一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

大学の器、または対象としての「弱者」と目的としての「弱者」

2006-11-30 | よしなしごと

「フリーターは惨め」 近大、HPの文章削除
(2006年11月29日(水)12:03 共同通信)  

近畿大学(本部・大阪府東大阪市)の理工学部が運営するホームページに「新卒で就職出来ていない人は欠陥品」「30歳後半のフリーターは惨め」といったフリーターを侮辱したともとれる文章が掲載され、外部からの指摘を受けて削除していたことが29日、分かった。  

同校によると、理工学部理学科の講師が「夢を実現するために、今はまず就職することです」と学生を励ます目的で数年前に執筆。手直しを重ねながら、就職情報のホームページに掲載され続けた。  

この中に「新卒で就職出来ていない人は落ちこぼれであり欠陥品。君がどのように言い訳をしようと、社会は欠陥品と見ます」「30歳後半になったフリーターは悲しく惨め」という文言があったほか「既卒者は肉体労働に近い、人が敬遠するような職を探すことになります」という表現もあった。  

私が気になるのは、大学がこの文章を削除してしまったことです。 

理工学部の就職情報のHPに一講師が書いたエッセイが大学の意見を代表するとは普通は思わないでしょうし、心配ならその旨注書きしておけばいいわけです。  
また、侮辱的な表現があれば、その部分を謝罪して訂正すればいいだけです。

本来大学というのは、さまざまな意見を自由闊達にたたかわせて学問の発展に寄与するはずの機関であり、批判が出たからといって削除してしまうというのは本末転倒ではないでしょうか。  

問題の文章全体を読んだわけではないので的外れな議論かもしれませんが、そもそも「欠陥品」というならそれを製造した大学の教育内容も議論になるはずです。 
また、大学(特に理系)においては修士課程・博士課程と教育レベルがあがるほど ポスドク問題などの、求人と求職の構造的なミスマッチがあり、そちらの方向に議論が発展すればより本質的な議論が深められたのではないかと思います。 
(ポスドク問題については「ポスドク問題とは何か」により詳しい分析がされています。)  


今回の近畿大学は非難を怖がっていきなり文章を削除するのでなく、これを契機にコメントなども受け付けながら前向きな議論に発展させたならば、大学としての器の大きさをアピールできたのに、単に「醜聞に蓋をした」というような対応をしてしまったのは残念だったと思います。  

一部の抜粋だけではわからないですが、私としては問題の文章が上のような大学教育の機能にまで視野を広げたうえでの問題提起であれば、(表現の不適切さはあったかもしれませんが)なんら恥じることはなかったと思います。  


逆にこれらへの批判をする側も、就職のあり方としてのフリーターの意味(または期せずしてそうならざるを得ない状況の問題点)について正面から反論すべきだと思います。 
しかし、これに関するマスコミの報道もフリーターに取材して「不愉快だ」とか「失礼だ」というコメントを取り上げているだけのものが多く、それじゃ最近問題の「いじめ」の一つのきっかけでもある異端や不愉快なものを排除するメンタリティとと同根じゃないか、と思ってしまいました。  

私はもともと「フリーター擁護」の論調には何となくなじめないものを感じていたのですが、本件についても、その延長上にある違和感を覚えます。  

ちょうど内田センセイがブログでこのような問題に関し面白い切り口で整理されていたので引用します。  

私たちの時代の「政治的正しさ」は「『誰が最も弱者かレース』の勝者」がリソース配分で有利になる」というゲームのルールを採択した。「本態的弱者」が(社会的リソースの争奪戦では)「相対的強者」になるということになれば、人々は争って「私こそ真の弱者である」と叫びたて、「お前なんか『真の弱者』じゃない」といって他人の権利請求を棄却しようとする。 
自分がいかに迫害され、疎外されてきたか、親により学校により社会により、能力の開発を阻まれ、健全な成長の機会を奪われてきたか、その結果自分がいかに無知で非倫理的で、社会的に無能な人間になったかを人々は「競って」ショウ・オフするようになった。 
その方が「リソースの配分率がいい」という信憑が瀰漫したからである。 
愚かなことである。 
弱者に支援が提供されるのは、弱者の定義が「生き残ることが困難な個体」だからである。どのようなアファーマティヴ・アクションも本態的な弱さをカバーすることはできない。 
目先の「利得」の競争的配分に目が眩んで、人々は「生き残ることに真に必要な人間的資質」の開発に資源を投資することを怠るようになった。  



PS  どうせフリーターの怒りの声を載せるのであれば

「筆者も講師といういわば有期の契約社員なわけで、フリーター予備軍のようなもんじゃないか。」

くらいのつっこみを入れてほしかったところです。
そうしないと議論が広がらないですよね。

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酒飲みの自己弁護

2006-11-29 | 自分のこと

大酒飲みは「自殺要注意」 「3合以上」で2.3倍
(2006年11月28日15時08分 朝日新聞)  

「大酒」は自殺リスクを高めるらしいことが、名古屋市立大の明智龍男助教授(精神医学)らの大規模疫学調査で分かった。酒量を調べた中高年男性のその後を追跡調査したところ、「1日3合以上飲む人」の自殺率は「時々飲む人」の2.3倍に上った。英国の精神医学雑誌に報告した。  

酒量に応じ、全く飲まない人から1日3合以上飲む人まで6グループに分けて比べると、酒量が増えると自殺率が上がり、酒量が最も多く自殺率も最も高い1日3合以上のグループでは、毎年約1600人に1人の割合で自殺していた。  

全く飲まない人の自殺率も1日3合以上グループとほぼ同じだったが、自殺の危険性を高める重病を持ち、酒を飲めなかった人が含まれていたことが考えられるという。  

明智さんは「最近あの人飲み過ぎでは……、そんな酒量の増えた人がいたら要注意。周囲の人の対処が必要」と言う。  

うーん、私は毎日3合は飲まないのですが、飲むときはそれなりにいただきます。 
酒飲みの立場を擁護して言うわけではないのですが、最後の2つの段落を見ると、「大酒」が自殺の原因なのか、他に自殺の要因があってその現象面としての大酒飲みなのかはっきりしないですね。

