虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

腹黒い意図

2022年03月27日 | Weblog
学校の勉強と異なり、

日常を生きる上で、体験するまでは、本当のことは分からないことが、多い。

理解することを、「分かる」って書くけど、何と何を「分」けるのかと思う。

素人が思うのは、頭で理解することと、経験や体験で理解することを、峻別するんだろうと思う。

同病相哀れむというが、病気などはいい例だろう。



どうにも理解できないことに、左側の人々の主張や、考え方で、

憲法9条が日本を守ってきた、ということを信じて疑わない頭脳明晰な大学の先生や、最高学府を卒業した国会議員とか、

世界を取材しているジャーナリストとか、

そんな人々が日本にはたくさんいる。

少し以前までは、彼らの言い分をそのまま文字通り受け取っていたが、

この頃は、だいぶ遅いが、それは間違いだと思うようになった。

憲法9条で、日本を守れる、外国からの侵略を防げるって、本当に考えている人は、彼らの中には誰もいないだろう、

そう思うようになった。

そんなことは、歴史を見ればいくらでもあることで、知識豊富な左側の知識人が知らないわけがない。

では、何故彼らは、憲法9条が日本を守ると、主張し続けたのかと思う。



アメリカではポリコレによる言葉狩りが盛んだという。

アメリカの歴史は江戸時代と長さにおいては似たようなものだが、その間に積み上げてきたものは、大変なものがあるだろう。

ポリコレが、その価値観や、大切さの崩壊を狙っているのだろうと思う。

だって、生物学的に男が、自分の精神は女だと主張して、水泳選手として次々に新記録を出して、優勝をしているという。

さらに、着替えも女子更衣室で平気でしているという。さらに、自分の性的な好みは女だという。

こんなことが、「まとも」として、通用している社会がおかしいと思う。



狙いは、表面的な主張にはない。言葉綺麗でも、意図は邪悪だろう。

それまでに築き上げてきた価値観の崩壊を狙っているのだろうと、考えている。


憲法9条の主張とまるで同じで、腹黒い意図なんだろう。



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多文化共生?…無理

2022年03月20日 | Weblog
ペルーに生活していた時、「日本人」であることを認識させられた。



家族を連れてペルーに行く際、ニューヨーク経由だったが、

「ダウンタウンに行くにはどうしたらいい?」

と、子供をおぶって、家族連れの、荷物をたくさん持った僕に訊ねてきた黒人がいた。

この時は、田舎者丸出しの、しかも東洋人に、道を訊ねてくるって、驚いた。

今思うと、田舎者でも「日本人」らしい人間に訊ねるのが一番いいことを、経験的に知っていたんだなと思う。

ペルーでは、よくペルー人から「お願い」「質問」「手助け」など、とにかく頼まれごとがおおかった。

このことを日系人に訊くと、

「日本人は、イヤと言わないことを経験的に知っているから」

と、おしえてもらった。



日本人は、潔くないこと、ウソつくこと、言い訳すること、恥ずかしい事、こういったことを「平気」する人間を、きらう。

2000年の歴史の積み重ねなんだろうと思う。

ペルー人は、その場を凌ぐためなら、そんなことは「平気」でやる。

おそらく、ペルー人だけではなく、多くの外国人は同じだろうと思う。

ただ、ペルー人だって、この点に関しては、同じ価値観を持っているだろうと思う。



外国人を受け入れることは、

外国人だけではなく、その人々が背負っている宗教、文化、習慣、譲れない価値観などすべてを受け入れることになる。

これが、日本人との軋轢を生まないわけがなく、

はなから、多様性だの、多文化共生だのの理想には、ほど遠い。



アメリカでは、すでに「メリークリスマス」とは言えないそうだし、

日本のディズニーランドでさえ「レディーズ&ジェントルマン」と言わなくなった、

と動画で見た。

昔、ルソーだったか、子供は両親じゃなく、社会で育成するべきだと主張したと、

愚かな本があったが、

また、こんなことをしようとする「左側」思想が蚕食してきた。
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あの顔は

2022年03月13日 | Weblog
動画で、元ウクライナの首相だった人が、ロシア側に立った主張をしているのを視聴した。

ロシアが一方的に悪だと思っていたが、こうなると何がホントなのか、素人には皆目わからなくなる。

今までは、もっぱらメディアの報道を受け、それがホントの事だと自動的に思っていたが、

現代では、ネットにメディアと異なる主張が、あふれている。

何を信頼したらいいのか、全く分からなくなっている。

勢い、自分が好きなコメンテーター、気に入ったコメンテーターの言い分を取り入れたくなるのは、

自然だろう。



テレビで、コメント、解説をする専門家、コメンテーターは「とりあえず」横に置くのが、普通になったが、

ネットでも、

他の有名人、知識人の主張を批判したり、非難したり、あるいは時には罵倒に近い表現をしたり、

そんなジャーナリスト、知識人だっている。



安倍政権時代、安倍さんを概ね支持していたが、例えば、GHQが決めたことを変更する考えないと答えていたが、

これなどは、まるで支持できない。是々非々というが、またよく聞くが、その通りだと思う。



素人が、政治の世界を取り上げて、いろいろ発信しているが、

素人ゆえに、かなり勉強しているし、またよく調べてもいるので、とても参考になる。



テレビの知識人、コメンテーター、新聞雑誌の名の知れた人々、

全部、紙の向こう、画面の向こうにいる人たちだが、

一方通行でしか知り得なかった世界の事象、日本の政治を、まるで違う角度から、まったく異なる根拠、ソースから解説してくれるのは、

新しいメディアリテラシーになっている。

となると、話す内容、話し方、言葉の使い方もさることながら、

顔、目つき、態度を見る目が、こちらに求められている。
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一種の衝撃

2022年03月06日 | Weblog
正統性が全くなくても、いきなり爆弾を投げて、人を殺して、

平然としているロシア。

ロシアを批判する、非難する考えや、コメントが「普通」だと、日本人なら「当然」だと思うが、

普通の人より知識もあって、頭脳も明晰でもあるにも関わらず、

テレビで、ロシア側に立った主張をしている、名の知れた人たちがいる。




昔、ペルーに行ったとき、日系人の、熊本県出身の人にお世話になった。

ペルーでも日常生活についていろいろ教えてもらった。

その中で、

「ペルー人は恥を知らない」

という教訓があった。

こういったことは、体験するまでは分からないし、頭で理解しても何も役にはたたない。

ペルー生活も数年も経過すると、

一般的なペルー人は、人前で歌を歌うとか、何か話すとか、恥ずかしいと感じるようだが、

平気でウソと分かることを言ったり、そのあたりにあるものを盗んだり、やたら大声で理不尽なクレームをつけたり、

こういったことは、まるで恥ずかしいとは感じないんだなと、そんな印象受けた。



テレビやツイッターで、プーチン大統領が主張したいことを、嬉々として主張している知識人やコメンテーターを取り上げて、

反論しているYouTubeを視聴すると、

「恥ずかしいということを知らない」

日本人が、いるんだと、思った。


一種の衝撃だった。
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