一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

2011年

2011-12-29 | よしなしごと

貴族階級は決してその権力の絶頂にはおらず、抑圧だの搾取だのといった直接の原因はもはやまったく存在しなかったからである。一見したところ、まさに誰の眼にも明らかな権力喪失が民衆の憎悪をかきたてたのだ。

ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』で紹介されている、トクヴィルのフランス革命の初めに突然堰を切った貴族階級に対する民衆の憎悪についての分析。(孫引きの孫引きですが)

絶対的な権力が絶対的でないとわかったとき、憎悪を抑制するものがなくなり、一気に攻撃が加速するということです。


思い返すと2011年はさまざまな場面でこの現象が見られた年だったと思います。


長期独裁政権が覆しうるとわかった瞬間にアラブ諸国で革命の動きが連鎖しました。
一方で苛烈な弾圧を続けているシリアのアサド大統領は、そのメカニズムを知っているからこそ強権行使以外の選択肢を持ち得ないのだと思います。

絶対的な権力をアピールし続けるという点では、北朝鮮の政権承継も、そしてある意味ロシアのプーチンも同じ状況にあるのかもしれません。

日本でも、小泉政権以降の現政権の不人気というのも同じメカニズムなのかもしれません。
橋下大阪府知事の強引なスタイルは、既存の権力を攻撃する側に回るという戦略と同時に、少しでも弱みを見せると危ないと自覚しているのかもしれません。


政治だけでなくでも、原発事故以来安全神話が崩壊し、電力会社に対して責任の追及や発送電分離の動きなどが起こっています。
そして大王製紙やオリンパス事件によって、企業経営者や監査法人も非難の対象になっています。
そのうち「第三者委員会」や「社外役員」もたいしょうになるかもしれません。


そして、権力ではないものの震災・原発事故で様々な安全神話が崩壊したことが、被災地の復興と津波リスク、原発事故に伴う被曝リスクや食の安全、原発の運転再開について過剰な不安や逆に判断停止を生んでいるように思います。


権力・権威が喪失した時に起きる攻撃は往々にして過剰な攻撃を生んで生産的でない結果を生み出します。
一方で、別のものを妄信したり判断停止してしまっては単なる先祖返りです。



今ある権力・権威を検証し続け、一方で自らの反応が過剰でないかをチェックし、そして代替の権力・権威についても妄信せずに検証し続けることが2012年には求められると思います。


難しいですけど。

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Merry Christmas

2011-12-24 | スコップ団


お忙しい中、今年も拙ブログにお越しいただきありがとうございました。



今年は本当にいろいろなことがあった一年でした。

東日本大震災については、個人的にはもう少し何かできたのではないかな、と反省しています。
金銭的な援助以外ではスコップ団に3回参加したくらいでした。
しかも若者に混じってどこまで戦力になれたかおぼつかないのですが・・・
(このへんの経緯については 被災地に行ってきました(まとめ) 、スコップ団については上のリンクのほかに 震災後半年 分別 などをご参照ください。)


そのスコップ団ですが、スコップ団が2012年3月10日に計画しているイベントに寄付を募っていますのでご紹介します。(詳細は下の画像からリンクしてます)

せっかくのクリスマスなので何かしたいな、と思っている方はいかがでしょうか。


下のメッセージにあるような彼らの思いについて、僕自身「共感」はするものの、正直いって「共有」できているかというと自信がありません。
だからといって無理やり自分の気持ちを押し付けるのも迷惑でしょうし、無力感だけ感じて何もしないのも無責任ですから、ひきつづき自分なりの関わり方を考えて行きたいと思います。


では皆様、よいお年をお迎えください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



俺達が、生きて、楽しんでるってことを。
あの人達が生きたかった今日を、俺達は生きてるってことを。
線香も大事だし、墓参りもいいけど。

もし天国が空にあるならば。

空に、ぶっ放してやろう。

「俺達は、元気ですよ!」
と、安心させてやろう。

ここら辺で一番高い場所から。

何もなかった3月10日に。
明日、死ぬなんて誰も思ってなかった3月10日に。








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『幸福の商社、不幸のデパート』

2011-12-22 | 乱読日記

著者はベンチャー起業し上場を目指すも成就直前で役員の造反にあい、企業が瓦解する中、個人保証を入れていた3億円の負債を抱えた状態から立ち直り、その後経営コンサルタントなどを経て、さまざまな成功本に共通する法則を分析した本が人気になり、現在は執筆業をメインにしているという波乱に富んだ経験をしてきた人です。

僕自身はネットバブルやベンチャーブームには直接関わりがなかったのであまりイメージがわかないうえに、固有名詞や事業の詳細についての記述を避けているので、あまり臨場感が伝わってこないのが残念でした。
なので部外者にとっては業界の内幕話を期待すると期待はずれに終わります。

前半部で面白かったのは、借金の返済の順序は「人(従業員の給料)→モノ(仕入れ)→カネ(金融機関)」の順にすべきということくらい。

エピソード自体はいろいろなところにまぶしてある人生訓を読むための舞台回しと考えた方がいいのかもしれません。
一時間半くらいで読めてしまうという手軽さも含めて、ここのところが著者の文筆家としての成功のノウハウなのでしょうか。


