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つれづれの記

日々の生活での印象

気仙沼あれこれ  1

2013年11月16日 10時00分27秒 | 日記

2013年11月16日(土)  気仙沼あれこれ 1

 

 

 少し前になるが、10/31日朝のNHK番組 あさイチで、東日本大震災で甚大な被害を受けた、宮城県の気仙沼(けせんぬま)が話題となった。(“JAPA”なび 今こそ 来てけらいん! 宮城 気仙沼 |NHK あさイチ

この地が大震災に見舞われた時に、大津波で壊された石油施設に引火し、街の建物や港の船が一面火の海と化し、一部が、引き波で海へ流されていく映像を見たのを、今も鮮明に記憶している。(図はネット画像より) 

      

          火の海の気仙沼                            宮城県と気仙沼市(桃色)  

 東北有数の重要な漁業基地が、壊滅的な大打撃を受けて、殆どが無くなってしまった。

あれから2年半余り、番組では、徐々に進んでいる復興の様子等が伝えられた。つい先日だが、陸に乗り上げたままだった大型漁船 第十八共徳丸が、漸くにして解体され、更地になったようだ。(「共徳丸」の解体終了 所有会社社長ら、気仙沼市に報告

 本稿では、この番組に触れながら、気仙沼に関連する話題を取り上げた。

 

 

●筆者は、山形県に生まれ、仙台で学生生活を過ごし、そこで知り合ったのが、仙台出身のワイフKとあって、宮城県には深い縁がある。勿論、気仙沼は知っているし、知人が、ここに勤務したこともある土地だ。 

 かなり以前だが、チリ地震津波で大被害を受けた旧志津川町(現南三陸町)へ応援に行ったことがあるが、此処より更に北に位置している気仙沼には、訪れたことはない。

 上に示した地図にあるように、宮城県は、三陸海岸沿いに北に細長い手を延ばしたような面白い形をしているが、この延びた部分が気仙沼市である。

 

 気仙沼と書いて、ケセンヌマ と読むのは、かなり難解で、一般的には、キセンヌマ となるだろうか。

ネット情報によれば、地名のケセンは、ケセマ、ケセモイ(アイヌ勢力の南の端の港)というアイヌ語からきているという説が有力で、発音に近い漢字が充てられたようだ。 

 また、陸側から海を見ると、海中にある島が、まるで、沼の中に浮かんでいる風なことから、地名に、沼が付いたともいう。(気仙沼の地名の由来を教えてください。

 

●気仙沼市には、マスコットキャラクター「ホヤぼーや」がいる。このマスコット、番組の中のビデオだけでなく、スタジオにも登場してくれた。この子は、震災少し前の、H20年に一般から公募して誕生したが、くまもん等に比べ、知名度はまだまだのようだ。(気仙沼市観光キャラクター「海の子 ホヤぼーや」) 

 

 ホヤぼーやの、頭の形(角、いぼいぼ)と色はホヤ、右手に持っている刀はサンマ、ベルトの白いバックルはホタテ、を表していて、それぞれ、気仙沼の海の特産物という。

これらについて、以下に、2,3コメントしたい。

 なお、気仙沼と言えばフカヒレ、フカヒレと言えば気仙沼、と言われる程の、フカヒレの全国一の産地だが、このホヤぼーやの装束には、敢えて外したのか、出てこない。

でも、ぼーやの好きな食べ物はフカヒレで、特技は、サメに乗ること、という。この辺の話題に付いては、稿を改めて触れる予定である。

 

 

○ホヤは、磯の岩等に張り付いている腔腸動物だ。下の写真のように、赤茶色で、いぼいぼがあり、グロテスクでやや気味悪い代物だ。形から、海のパイナップルなどとも呼ばれる。

これが食べられるとは信じられない位で、最初にチャレンジした人の勇気に敬意を表すべきだろうか? 