周りの人が急に大酒を飲むようになったら要注意、ということでしょうか(まあ、普通は注意するよな・・・)。


一方で

程よい睡眠、うつ防ぐ? 日大医学部、2万5千人調査
(2006年11月29日02時24分 朝日新聞) 

睡眠時間が短すぎても、長すぎても、うつ状態が強くなる――。こんな結果が日本大学医学部の兼板(かねいた)佳孝・専任講師(睡眠疫学)らの研究で浮かび上がった。

その結果、20代~70代以上のすべての年代で、睡眠時間が7時間台の人たちのうつ状態の点数が最も低い健康的な状態だった。それより睡眠時間が短くても長くても、点数が高くなる傾向がみられた。

またこれまで、早朝に目覚めてしまうことがうつの特徴的な症状の一つとされていたが、今回の調査では、寝付きの悪さのほうが、うつ症状とのかかわりが強いこともわかった。

ということは、酒を飲んでいい気分で酔って寝てしまう、というのは比較的健全だ、ということでしょうか(^^;


先日、酔い覚ましにとちょいとベッドに横になって軽い本を読んでいたら、そのまま寝てしまいました。
メガネをかけたままだったので、目が醒めたとき「マズい」と思ったのですが、メガネを確認してみると、なんと寝返りを打った拍子にか今までちょいと緩くなっていたメガネが逆にきっちりとフィットするようになっているではありませんか。

酔っ払いも時には効用があるようで。

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「やらせ」より「タウンミーティング」自体の問題では

2006-11-28 | まつりごと

タウンミーティング、8回中6回は参加者を「動員」
(2006年11月27日(月)23:53 朝日新聞)

03年から今年にかけて開かれた8回の教育改革タウンミーティング(TM)のうち、6回で文部科学省や内閣府が地元の自治体や教育委員会に参加者の取りまとめを依頼していたという調査結果が27日、参院教育基本法特別委の理事会で報告された。「やらせ質問」と同様に、「動員」も複数回にわたって続いていたことが明らかになった。  

いいかげんうんざりしているのですが、この「タウンミーティング問題」ってそんなに大騒ぎすることなのでしょうか?

もともと大勢の観衆の中でいきなり自分の意見を理路整然と発言できる度胸と能力のある人は日本人の一般市民にはあまりいないと思います(そもそもそのような教育をしてこなかったことが「教育改革」の一つの論点なのでは?)
なので、他の人の発言の呼び水になるような発言者を用意しておくこと自体は特に悪いことではなく、動員された人が与党総会屋のように批判的な意見を強圧的に黙らせるようなことさえなければ、特に目くじら立てるようなことではないと思います。
※ そんなこといったら国会や県議会の与党代表質問だっていけない、ということになりゃしませんかね?


むしろ問題は、日時と場所を指定すれば一般市民の声が集まる、ということを前提とした「タウンミーティング」という仕組み自体にあるのではないでしょうか。
個人的には、名称からして「市民の意見を聴きましたよ」というアリバイ作りのためにやっているような感じもします。

本気で市民の意見を聴くなら、タウンミーティングのパネラーが専用のブログでも開設したほうがいいと思います。


なので、もしマスコミがとりあげるとするなら、機能しないタウンミーティングという方法それ自体、または「教育改革」というテーマでは市民が集まらないという現状を問題にするべきだと思うのですが。


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”5.11”問題

2006-11-27 | よしなしごと

前にいた会社のアシスタントをやってもらっていた女性が妊娠を機に退職することになったのでランチをしました。

そこで出た話が、彼女の出産予定日は来年の5月なのですが、来年の4月から社会保険の制度が変って給付金がうけられなくなるとか。


後で調べてみたところ、現在の制度は、勤務先の健康保険の被保険者が出産のため会社を休み事業主から報酬が受けられないとき、勤務先の健康保険に1年以上継続して加入し退職翌日(または退職時に任意継続した後任意継続終了時)から6ヶ月以内に出産したときは、出産手当金として標準報酬額の6割に相当する額が支給されます(国民健康保険の加入者は対象外)。
これが来年の4月からは仕事を継続している女性以外は支給されなくなるそうです。
(詳しくはall aboutの「注意!出産手当金の対象者が変わります」参照)


少子化対策が議論される中で、確かに働く女性の出産を支援することは必要でしょうが、出産を機に一度退職して子育てが一段落したら再就職しようという選択も十分自然だと思います。しかも再就職マーケットは未だ大きいとはいえない日本では後者を選択する女性が蒙る不利益に対しても何らかの補助があってもいいように思います。そうしないと無理をして働く女性が増えて、2人目以降の出産のインセンティブにならないですよね。

上のall aboutの筆者も納得がいかなかったらしく、「出産手当金について厚労省に聞きました」という記事も書いています。
そこでは厚生労働省の人は  

この制度は出産を理由にした解雇を禁じる法律も育休制度もなかった頃に作られた制度で、女性が産後も働くといっても解雇されても仕方がないことを勘案して、母体の保護や失業給付の意味合いで、退職後6ヵ月以内の出産や、任意継続による救済の仕組みが設けられた。  
また、制度の目的は仕事を続ける女性の産休中の所得補償で、自発的に「もらってやめる」という人は対象ではなかったのだが、最近は制度の悪用が目立つようになってきた。
そのため、法も整備され妊娠・出産で解雇することは禁じられて、育休制度も作られた現行制度のもとで以前から原則どおりに戻そうといわれてきて、たまたま今年、実施することになった。