面白かったのは、著者が文筆家として成功本に共通の法則をまとめるにあたって、自らを成功実験のモルモットにしたというところ。
成功の法則というのは著者曰く  

主なところで言うと「早起きする」「時間とお金と人間関係を管理する」「目標を定めて行動する」「成功ノートに目標を書く」「潜在意識の力を利用して日々生活を送る」「願いはかなうと心のそこから信じる」というようなことである。

とシンプルなのですが、そこまでの覚悟をもって徹底することが必要だということですね。  

ただ、ちょっと疑問なのは、著者のベンチャー企業が頓挫した理由のひとつが会社の上場をゴールにし、キャピタルゲインでセミリタイアを目指していたため、上場の先の企業経営のイメージがないまま一攫千金狙いの人々の集まりになっていたからではないかと思えることとの関係です。  

つまり、目標設定が適切でなければ「成功」は難しいのではないか、目標を設定するために視野を広く持つことや、「成功」した後の自己イメージが正しいものであることが大事だったりするんじゃないのかな、とオジサンとしては思った次第です。




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『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 』

2011-12-21 | 乱読日記

就職活動ノウハウ本を学べるというよりは、現在の就職活動をめぐる企業・学生・大学各プレイヤーの構造がわかることができる本。

先日紹介した『僕は君たちに武器を配りたい』が同書の著者自身のようなマッキンゼーでインターンシップができるレベルの「上級者」を意識して、「就職活動」のさらに先を見据えて書かれているのに対し、本書は中堅校から就職困難校までの大多数の大学生に対し、世の中の仕組みを理解することでまずは就職活動に取り組む心構えを準備してもらおうという本になっています。

著者は現在の大学生の就職戦線はこのような構造になっているといいます。

  • 就職ナビサイトの利用が基本となったために学生の企業の採用情報へのアクセスが容易になった。
  • しかしその反面、現在の就職難をうけて、大量の学生それぞれが多数の企業に応募するという状況が生じている。
  • 企業の人事部は応募者数が自らの評価の指標となるため、企業説明会などではスマートな人事マンや若手社員が夢や希望を与えるイベントと化している。
  • 一方で企業側も募集人数の数百倍という大量の応募者をさばくため、選考においては効率を優先せざるを得なくなっている。
  • 大学も企業とのコンタクトが大学で開催する企業説明会程度になってしまい(しかも中下位校には大手企業は来ない)キャリアセンターといっても身のあるアドバイスはできず、大学志願者増のための実績データづくりに追われている。

要するに、景気低迷で求人数(分子)が減る一方で大学全入時代で大学生(分母)が増えたという状況で、その増えた分母が就職ナビサイトのなかにひしめき合うという一見公平そうに見えるが実は非効率な市場になっているということのようです。

そういう状況に問題意識を持つ著者は、その中で学生が不必要に「テクニック」習得にあくせくしたり自信を失ったりしないための就職活動に取り組む心構えやポイントを語っているので、学生にとっても参考になる部分は多いと思います。
そして「分母」の多さについては筆者はこう主張します。

大学教育の行く末として、アカデミック追求型と職業教育校の二手に大きく分かれていくのではないかという議論がずいぶん前からある。大学教員をはじめとする知識人たちがさまざまな大学論を展開しているが、正直言って、ご自身が勤めている大学階層の中でのみ通じる議論をする方が大部分だと思う。最上位と上位と中堅と下位と低辺とでは学生の質も世間からの扱われ方もこんなに違うんだぞ、ということをあまりご存知なく、というかわざとスルーしているような方も散見され、大学論の本を読むたびに私はどこかしら不満を覚える。
アカデミック追求型と職業教育校の二分化は、自然とそうなるというより、積極的に分けていったほうがいいと私は考えている。中途半端に並存させるよりかは、はっきり分けたほうが学生も教職員もビジョンを共有しやすい(もちろん、職業訓練校においても、基礎学力が求められることは言うまでもない)。

『僕は君たちに武器を配りたい』では大学で「リベラル・アーツ」を学ぶことの重要性が説かれていますが、リベラル・アーツの教育を全ての大学が提供できる余裕があるわけではなく、また、全ての学生が望んでいるのではない(または習得できるわけではない)ことを前提にした現実的な見方かもしれません。

それをもっと現実的に描いているブログがこちらです Fランク大学生は大学で何を学ぶべきか?(統計学+ε: 米国留学・研究生活)

少々寂しい気もしますが、大学・大学生というものの相対価値が低下してきている以上仕方ないかもしれませんし、大学を受験する学生にとっても何を目指すかがはっきりした方がかえってわかりやすいかもしれません。



