ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『不健康で無価値なものは、子孫の体に その苦悩を引き継がせてはならない』と、でも。

2015-11-21 06:22:03 | 日記
はっきり言って怖い発言でした。
  『妊娠初期に、もっと(障害の有無が)わかるようにできないんでしょうか。
  4カ月以降になると、おろせないですから』
  『ものすごい人数の方が従事している。
   県としても、あれは大変な予算だろうと思った』
茨城県の長谷川智恵子教育委員が、18日の県総合教育会議で、
県内の特別支援学校を視察したことを踏まえての発言です。
耳を疑いました。
教育委員の任に在る人の発言とは思われません。

長谷川氏は、
  『言葉足らずの部分がありましたが、
  決して障害のある方を差別する気持ちで述べたものではありません。
  反対に、生徒さん達の作品を拝見し、多様な才能をお持ちでいることも理解しており、
   美術の世界で、もっとお手伝いができるのではないかと思いました。
  また、生まれてきた子どもたちの命は、全て大切なものであると考えております』
                              (朝日デジタル11月19日)
と、発言を撤回、辞任する意向とか。

でも、この発言、
〈障害を認めないわけではない。言葉が足らなかった〉
と、単なる発言の撤回で納得できるものでもありません。
人間には、様々な価値観に根差した考え方があることは認めます。
でも、長谷川氏のこの発言を聞いて、私は、背筋が寒くなる思いがしました。

ユダヤ人へのホロコーストに先立つ数年前、ドイツ内のハダマー精神科病院地下室で、
快復の望みがない病人や障がい者、20万人以上が虐殺されています。

ヒトラーは、『わが闘争』の中で、
  《肉体的にも精神的にも、不健康で無価値なものは、
   子孫の体に その苦悩を引き継がせてはならない。
   国家は、幾千年も先まで見据えた保護者として振舞わなければならず、
   個人の願いや我慾などは、なんでもないものとして、諦めるべきものである》
と言っています。

こうした虐殺に異を唱えたフォン・ガーレン司教は、
  『貧しい人、病人、非生産的な人がいて当たり前だ。
   私たちは他者から、生産的であると認められた時だけ生きる権利があるというのか。
   非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ、実行されるならば、
   我々が老いて、弱った時、我々も殺されるだろう。
   いま、弱者として標的にされている精神病者だけでなく、
   非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になった人すべて、
   老いて弱ったときの私たち全てを殺すことが許されるだろう』
と、説教しました

後期高齢者に分類される私の心身機能は、徐々に低下しています。
「非生産的」「他からの援助が必要」ということからすれば、
私なども、不要な人間に入ります。
「ピンピン コロリ」を推奨し、
「コロリ」のための薬物投与が合法化される社会へ、などとは考えられませんが。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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