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つれづれの記

日々の生活での印象

ネット地図上のアンダルシアの旅

2013年08月10日 22時36分30秒 | 日記

2013年8月10日(土) ネット地図上のアンダルシアの旅

 

 

 今年になって、当ブログに、スペインシリーズ記事を投稿以来、すっかり、スペインのファンになってしまっている。 

 先日の8月2日の、BS-TBS「地球絶景紀行」という番組(旅人:安田成美)で、スペインのアンダルシア地方が紹介され、映像が流されたが、ワイフKに知らされて、番組の途中から観ることとなった。

 「洞窟の町」とも言われる、セテニルという街がでて来た。岩山の近くの崖や洞窟等を利用して街や家が作られていて、通りの上や、家の中の壁や天井など、自然の岩がむき出しになっている、信じられないような風景だ。

以前にも、NHK―TVのBS番組「世界ふれあい街歩き」で、似たような光景を見たことがあるように思う。(下図は ネット画像)

  通路の上の岩 

 今回の番組のタイトルは、“アンダルシアのひまわり”ということで、ひまわり畑を“絶景”として、紹介することのようだ。 セテニルの人達に、ひまわり畑の事を尋ねたら、オルベラに行けば見られるかも、と教えてくれた。

 そこで、セテニルからオルベラに向かったのだが、でも、オルベラはオリーブ畑ばかりで、ひまわりは見られなかった。しかしここでは、偶々、年に一度の、白壁の家々の間を縫って進む、お祭りの行列に出会えた事はラッキーだった。

 でも、やはり、ひまわり畑が見たい、とコルドバの方へ向かった所、念願の一面のひまわり畑が現れたのである。広大でなだらかな大地が、一面の黄金色になっている光景は、見事である。以下に、2通りの画像を示す。

 

                       ひまわり畑 1(番組記事画像)

  

                       ひまわり畑 2(ネット画像)

 

 以前、テレビで、中国四川省の山中での、一面の菜の花畑(ナタネ)の黄色の風景を、観た事があり、当ブログの下記記事

          菜の花に寄せて (2013/2/23)

でも触れているが、それを超えるような、壮大な光景であった。北海道の富良野のラベンダー畑も見事だがーー。

 

 此処のひまわりは、人の背丈ほども高く、実(み)は、大人の顔よりも大きかった。

 地域の重要な産業として、ひまわりの実は、収穫して食用油にする様だ。でも、最近は、ひまわりから、オリーブに替える農家が増えていると言う。

 ひまわりと言えば、アメリカの大リーグ野球では、選手達が、ベンチの中で、ひまわりの種を噛んでは、忙しく殻をペッと吐きだす風景は御馴染だが、食べるひまわりの種は、種類が異なるのだろうか?

 オリーブでは、スペインは世界一の生産国だが、ナタネ、ヒマワリ、オリーブなど、植物性油の変遷という大きな流れの中で、ひまわりは、地域の生活や産業の基盤であるとともに、観光資源としても、活用されていると言えるだろうか。

 

 ここからは、今回の関連から、ネット上で見られる、地図に関する話題である。

 今回、BS-TBSの番組で紹介された、アンダルシア地方の洞窟の町セテニル(Setenil)や、お祭り行列のオルベラ(Olvera)は、番組の紹介記事を参考にして、ネットの地図上で、見つけ出す事が出来た。

 一方、ひまわり畑の所在については、番組の記事でも明記されていないのだが、ネットの中に、ひまわり畑に行った旅行記(ここちよい旅「スペイン」編)がる。これには、コルドバとセビリヤの間にある、カルモナ(Carmona)から、アラハル(Arahal)の方へ行った辺りで、見事な、ひまわり畑が見られた、とあり、下図のように、アンダルシア中央部のネット地図上で、これらの場所も確認できた。(図は、Google地図のコピー)

セビリヤ カルモナ   アラハル      オルベラ                コルドバ                                                  グラナダ

Sevilla  Carmona  Arahal          Olvera                    Cordoba                                                 Granada 

                