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金正日死去

2011-12-19 | よしなしごと

2011年はホントにいろんなことがあったが、カダフィ、ビン・ラディンの死亡につづいて年末の大トリで金正日。

ただ、他の二人に比べれば病死というだけましなのかもしれない。
北朝鮮の体制も同時に崩壊したわけではないし。

一方で独裁政権を倒したエジプトも民政に移行できてはいないし、リビアも部族間の対立もあり、単純には行かない。

民主主義国の代表格であるEU諸国も、財政問題によって国内政治とEUの枠組みとの綱引きが行なわれているし、金融危機の解決のめどは立っていない。

そして来年は中国の首脳部の交代もある。


今年が「激動の2011年」ですむのか、始まりに過ぎなかったのか、来年になるとはっきりしてくるかもしれない。

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『僕は君たちに武器を配りたい』

2011-12-15 | 乱読日記

京都大学で産学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門客員准教授(長い肩書・・・)として学生に資本主義の仕組みや起業について教えている著者が、これから社会人になろうとする学生に向けて不景気・就職難野中で生き延びる方法について記した本。
タイトルや装丁は奇抜ですが、内容は非常に真っ当な本です。

高度成長期のように大企業に就職したり医者や弁護士などの資格を取れば安泰という時代はとうの昔に過ぎているという世の中の実情を説明しながら、世の中で生き抜くために必要な心構え・考え方を説いています。

世の中の実情の部分は僕自身もよく話すネタとかぶっていたりもするので「なるほど、こういう語り方をすればいいんだ」などと考えながら一気に読めました。

自分が勤める会社に、働かないうえに新しい発想もなく、社内政治にだけは長けた、既得権益を握って離さないオジサンたちが居座って甘い汁を吸っている。そう感じるのならば、本書で述べたように自分の会社をぶっ潰すためのライバル企業を作ってしまえばいいのである。自分の会社が本当に不合理なシステムで動いているのであれば、正しい攻撃をすれば必ず倒せるはずだからだ。 

人生は短い。愚痴をこぼして社長や上司の悪口を言うヒマがあるのなら、ほかにもっと生産性の高いことがあるはずだ。もし、それがないのなら、そういう自分の人生を見直すために自分の時間を使うべきだ。  

この辺は、オジサンの身としても心すべきだと思います。 
若者の攻撃ぐらいで簡単に甘い汁は渡さないぞ、と(違うだろw)


本書では今後社会に出て行く若者に必要なものとして、資本主義の世の中の仕組みをきちんと理解した「投資家」的発想の重要性を説いています。
「投資家的」と言ってはいますが、いきなり「投資家になれ」とか「起業しろ」というわけではなくあくまでも考え方の枠組みの話です。

目次だけ見ると抵抗感を感じる人もいるかもしれませんが、著者はコンサルタントや投資の経験や実際に起業についての授業をしているだけあって、起業をするにはその分野が有望かどうかの分析が重要で、さらにその業界での経験も必要と至極真っ当なことを言っています(このへん『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』の指摘と同じですね。)。

やる気のある学生にはすぐに受け入れられると思いますが、本当は「だって俺/私京大生じゃないもん」と思ってしまう学生こそ読んだほうがいいように思います。

書き方のトーンはきつい部分はありますが、実際の世の中はそれ以上にきつかったりするので・・・

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ユニクロ

2011-12-14 | よしなしごと
3年くらい前にユニクロでジーンズを買ったときに、値段に比べてデニム生地の質感の高さにおどろいたことがあり、週末ユニクロにジーンズを買いに行った。

ところが、今回はなんとなく生地が薄くなっているような感じがする。
しかも昔はもっとスタイルのバリエーションがあったと思うのだが。

かわりに「防風ジーンズ」というのを売っている。
冬でも風を通さないのがウリらしいが、手触りがゴワゴワしていてちょっと今ひとつな感じ。


ヒートテックの成功以来「高機能」に軸足をおきつつあるのかもしれない。
ただ、「暖かい」(ヒートテック)「涼しい」(ドライ素材)という衣料の根本的な機能をひとまず充足させてしまった以上、次の「機能」をみつけるのは難しいかもしれない。
とはいえ「普通のアパレルメーカー」にならないための、次の一手は必要だ。

グローバル展開を急ぐのも、「まだヒートテックを知らない市場」を目指しているのだろうか。

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『弱い日本の強い円』

2011-12-13 | 乱読日記
マーケットに携わっている人は別でしょうが、私のような一般人には非常に参考になりました。

筆者は日本銀行国際局為替課などを経てJPモルガン・チェース銀行に転じ、現在マネジング・ディレクターで為替のストラテジストをやっている方。

為替相場についての「海外投機筋による仕掛け的な円買い」「昨夜発表された米国経済指標の強さが米国の利上げ期待を高め米ドル上昇」というようなよく聞く報道やコメントは為替市場の動向についての表現としては誤りかまたは(控えめに言っても)正確ではないこと。為替相場は国力では決まらず、中期的には主に貿易や資本のフローの方向で決まり、長期的には主に物価の上昇率の差で決まること。通貨はクロス円相場(米ドル/円、ユーロ/円、ユーロ/米ドル、豪ドル/円、豪ドル/米ドル)米ドル/円相場だけを見て「円高・円安」と騒ぐのは誤りであること、などを説得力を持って説明しています。

日経新聞がしょっちゅう上のようなコメントを載せているにもかかわらず、本書が「日経プレミアシリーズ」というビジネス向け新書から発行されているところは若干皮肉ではありますが。