   活きホヤ(ネット画像より)

 ホヤは、生で刺し身風にそのまま食べたり、干しホヤにしたり、塩漬けにして頂く。食べた時に味わえる磯の香りが堪らない魅力と言われ、知る人ぞ知る、海の珍味である。海が近い仙台で育ったワイフKは、ホヤには目が無い。

気仙沼を始め、三陸海岸一帯でよく獲れ、養殖も行われているようだ。

 

○サンマについては、今更、講釈の必要はないだろう。気仙沼は、秋の味覚の代表の一つであるサンマ漁の一大基地なのだが、大震災で失われた漁業関連施設類も復興し、漸く、嘗ての活気と賑わいを取り戻しつつあるようで、嬉しい限りである。

 サンマと言えば、落語に因んで、目黒のサンマが有名で、例年、「サンマ祭り」を開いて来訪者に振る舞って来た。その材料のサンマを供給して来たのが気仙沼で、18年も前から、両地域の連携が続いているようだ。

このサンマ祭りだが、大震災でその継続が危ぶまれたものの、関係者の努力で続けられ、この秋も、サンマ不漁の中で、開催されたようだ。目黒の皆さんと一緒になって、気仙沼からやって来てサンマ焼きを手伝っている漁業関係者の法被姿が印象的だった。(大雨の中「さんま祭」 東京・目黒、不漁はねのけ5千匹ふるまう

      

  実は、今般初めて知ったことだが、サンマや関連食材の供給元が異なる、二通りの「目黒のさんま祭り」があるようだ。片や、本稿の気仙沼市と目黒区が連携した目黒区田道広場公園内の祭り(区民祭りの一環)で、片や、宮古市(岩手県)と連携した目黒駅前の祭り(駅前商店街主催)(目黒駅は品川区内)である。  

 元祖争いのような状況もあるように見えるが、両者の経緯や関連は不明なので、これ以上は触れないが、供給地のサンマ漁の時期が少し異なることから、二つの祭りは開催日をずらして行われて来ているようで、互いに競い合いながら、いい刺激になっているのかも知れない。

 

○ホタテについては、全国的な生産量では、北海道が約70%、青森県が約30%と、全体の99%以上を占め、宮城県(気仙沼)や岩手県の生産量は、残る、ほんの1%以下のようだ。(帝国書院 | 統計資料 日本 農業・漁業・林業 ほたてがいの養殖

気仙沼としては、これからの、養殖漁業の一つの柱(貝柱?!)に育てたい、という狙いだろうか。

 生のホタテ貝や貝柱を買ってきて、調理して食べる機会はそう多くはないのだが、以前は、出張の時などの長旅の友として、結構高価な、干した貝柱をよくしゃぶったものだ。

           

               ホタテ貝                     干し貝柱 

  偶々ネットを見たら、この9月に、横浜市で、気仙沼産の生ホタテの一部から、毒成分(麻痺性貝毒)が検出されたという、物騒なニュースがあったようだ。(卸売りの帆立から毒検出 横浜 - MSN産経ニュース

自分には、これまで、生牡蠣を食べて、大変な思いをしたことが2回程あるが、ホタテでも、毒に中ることがあるのだろうか。

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指文字の文化  その1

2013年11月14日 23時02分46秒 | 日記

2013年11月14日(木)  指文字の文化  その1

 

 

 NHKで日曜夜11時から放映されている、韓国歴史ドラマ「トンイ」は、毎週楽しませて貰っている番組の一つだ。

先日曜夜の第39回だが、主人公のトンイが幼い頃に目撃した、片手で示す指の暗号の意味が、長い間分らず、謎解きをしたいと願って来たのだが、終に、手がかりが見つかったようなのである。

 ここでは、詳細は略すが、あの指の暗号は、中国清国の商人が、取引で使っているもので、8、5、10、5の4つの数字ではないか、というのだ。今後の番組で、数字の意味するところが解明されると思われるので、楽しみにしたい。

 