 当ブログの下記記事

        日本スペイン交流400周年  8 (2013/7/25)

では、アンダルシア地方の、白い村と言われる、カサレスに触れたが、記事では、その所在は良く分らなかった。

 ネットで見つけた、カサレスの旅行記(スペイン編31. 辺境の白い村:カサレス | Un film parle)を参考にして、地図と対比しながら調べた結果、エステポナ(Estepona)から入ったところに、カサレス(Casares)を、比較的簡単に、地図上で見つけることができたのである。

 この旅行記では、アンダルシア地方の白い村としては、マラガ近くのミハス(Mijas)が有名なのだが、余りに観光地化されているので、敢えて、鄙びたカサレスを訪れた、とある。

 

 また、この旅行記には、湖畔にあるサアラ・デ・ラ・シエラにも行きたかったとあるが、景勝地の様だが、この地名が、地図上で、どうしても見つからず、苦戦した。

あれこれ苦心の末、ロンダ(Ronda)からセビリヤへ向かう道の途中の貯水池畔に、サアラ(Zahara)という地名を見つけた。ここが、サアラ・デ・ラ・シエラ(Zahara de la sierra)と思われる。

 以下の地図は、セビリヤとマラガを含む、全体図である。

  セビリヤ        カルモナ   アラハル

  Sevilla          Carmona Arahal   

 

                                                                オルベラ  ロンダ                                            マラガ

                                                                Olvera      Ronda                                              Malaga

 そして、マラガ近郊を部分拡大した下図には、上記の各地域が表示されている。

 

サアラ   カサレス  オルベラ セテニル ロンダ                                                         ミハス           マラガ

Zahara   Casares   Olvera     Setenil    Ronda                                                        Mijas           Malaga

 

 自分の場合、知らない土地へ行く時、特に外国の場合は、先ず、地図で概況を知り、次に、目的地の所在を確かめたくなるのが性分だ。地図上で確かめられると一安心で、その地へ旅しているような気分になる。

でも、国内の場合などでは、言葉も含めて勝手が分っているだけに、知らない土地へ行って、出たとこ勝負で、行き当たりばったりに廻って見るのも、楽しいものである。 

 

 現在は、ネット上で、世界中の各国の、かなり詳しい地図を、見る事が出来る時代だ。例えば、アンダルシア地方で検索すると、11種もの地図が現れる。この中で、Google地図、Yahoo地図の場合は、或るレベルまでは、日本語でも表示されるが、細い道まで書かれた詳細図のレベルになると、日本語は無い現地語だけの表示も出て来て、判じ絵を見るような楽しみも湧く。

 又、地図の中には、ストリートビューが出るものもあり、良し悪しは兎も角、驚きである。 PCの、さして大きくない画面上で、拡大・縮小を繰り返して表示したり、スクロールしながら表示するのは、結構面倒だ。

 

 地図から、あれこれ、想像を逞しく出来るのには限界があり、やはり、その土地に関する案内書や、旅行記、体験記、写真集等が、重要な手引きとなる。地図上で、地名や、建造物等が確認出来ると、ぐっと実感が湧いてくるようだ。上述した番組「世界ふれあい街歩き」では、実際に歩いたルートを、画面の地図上に表示してくれる。

 

 今や、各種情報を道案内に、鮮やかな画像や、地図を見ながら、世界各地のネット旅行を楽しめる時代になっている、と言えるだろう。

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土用二の丑と うなぎ

2013年08月05日 23時37分21秒 | 日記

2013年8月5日(月) 土用二の丑と うなぎ 

 

  先月の7月22日は、土用の丑の日だったが、毎年のことだが、この時期になると、うなぎが話題に上る。

土用は、四季ごとに年に4回あるが、今年の夏の土用は、7月19日から立秋前日の8月6日までの18日間で、今年は、丑の日は2回あり、一昨日は、二の丑だった。

 