と言っています。


さらにこの記事で興味を引いたのが経過措置と「駆け込み」問題。
経過措置では旧制度の対象となるのは2007年3月31日までに出産手当金の受け取りが確定した人までです。
しかし出産手当金は、出産の日以前42日目(多胎妊娠の場合は98日目)から支給されるので、実際は5月11日(双子以上であれば7月6日)までに出産すれば(任意継続の人は予定日が5月11日以前であれば)退職した人でも旧制度受給資格を持つことになります。
そうだとすると「駆け込み」が予想されますね。

上のall aboutでは  

(筆者) そうなんですか? うーん、この情報を流すと、5月13日予定日の方が、お医者様に11日にして、なんていいかねないですね。  
(担当官) それはできないでしょう。医師のモラルが問われることになります。医師法にも違反する行為です。

と言っています。

しかし、予定日を改ざんするのが医師法違反だとしても、帝王切開とか陣痛促進剤などで出産日をコントロールすることは(病院側の都合としても)結構行われているのではないかと思いますけど、それも倫理や医師法に反するのでしょうか。

実際出生日の数日の違いで数十万円の手取りの差が出るとしたら、がんばって5/11前に産もうという人は増えると思います。 


極端な話、お金に困っている5月12日が予定日の妊婦がいて、出産手当金がなければ産後の生活に支障があるというような状況に直面した場合、母体に影響のない範囲で「便宜を図る」(陣痛促進剤などを使うとか、実際は5月12日の0:30に生まれたものを11日の23:50に生まれたことにする)ことがどの程度「悪い」ことなのかは議論になると思います。
「医師の倫理」は医療行為の適正だけを考えればよく患者の幸福まで射程に入れることはいけないのか、とか、このような行為は詐欺罪として可罰的違法性があるといえるかなど、いろんな論点がありそうです。


個人的には厚生労働省の制度の当初目的を墨守する姿勢については疑問で、「もらってやめる」というのが「悪用」だとしてもそれが子供を産むインセンティブになればいいのではないかとも思いますが、監督官庁であり予算を執行する立場の厚生労働省の担当官の言っていることにも一理はあります。
少子化対策といっても具体的な制度に落とし込むのは難しい、という一例ですね。



とりあえず彼女には

「生むなら5月11日前か双子以上!」

というメールを打っておきました(どんな件名や・・・)。

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潮目

2006-11-26 | よしなしごと

「(接待)ゴルフとコンプライアンス」などというネタを書こうと思ったのですが、ゴルフコンペの「馬券」が賭博罪で摘発されたのもしばらく前でネタとしても古くなりつつあることと、全体的に小ネタは多いもののうまくまとまらなかったので、とりあえずニュースの話でお茶を濁すことにします。


輸入豚「多くが裏ポーク」 業者証言、摘発で価格上昇
(2006年11月26日(日)11:54 朝日新聞)  

ハムやソーセージの原料となる豚肉の輸入の際に関税を免れる事件が相次ぐなか、複数の食肉業者が、朝日新聞の取材に対し、国内で流通している輸入豚肉の多くが脱税した「裏ポーク」で、「買い手の大手食品メーカーとの間で、裏ポークを取引することに暗黙の了解が成立していた」と証言した。数年前から関税法違反の摘発が続いたために、ハムなどの価格は上昇したとされ、消費者には皮肉な展開となっている。  

食品業界には、差額関税制度を見直すべきだという意見が多い。同制度が保護対象とした国内の養豚業者は、制度開始の71年の約40万戸から05年の約9000戸に減少しており、差額関税は「時代遅れの制度だ」と言う。  

これに対し、農水省は「制度を悪用する方をとがめるべきで、制度そのものを批判するのは本末転倒だ」という立場を変えていない。  

最初に思ったのが何で「豚肉」でなく「ポーク」というのかなということ。 
輸入肉だからなのか、「裏豚」だと「牛乳瓶の裏蓋」(古!)と紛らわしいからなのでしょうか。  

それはさておき、業界ぐるみのグレーな慣行で従来監督官庁もお目こぼし(黙認)していたものが「クロ」として摘発されるようになったときの対応というのは企業としては難しいものがあります。 
ある日からきっぱりやめるきっかけもなかなかなく、制度を変えるロビー活動をするには現実のグレーな行為を表面化する必要があったりして、現状追認になりがちです。  
民事訴訟で敗訴するとか、罰則や摘発強化など行政がわかりやすいシグナルを出すというきっかけがあればいいのですが、今回のように潮目が変ってしまったあとで「制度が現実に合わない」と主張しても遅いわけです。


長江水質、汚水で悪化 上海の地表水 飲用基準内は1%
(2006/11/26 西日本新聞)  

中国国家環境保護総局の発表によると、中国1の大河・長江(揚子江)に排出される汚水が1998年の113億9000万トンから2005年は184億2000万トンに増加し、河川の水質が極端に悪化していることが分かった。同総局は、経済発展のために長江の環境が破壊されているとして、長江流域の水質保護条例を制定する必要があると警告している。北京の大衆紙・北京晨報が伝えた。

上海に行ったときは「水道水は飲めない」と言われていて、ペットボトルの水を飲んでいました。しかもペットボトルもミネラルウォーターではなく蒸留水と書いてあり、環境負荷が高いなぁと思ったものです。 
その意味では河川や地下水の汚染というのは周知の事実だと思っていたのですが、これを役所が発表することの意味を考えてみると 

① 企業の環境汚染を槍玉に上げて負担を求める前触れ(ロシアにおける「サハリン2」のように外国企業をターゲットにすることもあるか?) 
② 各自治体に成長優先一辺倒から環境保護への予算配分・インフラ投資を求める 
③ 水源の汚染リスクは一般市民には深刻な問題として意識されていないことの注意喚起 

