虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

9月のペルーが楽しみだ

2016年08月27日 | Weblog

日本ではスペイン語を話すチャンスはないが、

先日、電車の中で珍しく大きな声で、向かいの席の外国人がスペイン語を話していた。

男子3人、女子2人だった。

話している内容は、いわゆる人前では使ってはいけない言葉で、女性はかなり気にして周囲を見ていた。

女性と目が合った。そのとき、僕は微笑んで、ちょっと肩をすぼめてかるく両手を広げた。

日本人の批判ではなく、自分の愚かさを嘆いていたのだが、

いずれにしても、人前では使えない言葉だ。

女性がやめるよう促したが、男は、なお続けた。

そのうち下りる駅に到着。

下車時、

「ブエン ビアッヘ」

というと、男は驚いた様子だった。

 

9月にペルーに行く。

久しぶりだ。

二週間ほどだが、旧友に遭うのが楽しみだ。


ペルー人の特徴は、とにかく嫉妬心が強いことには辟易する。これはもう体験的に知っている。

経験はないが、韓国人の言動からも、同じような印象を受ける。韓国は日本に対する恨みだとか恨だとかいうが、

それは、実は違っていて、単に異常に嫉妬心が強いだけだろうと思う。

まあ、とにかく疲れるが、

それでもペルーに愛着があるのは、友人知人は、常識的な人々ばかりで、立派だなと思えるからだ。


一言でいうと、ペルーの女性は強いし、したたかだし、粘りがある。

男は、女性に比すれば、なさけないことこの上ない。子供とかわらない。

男は、グリーン上を歩いているときは、胸を張って頼もしいが、

ひとたび、バンカーなり、ハザードにボールが転がると、とたんに、責任逃れや言い訳に明け暮れる。

ペルーという国は、間違いなく、女性が維持していると思う。


スイスホテルで、日系のノリ君が寿司を握っている。

彼は、寿司ではなく、てんぷらがうまい。

彼のてんぷらを楽しみにしている。

おそらく、リマ市では、彼の日本料理が一番、日本人の口に合う。

まだ働いているだろうか。

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気力

2016年08月21日 | Weblog

気力が失せているようだ。

昔ならプッツンしただろうに、それがなくなってきた。

どうも、気力が失せたのではないか。

 

スーパーでバイトをしていたころ、といっても、5、6年程前だが、

商品棚に品出しをやっていた。

大量の商品を手際よく並べていくのだが、出している最中はお客が傍らを通っていく。

もちろん、普通に通過できる余裕があるが。

ある日、老人が来た。かなりのお年寄りだった。

いきなり、

「この、バカ野郎、客が通るだろう。バカ」

と、血相を変えて、そう、まさに怒りの表情で怒鳴った。

バイトとはいえ、働いている以上はとにかく、

「申し訳ありません」

と、まず言わなければならない。

このときは、意味が即座に分からなかったので、怒りもなかったが、

感心したのは、あんな歳とっても、怒る精神力というか、気力にだった。

 

昨日、仕事をしていると、通行人が近づいてきて、

「すいません、100円ください」

と、言ってきた。

見ると、いい青年、といっても30代半ばかくらいか、シャツの胸を開け、

素人がやったと思われる下手くそな刺青が一面に見えていた。モテソウなイケメン、そのうえ身長は180センチを超えるだろう。

下はゴム草履でチャラチャラした感じだったが、

なんとなく、最初の丁寧な「すみません」が気になったのだろうか、小銭入れを取り出して、彼の手にすべてをあげると、

800円ほどあった。

頭を下げて、立ち去って行った。


若いときは人生は長い、歳をとれば短い。

後ろ姿に、がんばれって、声をかけた。

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遠州の海岸

2016年08月13日 | Weblog

生まれ育った遠州灘の海岸では、ナガラミやハタミが取れた。

ハタミは、子供でも足でコチョコチョと掘れば、見つかる。

ナガラミは、船で出て、専用の道具で、海底をあさる。

 

ハタミはそのままゆでれば、最高にうまい。ハマグリよりおいしいと思う。

千葉の海岸に出かけた。

丁度台風と重なって、海に行けたのは一日だけだったが、

ハタミをとることが禁止されていた。

 

遠州灘では、まだとれるだろうか。

 

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想像力

2016年08月06日 | Weblog

銀座の表通りで、平気で痰をしたり、タバコをポイ捨てする人を見るのはまれだろうが、

ちょっと裏通りに入ったり、飲み屋が立ち並んでいる小通りでは、守らないひとだってけっこういるだろ。

ニューヨークの犯罪を減らしたのは、街の落書きを消し、綺麗にしたことが大きいと言う。

これは仏教でいう業のことだろう。


昔は、待ち合わせで、その場所でタバコをすって、待っていた。

すいがらは、その場に捨て、靴でもみ消した。

誰かが清掃するんだろうけど、そこまでは想像力が及ばない。

ポイ捨ては平気だった。

自分が清掃をするようになると、気になる。

せっかく綺麗にしたのに、って思う。

かってなものだ。

 


痰唾で道路を汚さない、ポイ捨てをしない、など「誰かが掃除をする」という想像力が要る。

しかも、その清掃する人を思いやる気持ちが無ければ、痰唾をする。

誰かが清掃するところまでは、想像できても、その先の気持ちが、

「それはその人の仕事だ」

と考えれば、やはりポイ捨てはするだろう。


この点は、一般的な日本人は、かなり優れていると思う。

世界から称賛され、民度が高いとなる。


ホテルやデパートでは、さすがに床にポイ捨て、痰唾はないだろうが、

駅のプラットホームでは見かける。

しかし、このごろは、高級と言われるマンション、床は立派な石を敷き詰め、ローカはカーペットになっている。

こういったところでも、平気でペットにおしっこをさせたり、唾を吐いたり、嘔吐したりする若い人がいる。


教育は、やはり大切で、街をきれいにする、それを維持するには、根気よく長い時間をかけて行うものだろう。

汚すのは、それに比較すれば、至極簡単で、あっという間に汚くなる。

業は、そういったものだろう。

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