 この所の うなぎに関する大きな関心事は、ウナギ資源の枯渇の進行と、それに伴う、関連物の値上がりである。 この3月に、タイのバンコクで開催された、ワシント条約の締約国会議(COP16)の間近になって、ニホンウナギの国際的な取引を規制しようと言う動きがある、とのニュースが流れたが、幸いにも、会議の議題にはならなかった。

 この辺の事については、下記記事で触れているが、取引が規制されるのは、時間の問題で、2016年に予定されている次回会議で、現実のものとなる可能性は、極めて大きいだろう。

     ワシントン条約 COP16 (2013/3/21)

 

 うなぎの関連では、昨年にも、国内の状況、国際的な状況等について、それぞれ、以下の記事で触れているので、詳細は省略したい。

     今年の丑の日に その1   (2012/7/28)

     今年の丑の日に その2   (2012/8/01)

 

 

 今回は、最近テレビの番組で見る機会があった、うなぎに関する二つの話題を取り上げる事としたい。

 

○一つは、先日8月1日朝、二の丑が近いとして、NHK総合TVのニュースで報道された、インドネシア産うなぎ「ビカーラ」を巡る話題である。

 日本のうなぎに代わるものとして、これまでも、世界各地のうなぎ等の話題が報道されている。 

 世界の、主な うなぎには、

  ①ニホンウナギ(ジャポニカ種)

  ②ヨーロッパウナギ(アンギラ種)

  ③アメリカウナギ(ロストラタ種)

があると言われ、②のヨーロッパウナギは、国際的な取引が規制されている。 詳細は分らないが、東南アジアに多いビカーラ種は、これらとは別の種の④とも、③のアンギラ種に含まれるとも言われる。

 

 テレビで報道されたのは、インドネシアで数年前、このビカーラを見つけた、日本人実業家が、現地で、このうなぎの養殖に挑戦しているニュースで、このうなぎの味覚を、日本の うなぎに近づけるために、餌を含めて色々工夫しているようだ。(加熱するアジアでのウナギ “争奪戦“ - NHK 特集まるごと

 ビカーラの稚魚の値段は、最近、急激に高騰している、ニホンウナギの稚魚の値段の1/10程度と言う。(下図:ウナギ界の救世主? 「ビカーラ種」を食べてみた

 ビカーラ種ウナギ

 インドネシアの、この養殖場では、日本にも出荷しているようで、今年は、16トンが輸出されたとある。この量は、後述するように、日本国内の生産・消費量から見れば、微々たるものだがーー。

 日本は、世界全体の8割もの うなぎを消費していると言われるが、日本国内でのうなぎの生産・消費量は、以下の様だ。(鰻輸入量及び国内鰻養殖生産量/日本養鰻漁業協同組合連合会

  

23年度     養殖うなぎ  国産           22028t  39.1%  

          輸入品(中国、台湾等)        34061t  60.5%

          天然うなぎ                  230t   0.4%

          総計                    56319t

 

24年度     養殖うなぎ  国産               17377t  46.7%

          輸入品(中国、台湾等)        19661t  52.8%

          天然うなぎ                  169t   0.5%

          総計                    37207t 

 

 24年度の生産量は、23年度に比し、全体として大幅に減少しているが、特に、養殖の輸入品の落ち込みが大きいようだ。うなぎ全体が、年々減少傾向にある中でも、大変な状況と言え、その原因としては、資源の枯渇が支配的なのだろうか。 

 この、ビカーラうなぎは、一時的なリリーフの役にはなったとしても、各国が繰り広げる争奪戦で、たちまちにして、枯渇することは目に見えている。  

 

 うなぎの生態には、まだまだ謎が多く、産卵場所はマリアナ沖、とほぼ突き止められたとは言うものの、前出の昨年に記事で触れたように、完全養殖までの道のりは、程遠いものだ。

やはり、嘗ての鯨と同じように、近い将来、うなぎを諦めるしか無いのだろうか?