また、外国為替取引の実際(発注する企業と銀行の関係、銀行におけるトレーダーの役割など)や、為替介入のしくみについての丁寧な説明もあり勉強になります。

特に為替介入について、為替介入では円安誘導はできない(そして過去もできていない)こと、外国為替資金特別会計の残高が既に100兆円を超えしかも25%以上の含み損を抱えていること、さらに外国為替資金特別会計は外貨準備から得られるクーポン収入等を一般会計に繰り入れている(これは初耳でした。要するに一般会計を補填するために介入資金で大掛かりな円キャリートレードをしているということですね。)など問題があることの指摘は、なぜ(少なくとも素人の眼に触れる範囲では)他の専門家は指摘しないのだろうかと不思議なくらいです。



ところで、ここのところ経団連会長など経済界の人々が円高是正のための為替介入を歓迎しながら同時にTPP参加を主張しているというのがどうも解せませんでした。
そもそもスタンスが矛盾しているんじゃないかというだけでなく、為替介入資金は輸出奨励のための国費の投入でありTPPにおける非関税障壁を含めた貿易の完全自由化の主張と対立する一種の補助金とみなされかねないんじゃなかろうか、などと考えていました。
しかし為替介入は過去の実績からも(相場の一時的で極端な動きを是正するための協調介入を除けば)効果がないのであれば、非関税障壁でも補助金でもないということになります。

ただ、本書でも指摘されているように、現在の日本の米ドル建て貿易は輸入の方が多く(2010年では10兆円のドル買い超=円高/ドル安は有利に働く)、また、アジア相手の輸出は半分が円建てになっているので、円高是正が日本経済全体のためにマイナスの影響を及ぼすのか、また、ただでさえ赤字の予算を使って外貨準備の含み損を抱えるために効果のない介入をすべきなのかについては疑問ですし、にもかかわらず経済界とかマスコミが口をそろえて「円高の危機」と是正の必要性(それが可能だという前提で)を叫ぶのはやはり奇妙ではあります。

経団連などのなかの個別企業には依然としてドル建て輸出超の企業が多いのか、逆に円高で儲かっているとバレると生産拠点の海外移転に非難が出たりするからでしょうか。
また、財務省的には為替介入をすればそれだけ外貨準備から一般会計への利息収入が増えるので黙っていようということなのでしょうか。

それこそ日経新聞あたりにそのへんを突っ込んでほしいものです。



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「悪い意味でのサラリーマン根性」と「悪い意味での専門家の留保」

2011-12-12 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

オリンパスの調査委員会報告書は要約版をざっと読んだのですが、印象に残ったのは報告書がJ-Soxの枠組みにのっとってオリンパスの内部統制を評価していたこと。

J-Soxに基づく全社的内部統制の整備は、制度導入時にもともとそれぞれの会社にあった制度をリファインしながら監査法人のOKが出る程度の及第点をとろうという形で導入したところが多いと思います。ただ、一度枠組みとしていろんな基準が出されると、評価の枠組みとしてはとても便利なものになってしまい、「教科書どおり」に形を整えたはずが、その教科書が今回は断罪する側のテキストになっているという笑えない感じもします。

逆にその分J-Soxの枠組み・用語に見られる「よそ行き」感が調査報告書にも出ている感じもしなくはありません。
たとえば飛ばしのスキームとそれを阻止できなかった態勢については言及しているものの、関与した外部の関係者を含む背景事情についてはスルーしているところとか・・・


本件は経営トップの不正というわかりやすい話なので、形式的にもカタをつけやすいのですが、「ビジネス法務の部屋」でオリンパス社の全社的内部統制と「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成」としてtoshiさんが違和感を述べておられていて、そこについては共感するものがありました。

この報告書でも述べられ、また経済団体や日本監査役協会でもコメントが出されておりますが、「オリンパス事件の教訓は、形式的なガバナンスの仕組みよりも、むしろ取締役や監査役の倫理感、使命感やその職責を担う覚悟の問題」であり、これが最も重要である、とのこと。
(中略)
取締役の資質や倫理感、覚悟、というのはもっともだとは思いますが、それらが取締役や監査役に備わっていることと、「経営トップにモノが言える」こととはダイレクトには結び付かないわけでして、その間を結ぶ「何か」を試行錯誤しなければ問題解決にはならないと思います。

タイトルにもある「悪い意味でのサラリーマン根性」というのはここに出てきます

第6 本件事案発生の原因分析

1 経営トップによる処理及び隠蔽であること 
・・・オリンパスにおいては、このような会社トップや幹部職員によって不正が行なわれることを想定したリスク管理体制がとられておらず、これらに対する監視機能が働かなかった。経営中心部分が腐っており、その周辺部分も汚染され、悪い意味でのサラリーマン根性の集大成ともいうべき状態であった。  

ここのところだけ珍しく温度の高い言葉が続きます。さらに

2 企業風土、意識に問題があったこと 
会社トップが長期間にわたってワンマン体制を敷き、これに会社内部で異論を述べることがはばかられる雰囲気が醸成されていた。歴代の社長には、透明性やガバナンスについての意識が低く、正しいことでも異論を唱えれば外に出される覚悟が必要であった(そのことはウッドフォードの処遇を見てもわかる。)。役員の間に社長交代のシステムが確立されておらず、恣意的にこれを占めることが可能となっていた。風通しが悪く、意見を自由にいえないという企業風土が蔓延し、株主に対する忠実義務などの意識が希薄だった。

