認めていないのか、この傾向はけっこう外国に多いような気がする。
ペルーでも同じで、そんなつもりはなくても、恩についてなにか言うと、
「エチャール エン ラ カ―ラ」
という。
つまり、恩着せがましい、というわけだが、意味的には、日本語よりかなり強い言い方になる。
考えてみると、おそらく、恩は恩で認めるが、あるいは世話になったことを意識しているがゆえに、それをいうと気分を害するのだろうし、
触れては欲しくないことなんだろう。
ペルーでは、自分の周囲を思い切り利用するのが普通で、これに関する表現の仕方もたくさんある。
逆を言えば、恩になろうが、なんになろうが、利用した方がいいし、
だからこそ、他人にはおもいやりを持たないことが生きるための知恵になっていると思う。
おそらく、恩を感じるというのは、英語でもスペイン語でも、ないことはないだろうが、よほどのことがないかぎり使わないのではないか。
たとえば、アメリカに移民し、アメリカ国籍を取得しても、アメリカと言う国に恩を感じるなんてことはないだろうと思う。
恩ではなく、それはアメリカは利用するためにある、そんな感じなんだろうと思う。
日本語では、ありがとうを乱発というか、ささいなことでも、お客でもあっても店員にありがとうをいう。
これが日本人と、韓国人、中国人を簡単に見分ける方法だとも言う。
文化、といってしまえば、そういうことになるが、ありがとうでお互いの気分がよくなれば、それでいいではないかと思うが、
そしてこれが日本人の生きる知恵なんだろう。