 一方、偶々、同じ日曜の夕方のNHK―BS番組 ぐるっと瀬戸内の旅「山口」 の中で、マジシャン マギー審司さんの案内で、フグで有名な下関南風泊市場での、一風変わったユニークな「袋競り(ふくろせり)」の様子が伝えられた。買い手が袋の中で、フグの買い値等を、仲介する競り人の指を握って伝えるものだ。番組では、1、2、などの指の握り方が簡単に伝えられたが、よく把握できなかった。

  フグの袋競り人形(ネット画像より) 

 

 同じ日に、偶々見た二つのTV番組の話題が切っ掛けとなって、何時もの悪い癖だが、手の指で数字を表す方法(本稿では、以下 指文字)が大いに気になり、あれこれ調べる等、やや深みに嵌ってしまったようだ。少し整理して取り上げてみることとした。 

 

 

 文字や言葉を手の指で表す方法としは、体系的に作られている「手話」があり、この中で使われる数字の指文字もある。一方、今回の話題にある、競り等で使われる指文字もある。 又、日常的には、指の形で数を伝える方法や、指を折って数を数えるやり方などもある。

 これらは、指を使った10進法での数字表示だが、更に、指を使って、2進法でデジタル的に数字を表示する方法なども工夫されているようだ。

 これらについて、興味本位に調べてみた。人間は、生まれながらにして備わっている、両手の10本の指を使って、数を数えたり、色々な数字を表示したり伝える事が出来た訳で、この自然数の10進法が原点となって、現在の数に関する文化(数学体系)が出来ている、と言えるだろうか。

 

 

○ 一般的に競りが行われる市場の代表として、東京築地市場(水産物部、青果部)について調べてみた。 ここで使われている指文字は、「手やり」と呼ばれ、以下の図のようなものと分った。(東京都中央卸売市場 | いちばQ&A | 取引符牒(符丁)を教えてください から引用)(同様の手やり写真 http://www.hmaruuo.co.jp/ichiba/seri.htm

数を、片手だけで表示するのが大きな特徴で、下図は、右手表示になっている(左手表示でもOKと思われる)。

 

 上図には書かれていないが、類推で、最初の0は、全指を折ったグーの状態、桁が上がる10も、同じグーと思われる。

所が、注記によれば、金額で、101など、ゼロ(0)表示が必要な場合は、 と表現してから次の数字の手やりを出すとある。 は、手をぐるっと廻すのだろう。0がはっきりしないのは、数量等の計数上では、0(何も無い)は一般的には不要だからだろうか。

 

 この手やりが、実質的な標準(デファクトスタンダード)として、全国的に使われているのだろうか。 ネットで偶々、小田原魚市場で使われている手やりの写真(下図左)が見つかった。(市場で1~9までの数字を手でやってみよう!!!

 これは、左手表示になっているが、上述の、築地市場での手やり(右手表示)(下図右)と並べて比較してみると、3の場合に立てる指が、人差し指か小指か、の違いだけである。

       

              小田原市場の手やり                           築地市場の手やり 

 

○ ここで、日常生活で使っている指文字のやり方を改めて確認し、この競り用の手やりと対比しながら、指文字全体を整理してみる事としたい。 

 日常生活で、指文字を使う場面はいろいろあるが、

   A 指を使って、相手に数字を伝える時(競りでの手やりと同じケース)

   B 指の動きを見ながら数を数える時

があろうか。 

ここでの、A、B両者の区分けは、厳密なものではなく便宜的なものである。

 

A:日常生活で、指文字を使って、相手に数字を伝える時、例えば、何歳? と聞かれた時に、子供が指を出して答えるなど、のやり方を見て見よう。  

A―1:先ず、片手だけの場合だ。一般には、0のグーから始まって、1~5までは、人指し指から順に立てていくやり方で、上記の小田原型の手やりと同じだろう。

3では、築地型手やりのように、親指・人差し指を折り、他の指を立てることは、普通には、余りやらないだろうか。 

 次に、6以上については、片手だけで表現することは、日常生活では、殆ど無く、市場での手やりなどが主であろうか。  

 手やりで、片手で6以上を表現する場合だが、もう一方の手が、パーの状態(5の数)で隠されていて、これに見えている手の、立てた指の本数1~4を足し算している、と考えると、多少分りやすいだろうか。