でも、J-Sox導入前の時点で現在と同程度に経営トップの不正を想定した管理体制を構築する法的義務があったのかというのはちょっと疑問ですし、厳密そのような態勢をとっている企業はどれくらいあるのでしょうか。また「社長交代のシステムが確立されていない」というのは委員会設置会社以外の会社はほとんどそうなのではないでしょうか(委員会設置会社だとしても執行側から完全に独立して候補者を選定しているところはほとんどないと思います)

ここをダメ出しされてしまうと大半の企業が困ってしまうので「倫理観や使命感」の問題にしたいという気持ちもわかります。個人的にも画期的かつ有効な代替案があるとも思えないので。


ということで、態勢構築という大所高所の話だけだと空中戦になってしまいますが、改めて本文を読んでみておやっと思ったのが、同じ「第6 本件事案発生の原因分析」にある

6 外部専門家による委員会等が十分機能を果たさなかったこと 
・・・しかしその報告書は多くの留保条件をおいた不完全なものであり、到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった。監査役会、更に監査法人は、この報告書の結論のみに重きを置き、その内容や留保条件に立ち入った検討を行なわなかった。

確かに実際は結論ありきの形式的な調査を依頼したような印象を受けますが、では 「公正中立な第三者の意見」というのは論理的に可能なのでしょうか?   

そこで本文を見るとあずさ監査法人からの指摘を受けた監査役会が外部調査を依頼した「2009年委員会」の報告書についてこう記載されています(p151~)   

同委員会は、報告書の冒頭において、調査の前提としてオリンパス又はあずさ監査法人より提示された事実及び資料等について、独自の調査、検査、ヒアリング等による事実確認や資料の正本の確認等を実施しておらず、その点において事実関係の正確性及び証拠評価等について何らの意見を表明する立場にないこと、調査期間が極めて限定されていたことから、開示資料(特に英文の契約書類)について網羅的な精査ができていないほか、ヒアリング対象者も極めて限定されており、より広い範囲で開示資料の検討やヒアリングを実施し、あるいは十分な時間をかけて開示資料の検討やヒアリングを実施していれば発見できたであろう事項が発見できていない可能性も十分にあることを断っている。

でも、公認会計士や弁護士の意見書は多かれ少なかれこのような前提条件や留保が書いてあります。本件は結論ありきの依頼だったので、委員会のほうもより厳しめ(腰を引き気味)のトーンで書いていたのかもしれませんが、その行間を読めよ、ということなのでしょうか。

そして、委員会の調査結果の概要は以下の通りとなっています。  

a アルティス、NEWS及びヒューマンラボの各株式の取得について、報告書作成時点までに委員会が開示資料及びヒアリング結果を検討した限りにおいては、オリンパス取締役に、本件国内3社の一連の株式取得に違法もしくは不正な点があった、または善管注意義務違反があったとまで評価できるほどの事実は認識できなかった。  
b ジャイラスの株式取得に係るアドバイザリー報酬について報告書作成時点までに委員会が開示資料及びヒアリング結果を検討した限りにおいては、オリンパス取締役に、アドバイザリー報酬の支払に違法もしくは不正な点があった、または善管注意義務違反があったとまで評価できるほどの事実は認識できなかった。

一方で、ウッドフォード前社長が依頼したPwC Legal LLP.の中間報告はつぎのようになっています(p117)

「我々は不適切な行為が行なわれたと確信することはできないが、支払われた総報酬金額が今までになされたいくつかの非通例的な意思決定を考慮すると、現段階では不適切な行為が行なわれた可能性を排除することができない」「さらに、不適切な会計処理や財務アドバイス、取締役の忠実義務違反を含む、他の潜在的な違法行為がある」

トーンはずいぶん違いますが、意味している内容は実は「善管注意義務違反や違法行為はあったとは断言できない」という点で同じです。

結局外部の専門家も責任を負わされたくないので(契約書を結ぶ場合にはあきれるくらいの免責条項があったりします)、断言は避けて婉曲な表現をすることになります。
調査委員会の報告書は「その報告書は多くの留保条件をおいた不完全なものであり、到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった。」といいますが、私は多くの留保条件をつけていない専門家の意見書というものにはめったにお目にかかったことがありません。

一方で、報酬を払う依頼者から「適法だという意見書をくれ」とか「違法性を指摘してくれ」というように何らかの意向を伴った依頼を受けるので(そういう動機がなければそもそも意見書とか調査報告書は依頼しないですよね)、専門家としては依頼の前提にあるトーンを基調に報告書を書くことになります。

そのとき適法・違法がはっきりしていればいいですが、解釈の幅があったりする場合には前者の依頼ならいくつかの留保条件をつけたうえで「違法ではない」という2009年委員会のようになるし、後者の依頼ならPwCのようになると思います。
ところがその報告書を援用した監査役は「報告書の結論のみに重きを置き、その内容や留保条件に立ち入った検討を行なわなかった」と断罪されるとすると、専門家の意見書を求める意味がなくなってしまうことにならないでしょうか?

