虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

まだでているのか

2015年01月30日 | Weblog

北朝鮮に拉致された日本人を救出したいと願うのは、普通のことだと思うが、

そうじゃない議員もいるようだ。

信じられないが、事実だろう。

ブルーリボンを首相は胸につけているが、つけていない先生方もいる。

つけない理由を聞きたいと思う。

 

前原議員が、件のイスラム国の人質についての質問のなかで、

「人の命に野党も与党もない」

と言っていたが、

これはウソでしょう。

事実なら、拉致された人々も同じ目線で語らなければならない。

 

朝日って、しっかりと、あいかわらずおかしい。

テロと特攻隊を同列で主張している。

どこが同じだと、思っているのか。

おかしいのではなく、すでに精神の病に罹患している。

こんな新聞がまだ毎日出ているのか。

 

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自分で大きくする

2015年01月18日 | Weblog

それほど寒くない1月でよかった。

これから、まだ先があるが、このままの冬で終わって、春が来て欲しい。

 

年をとると時間が早いと言うが、たしかにその通りで、とにかく一週間があっという間に過ぎる。

バイトも、半年続けばいいかなって、思っていたが、半年はゆうに過ぎた。

朝は、「もう命も終わりか」って、過去を振り返っているかもしれない。

昔、友人が交通事故にあった。

事故の瞬間は、本人は平気で立ちあがり、すたすたと歩いて帰った。

すぐに病院いけば助かったかもしれない。

異状を感じるまでに時間があったが、事故の瞬間を話してくれた。

あっと、感じた時に、とにかく、子どものころからのことを瞬時にすべてを思い出して、映像が頭をよぎったという。

 

人間は、というと語弊があるが、つくづく自分は成長しないものだと思う。

年取っても、お金は欲しい、健康も欲しい、アレもコレも欲しいと思う。

あいつは嫌いだ、こいつはバカだと、心の中で思う。

負ければ悔しいし、勝てばうれしい。

 

こんな映画があったという。

アメリカ人が、ネパールだか、ブータンか、知らないけれど旅行した。

アメリカ人は、身体を鍛えて、金メダルをとるために練習に余念がない。

努力を惜しまない。

これが、つまり、こうすることはおそらく多くの世界の共通の価値観だろう。

ところが、ブータンの人は、

「私たちは、その他人に勝とうとする気持ちをどうすれば棄てられるか、それに努力している」

っていう場面があった。

 

社会環境は様々で、これだっていう普遍的な生き方、価値観はない。

無いなら、自分でとにかく生きていくしかないだろう。

 

元朝日の、慰安婦記事を書いた記者だが、訴えを起こしたと言う。

それほど、とらわれないで、素直に間違いを認めて、謝罪をすればいいものをと、思う。

まいた種に自分が振り回されて、あれが悪い、これが悪いと大騒ぎしても、事態は好転しないだろうに。

禍は、実は考えている以上に深刻ではないだろう。

自分で自らの禍を、より大きくしている。そんな気がする。

 

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日の丸嫌い

2015年01月17日 | Weblog

動画で、

札幌の成人式のさい、あるグループが新成人に日の丸を配った。

その国旗を、会場に入るときに、札幌の公務員が、回収したと言う。

回収には、邪魔だからということで集めていたらしいが、どうも、回収には、なんらかの意図があったようだ。

回収していた公務員は、戦争の経験者なのか、知らないけれど、

おおかた誰かに教育された単に日の丸嫌いで、それはつくられた感覚だろう。

それほどまでに嫌いなら、つまり他人が配布した日の丸にまで気分を害するような感覚なら、普通なら日本では生きるのはかなりなストレスになる。

とても正常ではいられないだろ。

それでも、公務員で飯食っているなら日の丸嫌いは単なるファンションだろうと、推測している。

もっとも、日の丸回収に反対でも、雰囲気的にそれができない立場の人もいるだろう。

どっちにしても、ここまでくると、もう気の毒になる。

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高級も高尚も

2015年01月10日 | Weblog

フランスのテロ事件というか、無防備の所へ銃器を、それも拳銃ではなく乱射できる性能のいい銃で、突撃して殺しまくる、この報道には驚く。

イスラム教には詳しくないが、

一部だとか、主義主張の違うグループだとか、言っているが、傍目から、イスラム教というだけで、おっかなくなる。

触らぬ神にたたりなし、って言うけど、なにか言いたくても、これを守るしかないかなって思う。

できれば、近くによりたくないし、こっちにも来てほしくないなあ、と素直に思う。

 

昔、日本でも、主義主張の違う仏教寺院で、戦争、殺し合いがあった。

坊さんとは言え、弁慶のように武器をもって、主義主張が違うだけで、焼き打ちしたりしたそうだ。

イメージでは、坊さんは優しく慈悲深くって感じだが、とんでもない話で、

主義主張が異なる、それだけで殺しまくった。

 

主義主張が違うのは、宗教や教えに偏ったものではなく、日常の生活でも常に遭遇する。

それで憎んだり、嫌いになったり、ややこしい。

こんなことは、太古の昔からで、今に始まったことではないだろう。

主義や主張が、ちょっと高級になった、高尚になった、そんな感じがするが、

なああに、夫婦喧嘩と、そのレベルは変わらないだろ。

夫婦喧嘩なら、すぐに殺すってならないが、より高級な主張、高尚な主義になると、すぐに殺すだのと、実践されてしまうのが厄介だ。

それなら、高級も高尚も、まったくいらないだろう。

 

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今年の心がけ

2015年01月04日 | Weblog

生きていくのは、面倒くさくなることがある。まあ、じゃあ、どこかにでもいくかとおもっても行くところはないし、死ぬなんてことは、よけいにできない。

面倒だなって、思うのは何か行き違いか何かが起きて、誤解されても、いちいち説明するときで、

どうでもいいときは、そのまま放置するし、仕事上のことでも、謝って終わりにしてしまうこともある。

この場合は、誤解されたままだが、まあ、いいか、あるいはこっちにだって落ち度はあるはずだから、で済ます。

 

しかし、この姿勢は、どうも老けるのを早めるような気がするし、頭も機能しなくなるのではないかと、気にしている。

できるだけ、若い人たちと交流して、議論して、話し合って、と心掛けてはいるが、

面倒くさくなるは避けられない。

年寄りじみたことや、なにか物事を達観したようなことは言いたくないし、相手を諭すようなことはさらにないし、

そんなつもりもないが、面倒くさくなる。

 

今年は、面倒くさくなる気持ちを棄てて、というか仲良くして、ちょっと脇の方に置いて、

社会生活をしようと秘かに願をかけた。

 

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あけましておめでとうございます

2015年01月01日 | Weblog

旧年中はありがとうございました。

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

努力しても、いい結果が得られないと、努力が無駄になってしまうと、よく言われるが、

結果などどうでもいいような、そんな気がしている。努力こそが大事、それもなんとなく眉唾ないい方がしている。

いつもいつも失敗するわけでもないし、成功するわけでもないのだから。

熟慮しても、簡単に決めても、結果はそんなに変わるものではないだろう。

 

悲しいことは、永遠に続くわけではないだろうし、逆もまた同じだろう。

恨みで、過去に縛られるのはいただけないが、きれいさっぱり忘れること、この方が生きていくうえでは便利のような気がする。

水に流すって、よくいったもので、これでなくちゃ、と思う。

過去に取りつかれて、しかもそれが自分自身、本当に経験したことならまだ理解できるが、教えられて、観念だけで執着しているなら、

滑稽を通り越している。

 

気楽にいきたいものだ、と思う。

 

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