ケイの読書日記

個人が書く書評

角田光代 「かなたの子」

2016-08-06 10:31:31 | 角田光代
 8つのホラーが載っている短編集。ホラーというより、日本の土着信仰の話かな? 先回、ブログにUPした『おみちゆき』は、この中の1作品。

 表題作の『かなたの子』は、そんなに良いとは思わなかった。印象に残ったのは『前世』。
 貧しい戦前の日本。ある寒村で、よく当たるという評判の占い師の所に、一人の母親が訪ねていく。一緒に連れていかれた女の子は、ヘンな白昼夢を見る。
 自分が、母親らしい女に手を引かれ、夜道を歩いている。川べりに着くと、女は自分を抱きしめ、さっと身を離すと、傍らにあった大きな石を自分の頭の上に振り上げ…
 女の子は、それを前世の記憶だと感じた。

 時は流れ、女の子は、隣村の自分の家と同じように貧しい家の嫁となる。じじ、ばば、自分たち夫婦、夫の弟妹、そして子供が次々生まれる。家族が多いので、ご飯はほんのちょっぴり。最初のうちはそれでも、食べるものはあった。しかし、天候不順が続き、作物が育たず、村の人々は飢えに苦しむ。
 嫁は、姑に命じられる。「みんな、やってることだ」  そう、村の中を見渡しても、子供はめっきり減っている。特に、女の子が。
 嫁は、子供の一人を連れ、川辺に行く。我が子をぎゅっと抱きしめ、その甘い匂いを嗅ぎ、ぱっと身体を離して、傍らにあった大きな石を振り上げ…
 
 その時、嫁は一瞬で理解する。子供の時、見た白昼夢は前世の事ではない、今世の事だった、いや、前世も来世も同じことを繰り返すのか…。


 間引きって、避妊方法が確立されてなかった時代、生まれてきた赤ん坊を、乳を飲ませる前に窒息死させて葬ることだと思ってた。乳を飲む前の赤ん坊は、間引きをしても人殺しにはならない。でも、こんなちゃんとした子供でも、間引きされていたんだ。


 そういえば『ヘンゼルとグレーテル』の童話も、飢饉で食べるものに困った両親が、二人を森に捨てに行く話だった。
 世の東西を問わず、食糧難になれば、子供は捨てられたり殺されたりする。
 いや、子供だけじゃない。年寄りも、姨捨山の伝承は日本各地に残っている。探せば、世界中にあるだろう。

 でも、彼ら彼女らは、怨んでなかった。理解してたと思う。仕方がないことだって。自分が死ぬことは、誰かが生きることだった。自分が生を終えることは、何かをつなげていく事だった。
 
 現代では、とうてい受け入れられない考えだが、大昔、飢饉が身近な時代では、それが正しかったんだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 角田光代 「おみちゆき」 | トップ | 角田光代 「巡る」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

角田光代」カテゴリの最新記事