戦前のある時期の閣僚で、海軍大臣は米内光政、陸軍大臣は板垣征四郎であった。このふたりは旧制中学の先輩、後輩になる。
『文芸春秋』連載の「昭和天皇」に次のくだりがあった。
「対座した途端、板垣はいたたまれない気持ちになった。米内とは同郷であり、盛岡中学では五年の先輩である」
しかし、調べてみると、米内光政は明治32年、板垣征四郎は明治35年にそれぞれ中学を出ている。となれば、3年違いの先輩・後輩になるではないか。
米内は明治13年生まれ、板垣は明治18年生まれである。著者の福田和也は、この5歳の年齢差から速断したのではないか。
『文芸春秋』連載の「昭和天皇」に次のくだりがあった。
「対座した途端、板垣はいたたまれない気持ちになった。米内とは同郷であり、盛岡中学では五年の先輩である」
しかし、調べてみると、米内光政は明治32年、板垣征四郎は明治35年にそれぞれ中学を出ている。となれば、3年違いの先輩・後輩になるではないか。
米内は明治13年生まれ、板垣は明治18年生まれである。著者の福田和也は、この5歳の年齢差から速断したのではないか。
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