 

 

○二つ目の話題は、7月29日夜のNHKTV番組 「プロフェッショナル 仕事の流儀」 で紹介された、「ウナギ職人 金本兼次郎」の話である。(金本兼次郎(2013年7月29日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

 氏は、85歳の現在も、現役として元気に仕事を続けている、創業200年という、麻布の老舗鰻屋「野田岩」の5代目である。

御本人は、15歳の時から修行に入り、この道、70年という。 どの場面をとっても絵になるような、職人としての、見事な仕事ぶりである。

 番組の中で、特に、印象に残ったのが、

      割き3年、串打ち2年、焼き一生

と言う言葉だ。 

 最初にうなぎを割(さ)く作業は、部外者には、余り見たいとは思わない光景だが、頭をまな板に固定して、手際良く、時間をかけずにやるのがポイントという。

ヌルヌルして気味の悪い細長い鰻を、割いて骨を外し、開きにすることで、見違えるように変身するのである。

 串打ちは、比較的、やりやすいように見え、この結果、通常の魚の開きのように、扱い易くなる。これを、蒸して脂気を調整し、白焼きにするまでが、言わば、下拵えだろうか。 

 

 焼きは、習得するには一生かかると言われたが、秘伝の「たれ」をつけて焼くのは食べる直前だ。

焦げ目を作らないよう、団扇で煽いで風を送りながら、温度を加減し、何度も丁寧に焼くのがポイントの様だ。日本人好みの、綺麗な黄金色に焼きあげるのが、理想だろうか。

 四つ足の獣は食しない時代にあって、うなぎの蒲焼きは、黄金色の最高の滋養食だったように思う。   

 

 大分以前だが、デンマークのコペンハーゲンに行った時、街中の、とある店のガラスケースの中に、長いまんまの、茶色っぽいうなぎの燻製が出ていたのを見つけ、へびのようで薄気味悪く、驚いたことがある。 残念ながら、これを食べる機会は無かったが、欧米人はあのようにして食べるのだろう。蒲焼きがある日本人に生まれた幸せを実感したことだった。

 

 この野田岩のホームページを見て、面白い発見をした。何と、この老舗鰻屋では、定休日が、通常の、日曜日、年末年始等に加えて、

     7、8月土用の丑の日

とあるのである。 

 世間一般的には、土用の丑の日こそ、書き入れ時なのに、である。しかも、この夏は、2回もあるのだ。

この鰻屋、丑の日の街の喧騒をよそにして、この日は定休日と言うのは、見上げたプライドと言おうか、商売上手か下手と言おうか、恐れ入り谷の鬼子母神である。

 昨日のスーパーの店頭には、一昨日の2の丑の売れ残りのうなぎが、格安で並んでいた。

 

 後学のためにと、調べてみたのだが、この店の鰻の値段は、標準的な鰻重セットに、一口白焼きとデザートを含めたコースで、4300円とある。 

  小金色の鰻重

 よく知っている築地の某老舗鰻屋は、丑の日は定休日ではないようだが、ここのメニューを見ても、うなぎは、いずこも、なかなかの値段になってしまった、と感じた。 

 

 うなぎの蒲焼きの技術は、江戸時代に完成されたと言われるが、テレビで見た蒲焼きが出来るまでの作業工程は、食品というより、伝統工芸品に近いとも言える感じだ。値段的にも、大衆化とは対極にある、高級珍味の域に近づきつつある、とも言えようか。

 沢山の手間暇をかける蒲焼きの調理技術は、世界に誇っていい、日本らしい貴重なものと言えるだろう。

 でも、鰻に纏わる食文化のレベルが、伝統文化や文化遺産としてではなく、日常的な需要と供給を基本とした食習慣の中で、果たして、何時まで維持できるものか、危惧されるところである。

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スペイン高速鉄道の事故

2013年08月01日 23時10分23秒 | 日記

2013年8月1日(木) スペイン高速鉄道の事故 

 

 日本スペイン交流400周年 に関する当ブログの記事も、その1 から始まって、その8 までで、先日、終了したばかりだが、そんな中、スペインの高速鉄道(AVE)で、7月24日に、マドリード発フェロル行きの電車が、サンチアゴ駅の手前で脱線転覆するという大事故が発生した。

