国連PKO幹部として東ティモール暫定政府の知事、シエラレオネで武装解除、アフガニスタンでは日本政府特別代表として武装解除を指揮した著者が、高校生に相手におこなった授業を本にまとめたものだが、大人が読んでも面白い。
タイトルとは逆に、いかに「仕切る」ことができないか、という反省や失敗談から、「自衛」が「戦争」に変わる力学、国を作り直すことの困難さ、国連という組織の限界までを飾らずにわかりやすい言葉で語っている。
本書で初めて知ったのが、安全保障の分野で、戦争の意思形成がどのように作られるかに着目した「セキュリタイゼーション」という概念。
戦争が起こる前に社会は必ずセキュリタイぜーション--この敵を放っておいたら大変なことになる、という世論形成--が起きる。 「仕掛け人」が言葉で聴衆に対して恐怖を煽る。そして民衆が「恐怖」の状態でいるときに何か事件が起こると、それが戦争への契機となる、というようなことらしい(日本語での適切な訳語が定着していないとのことで、確かにググってもヒットしなかった)。
具体的には、イラクのクウェート侵攻時におけるナイラの証言があげられている。
しかも、このセキュリタイゼーションがやっかいなところを著者は説明する。
セキュリタイゼーションの「仕掛け人」を攻めたって無理です。だって、罪悪感がないんだから。でも、すべては「仕掛け人」が育む、極めて主観的な正義感から始まるのです。それに、より多くの支持を集めるため、大衆が抱く危機意識が操作される。そうして主観的な正義感は、客観的な政治意思へと昇華するのです。このメカニズムを理解することこそが、僕たち自身が、脱セキュリタイゼーションを身につけることなのだと思います。
セキュリタイゼーションを成功させてしまうのは、実は「仕掛け人」ではなく、「聴衆」である僕たち自身なのですから。
元の授業は2012年、本書の刊行は2015年だが、それから以後も、世界各地での移民排斥運動や、米国大統領選挙など、例示に事欠かない。
ただ、大統領選で登場した”Fake News” や"Post-truth"という概念が広まったことは、逆に一定の抑止力になるのかもしれない。