ただこの場合、この1~4を、当初のA-1の1~4と区別する必要があるため、親指から始まる異なる指を使って、

     1+5=6

     2+5=7

     3+5=8

     4+5=9

を表していると言えよう。

 更に、ここでの4は、1~3までの延長で、4本目の指(薬指)も立て、小指だけを折った形なら分りやすいのだが、この形を作るのが、やや難しいだろうか。

このためか実際は、中指、薬指、小指を折り、親指を立て、その上に人差し指を被せて輪を作るような独特の形(グーとは異なる形だが)になっていて、4を足しているという感じは無く、直接9を表していると言えそうだ。慣れないと、8から9に行く時に、一瞬、戸惑ってしまう。 

 いずれにしても、言葉(符牒)等と共に、片手の手やりのやり方を覚えて、市場の競りの現場でスピーディに使えるようになるまでには、かなりの習熟が必要だろうか。

  

A-2:次は、両手を使う場合だ。

 両手がグーの状態から始まって、1~5迄は、片手がグーのままで、もう一方が、A-1と同じに、人差し指から立てていき、最後はパーとなる。

6以上では、日常生活では、両手を使うのが普通だろう。片手をパーに開いたまま、もう一方のグーの手で、1~5迄を、上と同様に表現し、足し算することが多いだろうか。 

この場合、開いた手の掌の上に、もう一方の手を重ねても良いし、両手の掌側を、相手に見せる方法もあろう。  

 

 以上の、手の指の形で、相手に数を伝える方法を整理すると、以下のようになろうか。 

           1~5    6~9   0        10      記事

  日常生活   片手    両手    片手グー?    両手パー

  競り      片手     片手    片手       片手グー? 小田原/築地

 

B 一方、指の動きを見ながら数を数える場合では、

  B1 手の掌を自分側に向けてやる場合 と

  B2 手の掌を相手側に向けてやる場合

があろう。 

 

B1:自分側に向けてやる場合は、この例では、“もういくつ寝るとお正月”などと、子供が、待ち遠しそうに、指折り数える光景等が思い浮かぶが、指折りしたり、指を立てたりして数えるやり方になる。この場合

  ①開いたパーの状態から始めるやり方

  ②閉じたグーの状態から始めるやり方

の二つがある訳だ。どちらを使うかは、ネット情報では、やや大げさに、文化人類学の研究分野とあり、国によっても異なるようだ。(指折り数えて・・・とは言いますが - Yahoo!知恵袋

 

B1①パーの状態から始めるやり方  

B1①-1:まず片手の場合、パーに開き、1から5までは、親指から順に、重ねるように折っていき、3~4と進み、5でグーの状態になる。

  6以上の場合は、今度は逆に、小指から順に開いて行き、10でパーの状態に戻る。

  (親指から開いていくやり方もあろうか)

B1①-2:両手の場合は、先ず、両手をパーに開いて、片手の親指から順に折って行き、5で片手がグーの状態になるのが普通だろう か。

  6以上の場合は、片手のグーの状態は保ったまま、もう一方のパーの手の親指から、順に折って行き、最後は、両手がグーの状態になる。

 

B1②グーの状態から始めるやり方

B1②-1:片手の場合、1~5迄は、先述のA-1の、小田原型手やりと、指文字の形は同じで、手の掌の向きは反対となる。通常は、人差し指から立てて行き、5で親指も立ててパーの状態になる。

  6以上で、片手の場合は、パーの手を、親指から順に折って行き、10でグーの状態になるのが普通だろうか。この場合でも、逆に、小指から順に折って行き、10でグーの状態になるやり方もあろうか。

 

B1②-2:両手の場合、両手をグーから始めて、1~5迄は、②-1と同じである。

  6以上は、片手はパーの状態に開いたまま、もう一方のグーの手の親指から、開いて行き、最後の10で、両手がパーの状態になる。

 

