ケイの読書日記

個人が書く書評

米原万里「オリガ・モリゾヴナの反語法」

2015-09-10 13:39:09 | Weblog
 作者の米原万里さんは、1950年生まれで、ちょっと変わった経歴の持ち主。お父さんが、日本共産党の高級幹部で、仕事でチェコスロバキアのプラハに赴任したので、万里さんもヨーロッパに渡り、在プラハ・ソビエト学校で1959~1964年まで学んだ。万里さん、9歳~14歳の時。

 その頃の世界って、アメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした共産主義陣営とが激しく対立し、ソ連の内情など、鉄のカーテンと言われる情報規制が敷かれているので、西側からはよく分からなかったんだ。
 チェコの首都・プラハにあるとはいえ、ソビエト大使館付属8年制普通学校は、先生も事務員もソ連から派遣されているので、そこは小さなソ連。世界中から集まってくる生徒たちも、それぞれの国の共産党幹部の子弟で、将来のエリート。

 小説内には、こんなエピソードも載っている。
 1961年、ソ連の宇宙飛行士・ガガーリンは、人類初の宇宙飛行を果たした。その時、在プラハ・ソビエト学校内は皆、狂喜乱舞! 皆は口々に「アメリカは地団駄ふんで悔しがっているだろうな。」と言っていた。
 ソ連、および、その周辺の衛星国家にいる人たちは、誰もが、共産主義の資本主義に対する優位を疑う事なかったんだ。この時代は、日本でも、そう思っていた学者や知識人が大勢いたと思うよ。

 授業はロシア語でみっちりやるが、ソ連らしく、芸術教科も充実していた。特にダンス教師は、口が悪く毒舌で生徒を罵るが、素晴らしく有能! そのオリガ先生がいったい何者なのか、筆者はずっと知りたいと思っていた。



 ソ連が崩壊した翌年の92年秋、42歳の志摩(筆者の米原万里がモデル)は、長年胸に秘めてきた、オリガ先生の謎を解くため、ロシアを訪れる。調べていくと、その謎は、ソ連という国の歴史につながっていた。

 踊り子として人気のあったオリガだが、1930年代後半のスターリン大粛清時代、密告されて、強制収容所に送られる。なんとか生き延びてモスクワに戻ってきたオリガは、昔の恋人の手を借り、チェコに渡ろうとするが…。本当にハラハラドキドキの人生。
 でも、ソ連では、そういう人は珍しくなかったのでは?

 小説の中で、登場人物にこう言わせている。「ソ連で、スターリン時代の粛正に無関係でいられた人なんて皆無」一族の誰かが犠牲になっているらしい。祖父とか伯父や叔母、従兄弟とか…。


 スターリンの粛正って、すざましいね。北朝鮮の粛正どころの騒ぎじゃない。NKVDという秘密警察(後のKBG)が実行するんだが、その長官A氏も次の粛正のターゲットとなり、彼の部下も根こそぎ粛正。次に長官になったB氏も、やりたい放題やっていたら、次の次の長官C氏に追い落とされ、彼の部下も全滅…という事らしい。
 粛正って、強制収容所送りとか流刑とかもあるけど、ほとんどが銃殺。

 ソ連崩壊後、遺族たちが、故人の名誉を回復しようと色々調べても、殺した秘密警察官自身が、粛清で殺されているので、詳しい事は分からないようだ。

 そうそう、スターリンの娘って、アメリカに亡命したんだね。
コメント
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