確かに最後に善管注意義務違反の責任を負うのは取締役・監査役個人ですので、自らの法的責任について取締役・監査役としての自覚が足りなかった、という意味では「サラリーマン根性」があったといえるとは思います。
ただ、(今回のケースは完全なアリバイ作りだったのかもしれないので)一般論として専門家の意見書・報告書を信用することが取締役・監査役の責任につながるとするならば、そしてほとんどの意見書に留保がつくとするならば、取締役・監査役は何を頼りに判断すればいいのでしょうか。報告書に言う「立ち入った検討」も自分以外に依頼した場合は同じ問題が生じるので、結局全て自分で調査しなければいけないというのでは、かえってチェック能力が低下してしまいます。

本件も2009年委員会がもっとはっきりと「資料も時間も不十分なので意見表明はできない」とか「明確な証拠はないので断言できないが心象としてはクロ」と言っていればここまでには至らなかった可能性があります。
しかし調査委員会は2009年委員会のメンバー自身の「到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった」ような報告書を作成した責任は指摘せず、それを採用した監査役の責任のみを追及しています。
そこも「行間を読めよ」というところなのかもしれませんが、お仲間に手心を加えるところは専門家のよくないところではないかと思いますし、そこを放置すると専門家や第三者委員会の意見書の存在意義への疑問にもつながってしまうと思います。


専門家も意見を求められた場合には、責任回避のための留保だらけの報告書ではなく、素人にも判断のしやすい明確な(一歩踏み込んだ)意見を表明すること、それがtoshiさんの言われる「その間を結ぶ「何か」」の一つになるのではないかと思います。



余談ですが、昔大規模の投資案件のリスク精査の作業をしていたとき、役員から「万が一損失が生じた場合の代表訴訟のリスクも入れろ」と指示をされたので、作成した資料の当該項目に「当該リスクは厳密に言えば会社のリスクではないが」という脚注を入れたことを思い出しました。
そもそも厳密に言えば「善管注意義務違反はないか?」というような意見書や調査も、取締役個人としてのリスクヘッジを目的とするのであれば費用も会社からではなく取締役個人が支払うべきなのでしょうが、そこまで依頼内容を厳密に精査している会社も弁護士もいないと思います。それは、「上手くビジネスがいくような適切な意思決定をする」という点では本来会社(法人)も取締役も同じ船に乗っているわけですから(エージェンシー問題については脇に置くとして)。

さて、脚注の顛末ですが、その結果私は「外に出された」わけでもなく、指示した役員も苦笑いしていただけなので、オリンパスよりはまともな会社だったようですし、役員もサラリーマン根性はなかった、ということでしょうかw



(参考)
第三者委員会調査報告書 要約版
第三者委員会調査報告書 01
第三者委員会調査報告書 02
第三者委員会調査報告書 03
第三者委員会調査報告書 別紙

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ひとりで死ぬ時代の生命保険

2011-12-10 | よしなしごと
昨日はライフネット生命をとりあげたが、保険で昔から疑問に思っていたのは、
自分が死んだときに保険に入っていることを遺族が知らなかったらどうするんだろう、ということ。

特に空港の搭乗口近くにある旅行傷害保険の自動販売機は以前から不思議な存在だった。
これで保険に加入して万が一飛行機が墜落して死亡した場合、本人が事前に連絡しない限り遺族は保険に入っていることを知ることができないのではないか。
仮に申し込み時に搭乗便を登録していて死亡の事実は確認できたとしてもたとしても、保険会社には遺族の連絡先がわからないので、保険金を払いようがない。
おそらく実際は連絡先を登録したりして契約者保護をしているのだろうが違うのだろうが、なんとなく不思議な存在だった。


前のエントリソーシャル・ネットワーク時代の死に方でも、自分が死んだことをどうやって告知するのか、という話題をとりあげたが、生命保険でも同じ問題が生じるのではないか。

たとえば親のいる単身者が、万が一自分が先に死んだときに親の老後資金に宛てようと保険に加入していたが、親には知らせていなかった場合とかはどうなるのだろうか。
特に、ネットで申し込むだけだと遺族がPCを開けない場合保険加入自体を知ることができないのではないか。

そこでライフネット生命のサイトを見ると、ネット通販とはいえ保険証券は発行されるようだ。
保険証券はどのような形で郵送されますか?(FAQ)

万が一のときに遺品整理をする身内がいれば、生命保険は機能するということになるし、保険に入ろうとする以上はそういう人が誰かいるはず、ということなんだろう。


逆に少子化が進んだり単身世帯が増えてくると、死亡保障のニーズは少なくなってきて、そもそも生命保険のマーケットが縮小することになる。
そこで(かどうかは知らないが)ライフネット生命保険は就業不能保険というのを取り扱っている。つまり自分のための保険で、これは単身者でも(だからこそ)需要がある。
『ネットで生保を売ろう!』によれば、これは業界初の導入だったらしい。


いろいろな商品やサービスが世帯構成の変化に伴ってすこしづつ変わっているようだ。


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『ネットで生保を売ろう!』

2011-12-09 | 乱読日記

内外の保険会社を親会社に持たない独立系生命保険会社としては74年ぶりに免許を受け2008年から営業を開始したライフネット生命の岩瀬大輔副社長が、ハーバードビジネススクール留学から帰国後ライフネット生命の立ち上げに参加した経緯から免許取得、営業開始から現在(本書では2010年)までを記した本です。