というあたり、いずれにしても自国のマイナスの部分を公表するということは、何らかの観測気球なのではないかと思います。


それにしても、河川の汚染はいずれ海に流れ出して、東シナ海から日本海へと(エチゼンクラゲ同様)流れてくるので、真面目に取り組んで欲しいものです。

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内部統制とクラインの壷

2006-11-25 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

※ この飛び石連休は、(代打の代打の)接待やら業界の集まりやらのオフィシャルなゴルフ3件という「ちょっと前の日本のサラリーマン」をやっていまして、手元に資料もなく十分な考察もなく、多いのは筋肉に蓄積された乳酸だけという状態での脊髄反射的なエントリですのでご容赦を。  


金融商品取引法上の内部統制評価報告制度に関する「財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準(公開草案)」が公表されました。

内部統制に関してずっとフォローされていて、コーポレート・ガバナンスやコンプライアンスについての必見のブログとなっているtoshiさんが「内部統制監査の『品質管理』」というエントリで次のような問題提起をされています(少し長いですが引用します)。  

たとえば、内部統制評価に非常に厳格に対応する上場企業があったとします。この企業の経営者は、一般に公正妥当と認められる内部統制評価基準に従うと、自社の内部統制には不備があると認められ、その後の不備解消の努力もむなしく事業年度の最終日までその欠陥は補正できず、「内部統制は不備がある」と評価したとします。しかしながら、内部統制監査を担当する監査人は、会計基準にしたがえば有効と判断していい、と考えている、としましょう。この場合、内部統制監査を担当する監査人(監査法人もしくは公認会計士)は、経営者の評価は間違っている(つまり、この企業については、他社の内部統制評価と比較しても、一般に公正妥当と認められる内部統制評価基準によれば内部統制は有効である、と判断される)と意見表明する(つまり、経営者意見について不適正意見を述べる)ことは十分ありうることなのでしょうか?理屈のうえではありうると考えられるでしょうが、さて財務報告の信頼性を確保するための開示情報という観点からみますと、一方で企業が「信用性に問題あり」と述べて、もう一方では監査人が「信用性には問題なし」と述べているわけです。財務諸表監査の場合には、経営者が数字によって意見を表明し、これに監査人が「信用性あり、なし」と意見を出すわけですから、これは投資家の自己責任で判断する材料としては、わかりやすいですね。しかし、数字を出した企業自身が「信用性はない」と言いながら、監査人が「信用性あり」と意見を表明したとしますと、そもそも投資家は開示情報のどれを信用していいか混乱するだけであって、投資家の自己責任の根拠となる企業情報開示制度としては、おそらく不適切なものになってしまうのではないでしょうか。  

昨今の「日本版SOX法」(この言い方はあまり好きでないのですが)対応で、企業は「何をしなければいけないのか」「最低限何をすれば文句を言われないのか」更には「そんなことまでする必要があるのか」という逆切れ風な議論までいろいろ議論がかまびすしいですが、上のtoshiさんの指摘は、そもそも内部統制とは何のために求められるのか(より正確に言えば何のために内部統制が求められ、何を目的としてために監査をするのか)について考え直すいいきっかけになると思います。  

改めて金融商品取引法の「目的」を見ると 

(目的)
第一条 この法律は、企業内容等の開示の制度を整備するとともに、金融商品取引業を行う者に関し必要な事項を定め、金融商品取引所の適切な運営を確保すること等により、有価証券の発行及び金融商品等の取引等を公正にし、有価証券の流通を円滑にするほか、資本市場の機能の十全な発揮による金融商品等の公正な価格形成等を図り、もつて国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資することを目的とする。  

とあります。  

一方で会社法は 

(趣旨)
第一条  会社の設立、組織、運営及び管理については、他の法律に特別の定めがある場合を除くほか、この法律の定めるところによる。(※)

会社法は株式会社という組織の中で株主・取締役・監査役の権限と責任を定めた(その中で取締役の善管注意義務の一環としての内部統制構築義務が観念されるわけです。)のに対し、金融商品取引法は「有価証券の取引等を公正にし、公正な価格形成等を図る」ことが目的と言っています。

つまり、会社法は株主という出資者と経営の専門家の取締役・監査役が「内輪」の(=株主から見れば、「自分のためにきっちりした会社経営をしてね」と仲間である経営者に頼む)ルールをどうすべきかを定めているのに対し、金融商品取引法は金融市場を間に介して企業と素人の投資家の間の情報格差の是正をはかる(=一般投資家としての会社の「外部」にいる株主が、会社の内部の経営者に騙されないようにする)ことを目的としているわけです。  

その結果、「内部統制」における議論は、「会社はしっかりしなければならない」という誰にも文句の出ない総論の次に、「誰のためにしっかりするべきか」「会社(経営陣)を株主の側にあるもの(会社法的考え)として考えるか、株主(投資家)の外部にあるものとして考えるのか」というところで議論が混乱しているように思います。


上のtoshiさんの設例も、業務のクオリティを高いレベルに保ちブランドを維持しようという企業であればあり得ることかもしれません。
この場合、経営陣と同じサイドにいる株主にとっては経営陣の言うことはもっともなことで「もっとしっかりしてくれ」と言うでしょうし、短期の値上がり期待で保有している株主は「何物議をかもす余計なことを言ってくれるんだ、株価が下がったらどうする」ということになるわけです。

あのエンロンにしても、アウトサイダーの株主にとっては迷惑以外の何物でもないですが、役員のようなインサイダーの株主にとっては粉飾決算であっても合理的(合目的的)な行動なわけです。
逆に「現場に多少統制が効いてなくても元気があるほうがよろしい」という企業があってもいいわけで、そういう企業が「内部統制が確立していない」というだけで資本市場での資金調達ができなくなるのももったいない話です。


企業の内部統制をめぐる議論のややこしさは、このように企業と株主を同じサイドとして(=会社法的考え=儲かるためにどうするかと)考えるか、違うサイドとして(=金融商品取引法的な考え=騙されないためにどうするかと)考えるかが「クラインの壷」の表面をなぞるように循環してしまうところにあるのではないか、とふと思った次第です。  



※「六法」と言われるだけあって、商法・会社法はそんじょそこらにあまたある法律のように自らの「目的」を明らかにすることなく「趣旨」で始まるあたり、「俺がルールブックだ」風な居住まいですね。

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しかるべく?