B2 相手側に向けてやる場合

 上述のB1で、そのまま、掌を相手側に向けると、以下のように、曖昧になり、別の数字に間違えられる可能性が生じるようだ。

   自分側    相手側 

     1  →   4

     2  →   3

     3  →  2/3

     4  →  1/4

     5  →   5    

 従って、手の掌を相手側に見せながら、数を数える場合の、このB2のケースは、先述の、相手に数を伝えるA-1(片手)、A-2(両手)のケースと同じと考えていいようだ。  

 

 

○ 先述のトンイに出て来た例を改めて見てみると、10以外は、市場での手やりA-1と同じで、手の形は、以下のようになる。  

  8  親指・人差し指・中指を立てて、他は折っている

  5  全開き(パー)

  10 全閉じ(グー)

  5  全開き(パー)

 

 日本の市場での手やりでは、10は明確には規定されていないようだが、どう表現するのだろうか。例えば、この例のように、やはりグーを使うのか、1に続いて0( )とするのか、等は未確認である。 

又、日常生活では、ここでの5は使われるものの、8や10のサインは、殆ど使われないだろう。

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19年ぶりに復活した赤飯

2013年11月07日 23時08分34秒 | 日記

2013年11月7日(木)  19年ぶりに復活した赤飯

 

 

 この所、レストラン等でのメニューの中に含まれる食材名について、誤表示、虚偽表示が大きな社会問題になっている。個別に挙げればきりがないのだが、

表示 クルマエビ      実は  ブラックタイガー

    芝エビ              パナメイエビ

    国産牛肉            チリ産牛肉

    鮮魚               冷凍魚

などなどで、問題は、大手有名デパート等にも拡大しており、“あそこでも!”と言った状況だ。 

 でも、これらの食材に関する表示については、本稿では、これ以上は取り上げないが、賞味期限の表示に関することで、最近、意外な経験をしたので、簡単に取り上げて見た。

 

 

 最近だが、我が家の台所のストッカーをワイフKが整理していたら、炊いた赤飯を乾燥させ、ビニル袋に封入した食品が出て来た。赤飯だから、赤紫色で小豆も入っている。

 

       上 赤飯の密封ビニル袋  下 紙箱  

   

       ビニル袋の製造年月日表示                   紙箱裏面の賞味期限表示

 

 上図のように、製造年月日をみると、1994年11月23日とあり、又、賞味期限は製造年月日より3年と表示されているので、1997年11月がデッドラインとなる。 これ即ち、現在で、製造後、凡そ19年経っている訳で、賞味期限切れからでも、既に、16年も経過していることとなる。製造時に、どの様な加工をし、封入したのかは明記されてはいない。

 通常なら、あっさり廃棄処分する所だ。でも、透明なビニル袋を外部から観察する限り、小豆色をした赤飯は、さらさらした綺麗な干飯の状態で、特に、カビなどの異常も見当たらず、小豆も正常のようだ。

 

  物は試しと、食べてみることとした。開封しても、変なにおいはなく、ワイフKが、指示された通りに水を加えて、炊飯器で炊いて見たのである。

  出来上がった赤飯は、やや、粘り気が無いものの、ほのかな香りもあり、今日の昼ごはんとして、吸い物つきで、美味しく頂いた所である。炊いた赤飯を、軽くフライパンで焼き、海苔を巻いて、お握りにしても食べた。

           19年振りに復活した赤飯 

  最近は、殆どの食品で、賞味・消費期限の表示が行われている。賞味期限は、食品の風味が保たれ、美味しく食べられる期限、消費期限は、食品が変質し悪くなるまでの期限、と理解している。

 製造年月日に関する大きな偽装事件では、以前の、大阪の超一流日本料理店での賞味期限等の事件や、伊勢神宮の門前にある赤福餅の事件などが思い出される。

 食品の衛生状態を適正に保ちながら、製品を世に出していくのが基本なのだが、これらの偽装事件にみられるように、材料の消費期限がぎりぎりだったり、製品の売れ残りが出た時、それをどう扱うか、等が問題となる。