留学中のブログを元にした著書『ハーバードMBA留学記』は以前のエントリでちょっと触れています。

内容は、波乱万丈の起業物語というよりは「やるべきことをきちんとやる」というプロセスの中のドラマという感じです。

これは、生命保険会社の免許取得には金融庁の審査が必要だということや、出口社長の「顧客の役に立つ保険会社を作る」という一貫した姿勢とによるところが大きいと思いますが、ベンチャー企業の立ち上げという点でも「やるべきことをきちんとやる」というのは大事なこポイントのようです。

先日取り上げた 『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』にはこんなくだりがあります。  

実際、7年以内に新たなビジネスを立ち上げて上手く切り回すに至っている創業者の努力に着目した研究によるなら、典型的な起業家は、そのベンチャーの一年目の終わりまでに27のあり得べきアクティビティ(事業活動)のうちわずか8つに着手しただけであることがわかる。  

そして本書で印象的なのは、岩瀬さんが試行錯誤の過程や苦境も含めてそのプロセスを楽しんでいるところ。  

簡単にまとめてしまえば、岩瀬さんは錚々たる学歴の優秀な若者であり、常にポジティブに考え、人にも好かれるという絵に描いたような人なので僕のような素直でない人間は「ああそうですか、よかったですね、私には関係ありませんから」と斜に構えてしまいがちなのですが、斜の構えをまっすぐに戻すくらいの「素直な本音ベースのわくわく感」が漂ってくるところが、この人の持ち味なんだと思います。 

その分、ちょっと遠慮して書いているところはトーンが違っていて行間にも正直にその雰囲気が漂うところも却って好印象ではあります。  


ところでライフネット生命は最近契約数が10万件を超えたようです。(保有契約数10万件突破ありがとう特設サイト参照) 

本書中で、出口社長が講演会の際に質問に答えて黒字転換のラインは契約数10~15万件と言っ(てしまっ)たというエピソードが紹介されていますが、その数字をクリアしつつあるということは、事業も軌道に乗りつつあるようです(実際の事業計画はもっとアグレッシブなのかもしれませんが)。 

岩瀬氏も本書で、事業をはじめてみて、支援の言葉だけでなく実際に契約してくれる友人・知人のありがたさを痛感したと書いていますが、私自身は当面生命保険を切り替えるニーズはないので申し訳ないのですが、陰ながら応援したいと思います。



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『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』(後編)

2011-12-04 | 乱読日記

間が開いてしまいましたがつづき。

後半からは、どういう起業家が成功を収めるか、逆に言えば大半の起業家はどういう過ちをおかしているかが論じられます。

著者は、そもそも起業自体が成功の確率の低いものだ、という認識が必要だと説きます。  

・・・平均的な起業家はほとんど失敗せざるを得ない。もし、平均的な新しいビジネスが何年も生き延びることになるのなら、平均的な既存企業は失敗していなければならないし、また、アメリカの起業家数が上昇することになるだろう。しかし、その数は、過去二十年から三十年にわたってほとんど変化がないこと、また、すでに設立されたビジネスは簡単には失敗しないことは誰もが知っているので、ほとんどの新たに始められたビジネスが失敗しているというのが真相に違いないのだ。  

だからといって起業をすべきではない、とは言いません。  

しかし、ほとんどの起業家が失敗するからといって、起業家になるべきではないなどと早合点しないでほしい。データは少数が大変なお金持ちになるということも示している。  

起業家になるべき理由は、もう一つ存在する。それは個人の幸福だ。さまざまな研究から幅広く集めたデータによれば、人は他人のために働くよりも、自分のために働いた方が幸せになれる。  

ただ、起業するにあたり正しい準備と賢明な選択をすることが必要なのにもかかわらず、大半の起業家がそれをしていない(統計や研究が明らかにする成功の要因に反するという意味ですが)と指摘しています。

たとえば

  • 典型的な起業家は過剰に楽観的である
    (平均的な起業家は自分の会社が成功する確率を81%と評価しているが、これは新たなビジネスの一年後の生存率よりも高い)
  • 多くの起業家がこれまで働いてきた産業や自分のスキルにあった産業を選択するが、産業によって成功率は劇的に異なる。一番大事なのは望ましい産業を選択することである。
    (孫正義氏はソフトバンク創業の前に、全産業の利益率を比較した表を作ったというような話を読んだことがありますが、大半の起業家は起業する際に産業間の比較をしないそうです。)
  • ほとんどの起業家が小規模のビジネスを少ない資本金や資産や従業員で始めているが、より大規模のスタートアップ企業のほうが資本を得やすく、利益率が高く、成長も大きく失敗しにくい。
    (これは、前半で言及されたベンチャー資本を集めるのは難しい、という現状を考えるとかなり高いハードルではありますが)
  • 多くの起業家が、以前の勤め先と同一の、あるいは似たような顧客を相手にし、同一もしくは類似の製品を販売するが、研究によれば、新企業の業績は、ほかの会社が見逃しているような顧客を探し出すことで向上する。
  • 多くのスタートアップ企業が、個人のお客に対して製品やサービスを販売するが、アメリカでもっとも速く成長した企業の90%は、企業を顧客にしている。
    (本書のデータがカバーしていない最近だとスマホのアプリ開発とかだとB2Cもやりやすいのかもしれませんし、そういうところは競争も激しそうですね)
  • 起業の成功例として、若くして起業をした人がよくあげられるが、多くの研究によれば、よりよい教育を受けた起業家、創業前に誰かの下で働く期間が長かった起業家、起業しようとする会社が属する産業での経験は失敗の確率を下げることができる。