2006-11-24 | ネタ

都内某所のExcelsior Cafeにて









客のマナーを信頼するというのも、企業としての見識ではあります。

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「粽子球」

2006-11-23 | よしなしごと


昨日の朝の「BS世界のニュース」から


上海で粽(チマキ)型ボール"粽子球"の大会が開かれたそうです。


写真ではよくわかりませんが、チマキ状(=角の丸い正三角錘)の形をしたボールを何回連続してつけるか、という競技
直径2mくらいの円をはみ出さずに、膝より高くバウンドさせるのがルール
バウンドが不規則なのでなかなか難しいようです。

上海市の大会で優勝した人は40歳くらいの女性で約260回だったとか。
「毎日家で手軽に練習できます。私は10年間やってます」とインタビューに答えてました。
でも全国記録(回数不明)には及ばないそうです。

この粽子球は1992年に国の「市民的スポーツ」(うろおぼえ)に認定されたそうです。
ちなみに認定された「市民的スポーツ」は2000以上あるとか。

これは確かに家庭で気軽に老若男女を問わずできますね。
日本でもお年寄か小学生に流行るかもしれません。


写真は上海市検察院のサイトにあった女性検察官が上海市黄浦区の大会に参加したときのものです。
(こんな画像を貼ったら今度上海に行ったら逮捕されちゃいますかね?)
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大学の「合併」

2006-11-22 | M&A

慶応大と共立薬科大、合併へ 08年4月めどに
(2006年11月20日(月)23:05 朝日新聞)

両大学によると、合併に踏み切った要因は、06年度入学者から導入された「薬学部6年制」の影響が大きいという。  

薬剤師になるためには、これまでの4年から、原則6年の履修が必要になった。このため、学生の間では学費の負担感が強まった。一方、ここ数年続いた薬学部人気で大学や学部の新設も相次いだ。全国の私立薬科大は06年度、前年度より大幅に志願者を減らしたものの全体の学生数は増えたため、実習先の医療機関の確保も課題となっていた。  薬剤師国家試験の合格率が高く伝統がある共立薬大でも、04年度に約10倍だった志願倍率は、06年度は約5倍に落ち込んだ。さらに、今後少子化で18歳人口が減り続け、現在の経営状況を悪化させないようにするため、キャンパスの近い慶大との合併に踏み切ったとみられる。  

健全な財政基盤を持つ共立薬大との合併は、医学部や看護医療学部を持つ慶大にとってもメリットは大きい。薬学の研究が多様で高度になるとともに、医学、医療分野とも連携できる。 同日、記者会見した安西祐一郎・慶大塾長は「研究水準の向上が期待でき、質の高い学生の確保など私立大学が直面している競争に有利になる」。共立薬大の橋本嘉幸理事長は「総合大学となる利点は非常に大きい。慶応と一緒になることでグローバルな視点も広がる」と話した。  

ネットではこの朝日新聞の記事が一番詳しかったので引用しました。
今回は優良大学同士の合併ですが、今後は生き残りをかけて再編が進むだろう、という論調が多いようです。  

ところで大学の「合併」ってそもそもなんなんでしょうか。  

学校法人というのはWikipediaの解説を借りれば、本質的には財団法人と同じ寄付行為による基本財産を元にしています。 
そして、 

    • 理事長及び設置する学校の長も含め5人以上の理事や2人以上の監事を置くこと(私立学校法第35条)
    • 法人運営に広く学校法人の教職員や卒業生等の意見をとり入れるため理事の2倍を超える数の評議員で組織する評議員会が必置機関であること(私立学校法第41条)
    • 解散する場合には残余財産を他の学校法人等に帰属すること(第51条-3)  

などが定められています。   

つまり、株式会社とちがって会社を所有する権利の表象たる株式のようなものはなく、当然利益配当のようなものはありません。
そして、教育活動にかかる収益は非課税(営利事業も税率が低い)なので健全な経営の学校法人は利益が内部留保されつづけるわけです。  
(学校法人をクライアントに持つ知人の公認会計士に言わせると、老舗の大学の内部留保は「それはそれはすごい金額」だそうで、なのでライバル校が新しい学部を作ったり校舎を新築したりすると、とにかく負けじと簡単に巨額の資金をつぎ込むそうです。)

また、株主によるガバナンスがない中で、上のように理事会(理事長と学校長)と評議員の独自の内部牽制が効いているようです。  
株式会社に例えて言えば、学校長は執行役員の長で取締役会メンバー、他の取締役会メンバーは理事で理事長が会長。評議委員会が委員会設置会社における委員会の役割を果たしている、というような感じでしょうか。


では、このような学校法人の「合併」というのはどうやって決まるのでしょうか?

株式会社の場合は乱暴に言うとそれぞれの(企業価値÷発行済株式総数)で一株あたりの単価を決めて、その比率が合併比率になります。
ところが、学校法人は基本財産の大きさはわかるものの、株式の概念がないので「合併比率」というものが観念しようがありません。

そうなると、意思決定機関としての理事会や評議委員会の議席数争い、ということになるのかもしれません。
ただ今回のように大学の規模が大きく違うと、資産規模按分では共立薬科大学は著しく不利になるでしょうし、「対等合併」では慶應が不利になります。

また、薬学部における教授ポストなどもどうやって決めるのでしょうか。


こう考えてみると、個人のエゴだけを優先すれば、学校経営が赤字であっても自分の(理事や評議員や教授)在任中に学校法人財産を食いつぶさない限りは他校との合併をするメリットはないですね。
また、優秀なスタッフをそろえたければ、必要な教授や研究者をヘッドハンティングしてきたほうが学校法人の経営にとっては面倒がありません。