棄てないで有効利用して出来るだけコストを下げたい、という企業の要請もあろうし、日本人的なモッタイナイという感覚もあろうか。  

 身近にあるスーパーの中には、期限切れが近くなった食品を、割安価格で売り捌いたり、閉店が近くなると、その日に焼いた菓子パンは、半値で売りきるパン屋などもある。

 

 今回の赤飯の件は、ごくごく小さな話題だが、それにしても、Ⅰ6年過ぎても、まあまあ大丈夫だった、とは驚きである。 

我が家では、これを購入後、常温で、台所のロッカーに保存していたのだが、特別に、保存条件が良かった、とも思えない。でも、消費期限が3年という表示は、短か過ぎると言えるのだろうか。

 往時、武士たちが戦で出陣する時は、干飯を腰にぶら下げて行ったと言われるが、乾燥することで、風味はともかく、実質の保存可能期間は大幅に長くなるのだろうか。

昨今は、防災用の食料品に対する関心も高いが、特にご飯について、どんな加工食品があるのか、風味や品質はどうなのか、機会をみて調べてみたいものだ。

 

 冒頭に述べた使用食材の表示や、上記の賞味期限の表示については、偽装は許されることではなく、正しく表示されるよう、提供側に要求することが基本なのは勿論だ。

 一方で、偽物や紛い物が出回るのは世の常とすれば、消費者側としても、口にした時の、自分の舌の感覚や、臭いを嗅ぎ分ける鼻の感度を上げ、己の刀を研いで自己防衛し、食べ分ける事が、最後の砦になるように思う。

今の子供達は、本物の食材の味や、カビが生えた食品や腐った食品の、臭いや感触を、何処かで、自分の五感で体験しているだろうか。

 この時代、世は、食品の分野でも、消費者のブランド指向が強く、賞味期限や食品名や産地名等の表示情報に頼り過ぎる余り、味を見分け、変質に対する安全性を確保する、本来備わっている本能的な五感感覚が、使われることなく、だんだんに失われつつあるのではないか。

 食品の偽装事件が後を絶たない最大の理由は、消費者側の偏ったブランド指向と表示情報依存にあるように思える。 

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木を育てるー諏訪大社 御柱祭

2013年11月05日 15時31分11秒 | 日記

2013年11月5日(火) 木を育てるー諏訪大社 御柱祭

 

 

 過日行われた伊勢神宮の式年遷宮に関連して、当ブログで

     式年遷宮 1 20年に一度 (2013/10/28)

     式年遷宮 2 木を育てる  (2013/10/31) 

として取り上げたが、本稿は、前稿での、木を育てる の延長線上で、諏訪大社の式年祭 御柱祭について述べている。

 

 信州の諏訪大社では、毎年行われる通常の神事・例祭の他に、6年間隔で(7年目ごとに)、伝統行事の式年祭である、御柱祭が行われている。近くの深い山中から、大木を伐り出し、何と、人力のみで、神社の境内まで曳き出して、柱を建てるという、勇壮な行事である。日本三大奇祭の一つと言われる程、ユニークな祭りだ。

 諏訪大社には、諏訪湖を間にして、上社(本宮、前宮)、下社(春宮、秋宮)の4つの宮があり、それぞれの社殿の4隅に、巨大な柱が建っているが、これを、社殿と共に、定期的に建て変える神事が御柱祭だ。  

 最近では、平成10年寅年(1998年)、平成16年申年(2004年)、平成22年寅年(2010年)に行われ、次回は、3年後の平成28年申年(2016年)に行われる予定だ。20年毎の明治神宮の式年遷宮と比較すると、6年毎は、結構忙しいだろうか。

 

 物の本などでは、この祭が、信濃国全域の行事として行われるようになったのは、1200年も前で、その後、式年祭として、絶えることなく続けられてきた、と伝えられているようだが、明確ではない。単純計算では、1200/6=200回という伝統があることとなる。 