ひとことで言ってしまえば、起業は成功すればリターンは大きいがそもそも成功の確率は低いものであり、勢いでやるものではなく周到な計画が必要、という至極真っ当な結論になります。

ただ、慎重に考えすぎるとなかなか起業に踏み切れなくなってしまうので、そこのところのバランスが難しいんでしょうね。

起業を考える人、またはそういう人に相談された人は一読してみるといいと思います。

 

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『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』(前編)

2011-12-01 | 乱読日記

『20歳のときに知っておきたかったこと』を「起業バンザイ本」と思い込んでて、それとバランスを取ろうと買った本。

起業の実態は世の中で言われているものと大きく異なる、ということを豊富な統計資料やリサーチを元にしつこいくらいに分析しています。
かといって本書は起業を否定しているわけではなく、起業に関する神話を信じ込むことで成功の見込みに関する誤った判断を避けるべきだと主張しています。


本書によれば、アメリカでの起業の実態はかっこいいものではないようです。  


典型的な起業家は、カレッジを中退した40歳代の既婚白人男性である。彼はデモイン(アイオワ州)やタンパ(フロリダ州)など、自分が生まれ育った土地で人生の大半を過ごし、そのままそこに住み続けている。彼が始める新たなビジネスは、彼自身が長年その業界で働いた経験のある、建設会社や自動車修理工場のようなローテクなものだ。典型的な起業家が始めるビジネスは、彼自身の貯金や、恐らく銀行からの個人保証によるローンなどの形で調達した2万5000ドルの資金を元手とする個人事業である。彼は生活費を稼いで家族を養いたいだけだ。要するに、典型的な起業家とは、よくいるあなたのお隣さんのことである。  


具体的な事実としてはたとえばこんなことがあげられています。



  • アメリカは以前に比べると起業家的でなくなっているし、他国に比べて格別に起業家的な国というわけでもない。

  • 起業家は、ハイテク産業ではなく建設業・小売業などのありきたりの業種でビジネスを始める場合の方が多い。

  • 仕事を頻繁に変える人や、失業している人、あるいは稼ぎの少ない人のほうが、新しいビジネスを始める傾向にある。

  • 典型的なスタートアップ企業は、革新的ではなく、何らの成長プランも持たず、従業員も一人(起業家その人)で、10万ドル以下の収入しかもたらさない。

  • 7年以上新たなビジネスを継続させられる人は、全体の三分の一しかいない。



ベンチャーキャピタルからの資金調達(それが立派な企画書やプレゼンテーションが必要とされる大きな要因になっていると思うのですが)についてもにべもなく切り捨てます。


極端に成長性の高いバイオメディカル企業かIT企業でもない限り、あるいは独占的な優位性を持ち、過去に株式上場を成功させたチームを社内に擁しているのでもない限り、ベンチャー資本に資金を求めるといったことは忘れてしまったほうがよい。ベンチャー資本家は、非常に口やかましい投資家である上に、毎年創立される会社群のほんのわずかな割合に対してしか資金を投入しない。

・・・グーグルの最高経営責任者や、シリコンバレーのベンチャー資本は、一般の起業家がベンチャー資本投資を得られる確率を、太陽が燦々と降り注ぐ中、プールで雷に打たれるのと同じくらいの確率だと語っている。

実際はそんなに悪くない。スタートアップのシード段階でベンチャー資本を得る確率は4000分の1、それに対して雷に打たれる確率は実際には57万6000分の1だ。しかし、ベンチャー資本を獲得する確率は、芝刈りしてケガをする確率(3623回に1回)、シャワー中に不運にも転ぶ確率(2232回に1回)よりも低い。シャワーを浴びている時にどうやってベンチャー資本を得ようかと深く考え込むより、転ばないよう注意したほうがよい。そのほうがよりよい時間の使い方になるだろう。



途中まで読んでいくと、起業の実態はそうだとしても、それは無計画に起業している人が多いというだけで、上手くいっている典型例は別にあるのではないかと考えるようになります。

言い方を変えれば「イケてる俺は違うぜ、うまくやるにはクールな事業プランと本人のアントルプレナーシップがなくて企業をする奴が間違ってるんだ」という感じでしょうか。

当然著者もその辺は承知で、本書の後半では、成功した起業家とそうでない起業家の違いについて分析し、よくある起業家の神話に影響されずに起業を成功させる可能性を高めるポイント(起業というのはあくまでそういうレベルのものだという認識がそもそも大事だという前提で)を分析しています。


長くなったのでそこは次回。


 

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