なので、健全校同士があえて「合併」に踏み切るというのは、激しいポスト争いを覚悟するわけで、長期的なビジョンが相当すり合っていないと難しいのではないかと思います。

その意味では今回の決断は相当な英断ではないでしょうか。


ついでににいくつか感想を。

特に慶應側の事情としては、将来的には大学の合併が進むと想定される中で、今回健全校同士の「友好的合併」を経験することで、将来の合併のOJTとして役立てようという部分があるのではないでしょうか。
少なくとも今回は経済面のゴタゴタは少ないはずで、理事・評議員の構成や教授人事、また学生・OBなどへの対応の経験は次のディールに生きるはずです(このへんは企業における各種ディールの「実戦経験」「場数を踏んでいること」の重要性と同じではないかと。)。


学校法人は本質的には基本財産を持つ財団法人だとすると、赤字基調で基本財産がゼロに近づいた大学はM&Aの対象としても魅力的でなく(大学全体を抱え込むより優秀な学部・教授(経営資源)だけをヘッドハンティングすればいい(※))、そのような大学は再編すらされずに単に倒産してしまうのではないか。
(※ このへんは文部科学省の許認可権でコントロールされるのかもしれませんが)


株式のような財産的持分を表象する権利がなく、財産と人の集合体同士の合併、と言う意味では大手ローファーム同士の合併と似ている部分があるかもしれませんね(パートナーの収益・費用配分ルールとか昇格基準とかのすり合わせは大変そうです)。
 

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銀行って?

2006-11-21 | あきなひ

三菱UFJは利益5千億円 みずほ最高益
(2006年11月20日(月)23:06 共同通信)

大手銀行6グループの最終利益は合計で、中間決算としては過去最高水準だった前年とほぼ同じ1兆7000億円に達する見込み。三菱UFJ、みずほは株主への配当を増やす。公的資金に支えられて復活した大手行にとって、利用者への利益還元やサービス改善が重要な経営課題となる。
本業のもうけを示す実質業務純益は三菱UFJが約22%減の5489億円、みずほが約30%減の3931億円だった。日銀のゼロ金利解除で市場金利は上昇したが、銀行間の競争が厳しく貸出金利の引き上げが進まなかった。

不良債権の引当金の戻しとか、過去の赤字で法人税を支払っていないことによるかさ上げが大きい上に、業務純益が減少し、グループ化した消費者金融会社の赤字も足を引っ張っているので手放しで「復活」といえるのでしょうか(海外の銀行との利益率などの比較をするのがフェアでしょうがサボりますm(_ _)m)。

それはさておき面白いなと思ったのが、今朝のテレビでも言われている  

公的資金に支えられて復活した大手行にとって、利用者への利益還元やサービス改善が重要な経営課題となる。

という部分。

銀行側はATM手数料の引き下げや増配(これは公的資金の還元になってないですよね)をするようです。
でも「儲けすぎ」と言われた消費者金融は貸出金利を下げろと言われるのに対し、銀行には住宅ローンや中小企業向け貸出やカードローン(20%近い)の金利を下げろとは言わないんですよね。


やはり「庶民の感覚」では銀行はまだまだ「預金するところ」なのかもしれません。
または借り入れをすることに対する抵抗(家計の健全化志向)や貸金業に対する賎視のようなものが根強くあるのでしょうか。


低金利時代の資産運用云々が喧伝されているものの、まだまだ先は遠い、と考えるべきなのか、個人の資金が株式市場などに向かう余地はまだまだある、と考えるべきなのでしょうか?


PS でも株式に向かわずに近未來通信などにいっちゃうお金は結構あるんですよね・・・

近未来通信に「金返せ」、投資家から36件4億7千万(読売新聞) 

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ハムスター脳とブログの効用

2006-11-20 | 自分のこと
リスとかハムスターは、大きな木の実など食べきれないエサをどこかに隠しておく習性があるそうですが、どこに隠しておいたかを忘れてしまうそうです。

私にも似たような習性があります。

買った服はすぐには着ない
何となくもったいない、と思ったりして(笑)

買った本はすぐには読まない
『東京タワー』は前評判が高すぎて、「通勤電車で涙ぐんだらどうしよう」などと考えてしまっていたら、TVドラマになってしまいました。

買った食べ物はすぐには食べない
こう書くとエイリアンみたいですね。
ワインとか、日本酒などは、「ちゃんとした機会に」などと考えてずっと飲まずに置いてしまったりします。


そんなハムスター脳の私ですが昨日のエントリで「この値段なら純米吟醸の4合瓶・・・」と書いたところで、冷蔵庫の奥に「獺祭」の純米吟醸生酒の4合瓶をしまいっぱなしにしているのを思い出しました。
買ったときに、冷蔵庫内の一番上の「ここに何を入れろと言うんだ」というようなデッドスペースになっている棚にすっぽりおさまるので「しめしめここならあまり揺らされることもない」などと思ったまましまいこんでいたものです。

いくら冷蔵庫に入れているとはいえ、9月(8月?)に買った生酒ですから早く飲むに越したことはありません。
ということで刺身などを買ってきて早速いただきました。
幸いまだ十分香りも味も楽しめました(掘り出し物に興奮してしまい、写真は撮ってませんw)。


こんなのも私にとってはブログの効用ではあります。

糠床は毎日かき回して空気を入れてやらないと腐ってしまうのと同様、たまには脳みそをかき回してみないと澱んでしまいます。
ブログだと自分が書くエントリだけでなく、コメントをいただいたり、巡回先を拝見したりと「自動攪拌」ができるのもありがたいです。

そしてたまに、糠床の下のほうから古漬けになっているけどまだ食べられるキュウリなどが出てくると、なんか得した気分になりますよね。

昨日はモノが出てきて大喜びでしたが、たまにはアイデアなども掘り出したいものですw
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初物、隠れ家、限定品

2006-11-19 | 飲んだり食べたり

11月16日はボジョレー・ヌーボーの解禁日でした。

バブルの頃は「世界で一番先に飲める」などと深夜のパーティなどもありましたが、最近は「初物」としてポピュラーなイベントになったようですね。
私も初物好きの日本人として、(初日にではないものの)飲んでいました。

ところが今年はやけに値段が高いように感じられます。
ネット通販のウンチク系はおいといても、スーパーでも軒並み2300円とかします。
ボジョレーってフランスワインのなかでも庶民派だったはずではなかったでしょうか?

