虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

すし詰めシート

2009年11月05日 | Weblog

アメリカは、なんでも大きく作る。

かつての、憧れアメ車は、バカでかかった。とにかく格好よかった。

ハンバーガー、紙コップ、ベッド、とにかくなんでも大きい。

映画でしか知りえない年代だったので、冷蔵から取り出したオレンジジュースを、おおきなコップに注いで、全部を飲み干さないで、残したままにしたり、やたら大雑把な印象だった。

長じて、実際にアメリカに行くと、やはりなんでも大きかった。

日本の感覚で言えば、情緒がない。

 

情緒といえば、情緒というものをもたない男がいた。

話し方は奥行きがないというか、一方通行的だった。

食事の仕方も、大雑把だった。バイキング形式では、山盛り、なんでも一緒くたにして、皿に盛って口に放り込む感じだった。

いわばアメリカ的だった。

仕事の同僚だったが、だから、付き合いはそれほどでもなかった。

それで、あるとき、

「お前は情緒がないなあ」

と言うと、ひどく傷ついた顔をされてびっくりした。

こんなことで傷つくとは、意外だった。

彼が、

「情緒ってなんですか?」

と僕に訊いて来た。えらい挑戦的な感じだったので、

応えなかった。応えれば、例を挙げなければならない、するとますます傷つけることになる。

答えに窮したぼくは、

「まあ、オレの感覚だから」

と逃げてしまった。

苦い思い出でもあり、心の傷の一つになっている。

 

そんな、何でも大きいアメリカだが、一つだけ小さなものがある。よくアメリカ人が文句言わないなと感心していることでもある。

飛行機のエコノミークラスだ。

あれは、アメリカにしては小さすぎる。すし詰めシート。

あの大きさは、他のアメリカの製品とは、明らかに異なる。

日本人がつくった新幹線のシートより、前後左右が狭い。

エコノミークラスは、平均的なアメリカ人には人権に抵触するような大きさだ。

人権教、かつ訴訟大好きアメリカ人がなにもしないのをいぶかっている。

経済的な考え方ではなく、他に何か理由がありそうな気がする。

 

 

オーム事件の被害者が、

「多く人々を殺害しても、まだその残党が活動をしているのは、理解できない」

と発言していたが、自分もまったく同じ意見だ。

宗教、思想の自由は絶対だが、

それでも社会通念上、オームの思想で多くの人々を殺傷したのだから、この思想は法的には認められない、と素人は考えてしまう。

なぜ残っているのか、理由はなんだろうか。

 

日記@BlogRanking               

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コメント (2)
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