ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

そして、〈日本経済は、成長へと向かった〉

2018-06-17 06:10:29 | 日記
外気温が18度。
曇っていることもあって、うすら寒さを覚えています。
冬物のセーターを着たいくらい。

リックを背負って、JAの直売所に野菜を買いに行きました。
往きは歩き。
帰りはバス。
クルマの免許返納以来、慣れたせいか苦には感じません。
お金のかからない健康法の一つと考えて、最近は ちょくちょく出かけています。
青物の野菜、季節の野菜類は少しずつ買い求めて、新鮮なものを食べるのが
私の「贅沢」です。
きゅうり 白菜 キャベツ カブ(葉付き) ピーマン、大葉 その他。
結構な重さでしたが、背負えば何のことはありません。

日常のことが自分でできるという事は感謝すべきこと。
当たり前の様になっていますが、食べるものが手に入ることも同じです。

「食べるものが無い」時代を経験しました。
太平洋戦争末期から終戦後数年です。

  《米朝首脳会談の焦点の一つが朝鮮戦争終結を宣するかである。
  日本の針路を方向づけたともいえる戦争。その始末、人ごとではない。
  1950年6月25日に始まる戦争は、当初南下の北朝鮮軍が圧倒、米軍が主力の
  国連軍が韓国軍を支えて押し返すと中国義勇軍が参戦、消耗戦で多くの民衆の
  犠牲と家族離散を生んだ。
  53年7月休戦。北朝鮮の背後にあったソ連とアメリカの代理戦争と目され、東西
  冷戦構造が固まる。
  この戦争が日本に与えた影響は戦時物資供給の特需景気にとどまらない。
  日本から米軍が戦場に送られ、穴を埋めるように警察予備隊が登場、後年自衛隊
  になる。
  一方、レッドパージ(赤狩り)が進み、共産党員やその同調者と目された人々が職を
  追われた。その傷は深い。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ただ景気はわいた。開戦翌日の月曜日、株式市場では重化学工業関連など
  軍需株を中心に上がる。
  日本は戦場に近く、生産設備と技術、労働力があった。
  日本経済は復興から成長へ向かう。
》 (赤文字変更 筆者)
玉木研二(毎日新聞客員編集委員)氏による、今月12日毎日新聞「火論 <ka-ron>」から、
引かせていただきました。

食料不足、もちろん日用の生活用品すべての不足を来たしていた私たち日本の国民も、
徐々に、生活物資が手に入るようになり、お腹を空かすことも無くなって来たことを覚えて
います。

北と南に分断された朝鮮半島。
日本も関りが深かった歴史的事実は忘れてはいけないと思っています。

でも、拉致問題。
北朝鮮は、《日本はすでに解決された拉致問題を引き続き持ち出し、自らの利益を
得ようと画策した》と主張。
米朝首脳会談でのトランプ氏の拉致問題に関する あの発言って、どうだったの、
と、疑問詞が付いてしまいます。
何とかして、拉致被害者救出への道筋が開かれることを願うばかりです。
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