イベントとして認知されたので、今度は回収にかかっているのかもしれません。

私は、2300円出すならもっとおいしいワインも買えるし、日本酒なら純米吟醸の4合瓶だって買えてしまう・・・と考え、今年は見送る公算大です。
それとも年明けぐらいに安くなってから買おうかな。


というわけでボジョレーとは縁のなかった先週、隠れ家風の割烹に行きました。

ビルの地下に降りると鉄製の防火扉しかなく、そこを開けるともう一枚大きな扉があり、そこを開けてやっと店内に入れます。
店内も暗く、客層も怪しげな人たちでした(僕達以外はw)。

料理は美味しかったのですが、盛り付けを眼で楽しむには店内の照明が暗すぎるのが残念(軽く熱を通した牛肉を野菜で巻いたものが食感も楽しめて一番美味しかったです)。
値段がそれなりなのでコストパフォーマンス的には「並」だと思います。
やはり、「隠れ家」性が大きなウリなんでしょう。

照明が暗いのと店の雰囲気から写真など撮るのは遠慮したのですが、係りの女性と話をするとブログでの紹介は店名や場所を明かさなければOKだとか。
もともと近くでやっている店の常連の静かに食べられるところがほしい、というリクエストで作ったお店だそうです。

でも、完全会員制というわけでもなく(予約のときに紹介者を問われることもない)、また、blogで店名・住所どころか電話番号まで載せているところがあります。
(ちなみに上の文章に出てくるいくつかのキーワードで検索すると、地名がなくてもヒットします。ホントに隠れ家にするにはコンセプトの斬新さが裏目に出ていますね。)

「ここだけの話」という方が早く伝わる、というマーケティング手法なのかもしれません。

リピーターが初めてきた客がはしゃぐのを見て

「ここもそろそろおしまいだな」

などとつぶやくことが出来るというのもサービスのうちなんでしょう。
そして、この店が流行ってきたら、また新しい店を出すとか。

まあ、この手の手法は「セレブ」本場のアメリカが得意なようです。

VVIPルーム。内部が四つのエリアに仕切られていて、奥に通してもらうのがエリアごとにむずかしくなるという店があり、タバシュニクもそういう店に行ったことがあった。
・・・タバシュニクはVVVVIPではなかったが、そんあことは気にならなかった。たとえ、四番目の部屋に入れたとしても、そこではもっと選ばれた人だけがはいれるもっと小さな部屋に通じるドアを見つけることになるのではないか。
デイビッド・ベニオフ『99999(ナインズ)』

日本のクラブ(銀座にあるような「ク」にアクセントのついたやつではない方)でもそんな風になってるんでしょうか?

PS こういうインフレは、アメリカンエクスプレスカードのゴールド→プラチナ→ブラックとか、『あしたのジョー』のトリプルクロスカウンターとか、『リングにかけろ』のギャラクティカ・マグナム→ギャラクティカ・ファントムなど、世の常なのかもしれませんね。

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がんばれ!「課長代行」

2006-11-18 | あきなひ
久しぶりに碑文谷のダイエーに行ったら、食品売り場をリニューアルしてました。
売り場の配置が変ったのと、惣菜コーナーを充実させたようです。

レジも新しくなり、液晶パネルでいろいろ操作できるのと、現金をトレーから出し入れするのでなくレジに入金するとおつりが自動的に出てくる機械に変ってました。


私の並んだレジには2人いて、バーコード読み取りとレジ係り(お金の受け渡し)を分担していました。

私の番が来ると、レジの2人は「いらっしゃいませ」と丁寧におじぎしてくれます。
ところが、前の人から受け取った5000円札が読み取りエラーになったらしく、レジの機械から戻ってきてしまっています。

レジ係の店員さん(20代後半の男性)がもういちど入金しようとしてもエラー表示が出て受け付けてくれません。
それを見つけたバーコード係の女性(20代前半)が

「それ、たまにあるんですよ。そういうときは、『不良札』のところに入れてください。」
とすかさず指示を出します。
どうやら、読み取りエラーになった札を入れる専用のスリットがあるようです。

「そして、5000円のところにハンコ押してください」
「え?」
「レジの下に読み取りエラーの記録リストがあるので、そこにハンコを」
とバーコード嬢は身体をひねってレジの下のリストを取り出します。
「ほら、私もさっきそうだったから」
と自分のハンコを押したところを見本にします。

手間取っているレジ君の名札を見ると、
名前の上に「課長代行」とあります。
「課長代行」というのは、急遽課長が辞めちゃったのか、はたまたリニューアルの心労で倒れてしまったのか、ちょっと心配になります。

やっと私の支払いの番になり、クレジットカード会社のギフトカードを使いました(家の近所ではここしか使えないというのが今回の買い物の目的の一つでもありました)。

課長代行君、今度は最初からバーコード嬢に
「これ、どうすんの?」
と訊きます。

バーコード嬢また振り向いて、今度は液晶パネルを操作すると、ギフトカードの入金処理のメニューが現れました。

おかげで手早く精算できたのですが、課長代行君今度はギフトカードを握り締めたまま
「これ、どこに入れるの?」
バーコード嬢はとどめのように
「ここに入れてください、そして、番号をここに控えてくださいね」
とてきぱきと指示を出します。