事故の規模としては、死者79人、負傷者153人という大変なものだ。しかも、事故現場が、スペイン北西部の著名な街、サンチアゴ・デ・コンポステーラ近郊と聞いて、またまた、驚かされた。 

 この都市のことは、最近になって知ったのだが、当ブログのスペインシリーズ記事の、その5(2013/7/11)でも触れているように、世界の3大巡礼地の一つと言われている、キリスト教の聖地だ。 毎年、世界中から、特に、フランスやスペインからの、多くの巡礼者が絶えない、と言われている。

 事故が発生した翌日には、聖ヤコブの日という、この地の由緒ある大聖堂でのイベントがあったようだ。 事故のニュースを初めて耳にした時、咄嗟に、多くの巡礼者が犠牲になったのではないか、と思った。でも、落ち着いて考えると、巡礼者は徒歩や自動車が多いのだ、と分り、今回の事故は、大きな影響は無かったようである。

 

 現地に据えられている監視カメラの、公開された映像で、カーブで列車が転覆する様子が、何度となくテレビで放映された。

  転覆の瞬間

 この区間の制限速度は80km/hだが、実際は、153km/h程の速度で運転されていたようだ。 しかも、列車の速度を自動的に制御する、ATCは設置されていなかったという。

 この列車事故で思い出すのは、8年前の4月に、JR福知山線で起きた脱線事故である。福知山線の場合は、制限速度70~80km/hの区間を、108km/hで運転していた、とあり、ATSは設置されていたものの旧形だったため作動しなかったようだ。(コラム JR福知山線脱線事故の疑問

 一命をとりとめたスペインの運転手は、常習的に、スピード超過を行っていたようで、仲間に、スピードを自慢していたとも言われる。

福知山線の場合と同じ様に、ダイヤを維持するために、厳しい労働条件を強いられていたこともあったのだろうか。

 

 テレビの報道だが、転覆の瞬間の動画を観た或る専門家は、先頭車両でなく、2両目から先に脱輪した、と指摘したのが注目された。 この2両目は、交直両用区間を走行出来るように改造した電源車で、車両の重心が高くなっていて、速度との関連から、カーブで不安定になったのでは、と言う。他の情報では、軌間を可変にする機能も付いていたとも言う。

 今後、事故原因の調査と分析が、どのように進められ、どのように公表されるかは、はっきりしないが、2年前に起きた、中国での高速鉄道事故のように、隠蔽主義で、うやむやにされるのだけは、して欲しくない所だ。

 

 スペインの高速鉄道網の整備状況については、十分な情報は入手出来ていないが、やや古いものだが、或る時点での整備状況と導入計画は下図の様である。図中、点線で示してある、マドリードからサンチアゴなどの、工事中の路線も、現在は、開通しているものと想定される。(AVE - Wikipedia

  スペイン高速鉄道網(AVE) 

 スペインの高速鉄道網に導入されている技術やシステムは、初期、フランスのTGVの車両技術や、ドイツの高速鉄道の軌道・信号システムが導入され、それに国産の技術も合わせた、複合的なものの様で、言わば、寄り合い所帯である。

国内の鉄道の電化の歴史との関連もあり、これらの各種技術やシステムに習熟し、使いこなしていくのは容易なことではないだろう。

今回の事故で、ATS未設置の区間で、改造している電源車から脱線したようだ、と言うのは、新旧の切り替えを行いながら、システムを整備していくことの難しさを感じざるを得ない。

 

 中国やスペインの列車事故を思う時、日本の新幹線の場合は、日本だけのホモジニアスなシステムだから安心・安全だ、などと気を許してはいけないだろう。

 我が国も、特に、明治以降、多くの分野で、西洋の先進技術を学び・取り入れ、その過程を経て、今や、自動車や、造船や、鉄道やその他の分野では追いつき・追い越して最先端には成ったが、でも、宇宙・航空技術、防衛システム、IT技術、遺伝子関連等では、やはり、先進技術を習得し、使いこなしていく必要があるのは言うまでも無い。

 

 

 

 

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