東日本大震災の発生から一週間です。
仙台の利府に住んでいる次兄から昨日、やっと連絡が入りました。
以下は本人からのメールです。
「被害は、食器棚を支えていた耐震用の支柱が大きくズレて天井に
穴が開いてしまいましたが、おかげで食器棚の倒壊は
免れました。が、中の瀬戸物やガラスの器等は四散してしまい
使いものにはならなくなったことが、最大の被害で
あとは、棚の上に乗っかっていたものが散らばった程度でした。 」
元気でいただけでも嬉しかったです。
そして、香港在住の娘が「日本製の粉ミルクが店頭から消え、手に入らない」と訴えてきたのは一昨日。
その娘から翌日には「そこは危険だから、此処でしばらく生活したら?」と電話が入りました。
丁寧に好意に感謝して断りましたが「遊びにくるつもりでいいから来ない?」と再三言ってきました。
私は日本の原発が世界最高技術を保持していると信じ、解決まで後もう少しと信じています。
案じておりました。
もう一週間たったのですね。
なかなか元の生活に戻る兆しは見えませんが
粛々と日々を過ごしております。
子供たちだけでも避難させろと実家から矢の催促ですが、子供たちが忙しくて行けません。
ここで頑張るしかないです。
舞浜もゴーストタウンのようで涙が出ます。
ご家族で避難してご自宅には住んでいないのではと思っていました。
さぞご不便な生活を強いられていると想像しています。
市のHPで災害状況を見ましたが、その甚大さに驚愕しています。
想像を絶するものでした。
笑顔でお会いできる時を楽しみにしています。