帰り際に改めてレジ全体を眺めると、リニューアル直後のためか夕方の繁忙期だったからか、ネクタイ姿の男性社員も数多く応援に駆けつけているようです。

でも、管理職の現場応援って、どこの会社でも現場の効率を落とすんですよね・・・
応援に来る人が偉くなればなるほど、現場の混乱は加速度的に増えます。


それと気がついたのが、応援のネクタイ組がみんなレジを担当していること。
理由としてはこんなことが考えられます。

① バーコード係の方に未熟練の応援を配置するとさらに効率が落ちる
(カゴに安全にかつきちんとにおさまるように読み取り順序を工夫したり、液漏れしそうなものは小さいビニール袋に入れたり、ビン類は袋をかぶせたり、米など重いものはレジ袋を二重にしたり、弁当類は割り箸の要否を尋ねたり、最後は適切な大きさと枚数のレジ袋を渡すなど、金の受け渡しより熟練が必要そうです。)

② 現金を扱うレジ係の方が重要(高等)だから、上司の応援はこちらにすべき。


①であったらいいのですが、②の発想だとしたら、ダイエーの再生はもう少し時間がかかるかもしれません。

※もっともこれは世の中の企業にもよくある話ですので、特にダイエーだけが、というもんでもないんですけどね(そのこと自体が問題かw)
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「責任」の混乱

2006-11-17 | 余計なひとこと

(追記あり)

相次ぐ校長自殺で衝撃広がる 「敵前逃亡」と批判も
(2006年11月15日 08:16 産経新聞)

相次ぐ校長の自殺は異常事態ともいえるが、メンタルヘルスに詳しい常楽診療所(東京都足立区)の日向野春総(ひがの・はるふさ)所長は「校長は組織上頂点にいるが、実態は中間管理職。生徒や保護者、そして教育委員会の板挟みで、頭を痛めている校長は多い」という。  

ただ、いじめに悩む児童・生徒の自殺に歯止めがかからない現状のなか、教育関係者の間では「先頭に立って難題と向き合うべき校長の自殺は、やはり許されるものではない」という声が支配的だ。  

三好祐司全日本教職員連盟委員長は「死者にむち打つつもりはない」としたうえで、「難破した船内で船長自らが逃げ出すようなもの。卒業に赤信号がともった生徒からすれば、敵前逃亡に等しい。生徒第一に考え、教育者として範を示してほしかった」と厳しい。

やりきれない話ばかりの今日この頃ですね。
組織の責任と個人の責任、死者への鎮魂と免責について、不謹慎かもしれませんがちょっとした思考実験をしてみました。



日本教職員連盟などが、在職中死亡した教職員を祀る「教員神社」を建立したとしたらどうでしょう。


教員としての責任を果たさずに、生徒間のいじめを放置して生徒を自殺に追いやったり学習指導要領に従わず未履修問題を起したあげくに自殺した教員を神として祀るのはおかしいのではないかという批判に対しては、つぎのような答えが用意されるはずです。

日本では昔から八百万の神々を祀るという風習があり、亡くなった人々も神として祀る神社が各地でつくられていた。 その意味では、教職にその身を捧げて死んでいった人々を慰霊するための神社があるのも当然のことである。
さもなければ、誰も教職のために一身をささげようとは思わないであろう。
「教員神社」に祀られた人が在職中になしたことの評価は見方によって分かれるであろう。
しかし、その人が教職に一身を捧げたという事実は穢れのないものであり、その御霊を祭るという行為自体は何等非難さるべきものではない。
いじめや未履修は由々しき問題であるが、それが死亡した教職員個々人に帰すべきものはない。本来の責任は、学校や教育委員会を追求すべきである。

では、もしこういう神社があったとした場合、皆さんはこの神社に文部科学大臣が参拝することは適切でしょうか?


漠然とした印象ですが、「責任」という言葉の中に「果たすべき役割」と「過去の行為(または不作為)に対する評価」と「法的責任」の意味が含まれ、混乱しているように思います。

それはいろんな問題について起きがちなことなのかもしれませんが、問題が大きく深刻であるほど、入り口で混乱している暇はないと思うんですけど。

*********************************

(追記)

コメントをいただいたSwindさんが「『責任』はあいまい」というエントリで詳しく分析されていますのでこちらもご参照ください。

コメント (2)
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食材の話、二題

2006-11-16 | 飲んだり食べたり

今朝のNHK-BS世界のニュースのトピックスで、日本の昆布問屋が「ダシ」をフランスに売り込んで好評だった、という話がありました。

フランスでも昆布は北部地方では採れるのですが、美肌用としてしか使われていなかったそうです。

昆布ダシを日本で知っていち早くメニューに取り入れているトロワグロのシェフも「コンブ」と日本語で言ってましたので、食材としては認知されていなかったのですね。

フランス語だと"comme vous"(=with you)と語呂もいいので、流行るかもしれませんね。
(などとbとvを無視してカタカナで「似ている」から、というネタはbunさんにおこられてしまいそうです(汗))


もう一つ、BSニュースネタ
白トリュフ、オークションで落札価格1千万円超 - イタリア

【アルバ/イタリア 13日 AFP】アルバ(Alba)で12日、トリュフのオークションが開催され、重さ1.59キロの白トリュフが12万5000ユーロ(約1889万円)で落札された。今回で76回目となる白トリュフの祭典、White Truffle National Festivalの最後に行われた同オークションでこの白トリュフを落札したのは香港からの参加者で、身元は明らかにされていない。

落札したのは香港の不動産業者で(ちなみに前回のオークションの最高値落札者も香港だったとか)、リッツ・カールトン香港でこのトリュフを使ったチャリティディナーを開催するそうです。
売上は女性の避妊の自由を求める団体に寄付するとか言ってました。

食欲(ここまで来ると物欲か?)の発露で性欲の発露の結果の対処にあてよう、ということですね。


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