 筆者は、残念ながら、この祭を、直接、見物したことは無いが、テレビ中継では、何度か、具に見ている。クライマックスの山下ろしでは、死傷者が出た、と言ったニュースも珍しくは無い。 又、前回の祭りの翌年だったと思うが、友人たちと、信州方面にドライブ旅行に行った時、この大社の上社、下社を訪れて参拝した事がある。その折り、神聖な柱に、触れたように記憶している。

 この行事は、無形文化財として、色んな観点から、興味をそそられるわけだが、本稿では、自分として特に関心がある、柱に使われる用材について、述べる事としたい。

 

 

  今年行われた伊勢神宮の式年遷宮では、社殿の建設等に、木曽山中のヒノキ材が使われたが、こちらの諏訪大社では、御柱にモミの木を使うという。 

  こちらでは、樹齢180年程になる、巨大なモミの木を伐採してつくる柱材が、上社、下社の4宮の4隅で、16本も必要となる訳だ。中でも、最も大きいとされる、上社本宮の一之御柱の場合は、平成22年の例では、根元の直径は1m程(目通りー外周寸法―3m程)、長さは18m程と言う。(後出の表)

 

  やはり気になるのは、このような用材を如何に確保するのかということで、長期間、計画的に育成する必要があるのは言うまでも無い。

  この祭りについて、ネットであれこれ調べると、木を切り出し、神社まで運び、境内に建てるまでのことについては、克明に記してある。でも、その木を採る山が、現在どこにあって、180年もの間、どのように育成管理しているのか、についての記述は、殆ど見当たらなかった。

しかし、あれこれ苦心しながら探した結果、漸くにして、最近の用材の伐採地について、凡そ、以下の様な事が、分って来た。

 

 古来から平成4年迄は、上社用の用材は、八ヶ岳阿弥陀岳に連なる御小屋山(おこやさん 2136m)にある、神社の社有林から得て来たようで、周辺の地域には、現在も、社有林を育成管理する専門の作業集団「山作り」が住んでいるという。

一方、下社用の用材は、社有地ではなく、東俣国有林から、長年、有料で払い下げて貰って調達してきたようだ。

 

 しかし、過去の、伊勢湾台風(1959年)の影響もあって、御小屋山の社有林の原木の枯渇が懸念され、暫く休ませる(焼け石に水?)必要があるということから、平成10年以降から、上社の用材伐採地を、他に求めたようだ。下表のように、平成10年は、下社と同じ東俣国有林から調達出来たものの、上社、下社間の対抗意識も強いこともあって、その後の上社については、下表のように、蓼科山麓の立科町町有林、蓼科山麓の国有林と、転々としているようだ。

次の平成28年は、どうなるのだろうか?    

            平成28年  平成22年    平成16年     平成10年    ~平成4年 

上社用材伐採地  ?       立科町国有林  立科町町有林   東俣国有林   御小屋山社有林

下社用材伐採地 東俣国有林  東俣国有林    東俣国有林    東俣国有林  東俣国有林 

   伐採地地図  図右下に御小屋山

((上社、立科の蓼科山から御柱祭用材 前回に続き諏訪地方以外で - 御柱祭)から引用)

 

  これに関して、名古屋大学の大学院生が、伝統行事での、用材の調達地を変える事の当事者の葛藤等について調査した論文が見つかった。(御用材をめぐる現状

他にも関連する記事もあり、いずれにしても、用材の確保は、かなり、深刻な状況のようだ(「御柱の用材」《上社の御柱祭》

  過去には、樹種として、神木とも言われるモミの木でなく、カラマツや、ツガを使った時もあったようだ。

また、下表の上社用の柱の大きさを見ると、本宮1以外は、やや小ぶりな(樹齢が若い) 柱のようだ。(御柱祭アラカルト

 

 

上社の御柱の外周寸法(目通り)

 
         

単位:センチメートル

 

