ブログのタイトルを「本と旅とやきもの」としたが、看板倒れならぬタイトル倒れになった。
もう欧米への海外旅行はない。外国はせいぜい非日常の気晴らしを求めるときに韓国に出かける程度だ。もっとも、韓国には何度も行っているので旅の勘定に入らない。
最近は国内での旅もない。東京や郷里に行くのは移動にすぎない。
また、やきものからも足を洗った。となれば本との縁のみになる。
昔の話をひとつ。
ニュージャージーのとある小さな町のこれまた小さな骨董店で薩摩焼のコーヒーカップ(ティーカップだったか)とソーサーのセットが一客あった。色彩鮮やかな絵付から、多分、輸出用だろう。
オーナーと思われるご婦人が「これはどんなやきもので、日本ではどのくらいの価格になるか」と訊く。有名な薩摩焼と教えて、「アンティーク・マーケットで50ドルぐらい」と答えた。あてずっぽうだが、骨董市でそんな値段だったような気がしたのだ。
それを聞いて店主は、その薩摩焼をしまい込んだ。
値段を付け替えるのだろう。そして、客にこれぞ有名な薩摩焼であると能書きを垂れるに違いない。これがほじくり返した旅のなかのやきものという話
ところで、元の値段はいくらだったか。それがとんと記憶にない。
もう欧米への海外旅行はない。外国はせいぜい非日常の気晴らしを求めるときに韓国に出かける程度だ。もっとも、韓国には何度も行っているので旅の勘定に入らない。
最近は国内での旅もない。東京や郷里に行くのは移動にすぎない。
また、やきものからも足を洗った。となれば本との縁のみになる。
昔の話をひとつ。
ニュージャージーのとある小さな町のこれまた小さな骨董店で薩摩焼のコーヒーカップ(ティーカップだったか)とソーサーのセットが一客あった。色彩鮮やかな絵付から、多分、輸出用だろう。
オーナーと思われるご婦人が「これはどんなやきもので、日本ではどのくらいの価格になるか」と訊く。有名な薩摩焼と教えて、「アンティーク・マーケットで50ドルぐらい」と答えた。あてずっぽうだが、骨董市でそんな値段だったような気がしたのだ。
それを聞いて店主は、その薩摩焼をしまい込んだ。
値段を付け替えるのだろう。そして、客にこれぞ有名な薩摩焼であると能書きを垂れるに違いない。これがほじくり返した旅のなかのやきものという話
ところで、元の値段はいくらだったか。それがとんと記憶にない。
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