本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

今日は赤穂浪士討ち入りの日

2019-12-14 08:44:37 | Weblog
 12月14日は赤穂浪士討ち入りの日ですね。
 中学生のころ、赤穂義士銘々伝なる講談本を読んで義士のファンになったものだ。そんなわけで、四十七士の名前をそらんじていた。今は20名も呼び起こせるかな。

 虎ノ門から新橋に向かう環状線と交差する日比谷通りに田村町がある。ここに「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が建っている。ここは田村町の由来である田村右京太夫の屋敷があった。そしてこの屋敷の庭で内匠頭長矩は切腹した。

 さて、四十六士(足軽の寺坂吉右衛門は除く)は切腹と相成った。柳沢吉保から処罰について相談を受けた荻生徂徠は意見書を提出した。

 ここの主旨は「主君の仇を打ったのは武士としての義挙である。しかし、浅野長矩が殿中で刃傷沙汰を起こしたから処罰されたので、吉良が浅野を殺したわけではない。公儀の許可なく吉良を殺したのは幕府の法照らして許せぬ行動だ。彼等の忠義に免じ武士の待遇をもって切腹させるのが妥当」

 切腹は武士の面子をたてる死なのですな。

 2日前、舘林について書いた。この欄で続きがある。
 赤穂事件は五代将軍綱吉の時代だが、元々綱吉は舘林藩主である。たまたま兄である四代の家綱亡き後、後継ぎがいなかったので横すべりしたのだ。その綱吉の舘林の配下が柳沢吉保ということだった。