平成22年

平成16年

平成10年

平成4年

昭和61年

昭和55年

2010年

2004年

1998年

1992年

1986年

1980年

本宮1

336

300

278

268

295

263

本宮2

275

290

262

230

258

243

本宮3

245

260

220

206

189

231

本宮4

244

247

213

191

176

221

前宮1

282

272

245

240

251

252

前宮2

257

270

233

214

209

242

前宮3

245

248

218

198

179

230

前宮4

233

242

197

183

165

217

伐採地

立科町
国有林

立科町
町有林

東俣
国有林

御小屋山
社有林

御小屋山
社有林

御小屋山
社有林

 

  巨大なモミの御柱

  伐採地が、神社に近い諏訪近郊でなく遠方の場合は、山下ろしのスタート点まで、トラックで運搬すると言う事にもなろう。

 

  伝統行事である御柱祭としては、用材の

     ・大きさ

     ・伐採地

     ・樹種

は、毎回、近隣の山からモミの巨木を伐り出し、人手だけで里まで下ろして柱を建てるという作業を、伝統に則って、「そのまま」を行うのが理想だろうし、使う柱は、出来るだけ巨大なものが望まれるのは人情だろう。でも、現実に起こって来ている、資源の枯渇に対して、どのように対処していくのか、特に、当事者にとっては、極めて、重要なテーマであろう。

  今後の状況によっては

       ・やや小ぶりな用材でよしとする

       ・伐採地が離れても仕方が無い(トラックで運搬)

       ・樹種はモミでなくとも我慢する

こともあるだろうか。

 

 

  御柱祭は、伝統を守ると言うだけでなく、地域全体としても、今や、重要な観光資源であり、経済活動とも言えるであろうか。

 祭りに関するPRや、テレビでの放映などは派手になる一方で、今後も、式年祭の人気は高まるだろう。

 

 一方、肝心要の木だが、大きく育つまでには、文明が進んだこの時代でも、昔と殆ど変らない時間を要するのだ。前稿でも述べたことだが、このスピードの時代にあって、自然を相手に、180年もの間、どのようにして、山で木を育てるのか、ということだ。

いっそのこと、生長促進剤を使って時間を短くする、成長が早い熱帯で育てる、等は出来ない相談だろうか。

 

 木がよく育つように面倒を見る作業自体は、そんなに難しいことでも、肉体的に苦しいことでもなく、言わば、単純作業の組み合わせと、繰り返しであろうか。

 このような、祭りの裏方とも言える作業には、社会の関心もあまり向けられないことから、単純作業の省力化や、木登り等の危険な作業を減らす工具の開発等も、なかなか進まないように思える。 

盛り上がるイベント人気と、地味な木(こ)育てとのギャップの大きさ、落差が、恐ろしく感じられる。 

 

 

  今や、我が国では、生活様式の変化や、石油化学による材料革命等で、木材や里山に依存して来た生活が大きく変わって来ている。建材としての木材の需要も大きく変わり、各種用材や燃料等として雑木等が使われなくなってきているなど、古来の木の文化が、急速に失われて来ている。

森林と人間との関係が、大きく変化してきている訳だ。

 

 森や森林の役割として、各種用材を供給する(勿論、祭事用も含め)ことや、紙パルプの原料とすることに加えて、COを吸収する環境保全機能や、水資源を確保する保水林の役割等、今後はどうあるべきなのかを、改めて見直す時期に来ているだろうか。

 これによって、我が国の林業や国産木材に対する、社会的な需要や要請が維持され、作業する人達のモチベーションが向上する事が、最後の決め手になるだろうか。

 

  用材の調達難から、現在のような「そのまま」の形で、御柱祭を継続する事が出来ず、最悪の場合、そう遠くない将来に、この祭りを止めざるを得ない事態も起こりうるだろうか。或いは、前述したように、やや変化させて、継続する事になるだろうか。

 いずれにしても、御柱祭がどうなって行くのかは、我が国の今後の国土の方向についての、大きな試金石の一つのようにも思える。

 果たして御柱祭の、モミの木は「残る」 だろうか?!

 

 

コメント
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