正岡子規の句に「鶴の巣や 場所もあらうに の家」がある。
子規の時代には差別用語の認識に無自覚だったに違いない。それを昭和も半世紀すぎてから差別はけしからんと読者が出版社に抗議したとか。
ものの本に、「」は軍事の補助や罪人の管理などの公的仕事や皮革製造をしていた職業持ちとある。また、「」は浮浪者今風に言えばホームレスとある。
いささかきれいごとくさい説明であるが、おそらく、子規はその程度の意識ではなかったか。
そもそも現代からみて、子規の句の巧拙や好悪を論じてもはじまらない。その時代の背景を通して評価するべきだろう。第一「」は現代用語ではほとんど死語ではないか。
子規のふるさとの松山駅に「春や昔 十五万石の 城下かな」の句碑があった。たしかにこちらの俳句は悠然として楽しい。もうひとつ、蛇足ながら私の生まれ故郷の殿様も十五万石の藩主であった。
子規の時代には差別用語の認識に無自覚だったに違いない。それを昭和も半世紀すぎてから差別はけしからんと読者が出版社に抗議したとか。
ものの本に、「」は軍事の補助や罪人の管理などの公的仕事や皮革製造をしていた職業持ちとある。また、「」は浮浪者今風に言えばホームレスとある。
いささかきれいごとくさい説明であるが、おそらく、子規はその程度の意識ではなかったか。
そもそも現代からみて、子規の句の巧拙や好悪を論じてもはじまらない。その時代の背景を通して評価するべきだろう。第一「」は現代用語ではほとんど死語ではないか。
子規のふるさとの松山駅に「春や昔 十五万石の 城下かな」の句碑があった。たしかにこちらの俳句は悠然として楽しい。もうひとつ、蛇足ながら私の生まれ故郷の殿様も十五万石の藩主であった。