一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『デフレ化するセックス』

2013-01-29 | 乱読日記

風俗産業の是非を云々する前に、身も蓋もないけど直視すべき現実が描かれています。

(概要)
 一人暮らしする独身女性の3人に1人が貧困状態(年間の可処分所得112万円以下)にある現代の日本。「性風俗」や「援助交際」は、非正規雇用で低収入のまま働く女性たちの「副業」として一般化している。女性の著しい供給過多により、風俗店では応募女性の7割が不採用、20~30代女性の半分は売春しても1万円以下ーー腹をくくってカラダを売る道を選んでも、安く買い叩かれ、もしくは買い手がつかず、貧困から抜け出せない現実がある。本書は現代の性風俗・援助交際を知る入門書であると同時に、カラダを売る女性たちから、現在の社会を読み取ろうという試みでもある。

著者は風俗ライターとして風俗に従事する女性を数多くインタビューしながら、その目線は冷静です。

風俗産業においても女性が供給過剰になり、競争が激化していること、その結果容姿・年齢などで働く業態や場所が限定され、収入も規定される。そしてその底辺にある出会いサイトには暴力団が網を張っている、という現状が実例をもとに理路整然と語られるのは衝撃的でもあるとともに、逆に妙に納得してしまいます。

都市部でないと安定した雇用は少ないが、競争が激しく、家賃も高い。 そこで風俗を選択しても、そこでの競争に勝ち残らないと安定的な収入は得られない。 そこはもはや「風俗に身を落と」せば高金利の借金を返済できるという場ですらなくなっている。 ましてや薬物依存、性格的に問題のある女性はまともな風俗店では雇ってすらくれない。

この現実は、一言「デフレが問題」というのでなく、正規雇用・非正規雇用の賃金だけでなく社会保障費などのフリンジ・ベネフィット面での差、家を借りる際のハードルの高さ(賃借人は借家権で守られるので保証人・入居審査が厳しい)、資金繰りに窮した時の調達の難しさ(サラ金の年収規制)など、今の世の中で特段のスキルがない人が一人でだれにも頼らず安定的に生活をしようとするのは如何に難しいか、セーフティネットを含めた社会制度の在り方がバランスを欠いているのではないかという問題意識を呼び起されます。

著者は一方で高齢者デイサービスセンターを運営していますが、ヘルパーなど時給ベースの人を雇っていることからもそういう問題意識があるのかもしれません。


生活保護の水準や不正受給の問題が議論されていますが、セーフティネットの少し上の水準の生活の人が安定した生活を送れ、所得を向上する機会を与えられ、セーフティネット側に落ちていかない社会を作ることがより大事なのでしょう。


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『ファミリー・ツリー』

2013-01-27 | キネマ

原題は"The Descendants"。
「祖先」だと固くなるのでこのような邦題になったのでしょうか。
家族と先祖から受け継いだものをめぐる誠実なファミリードラマです。

goo映画からあらすじ

ハワイ・オアフ島で生まれ育った弁護士のマットは、妻と二人の娘たちと何不自由なく暮らしていた。カメハメハ大王の血を引く彼は、祖先から受け継いだ広大な原野を所有しており、それを売却し巨額の富を得るか自然を守るかの決断に迫られていた。そんな中、妻がボートの事故でこん睡状態に陥ってしまう。さらに妻には恋人がいて、離婚を考えていた事が発覚する。そればかりか娘が妻の浮気を知っていたと告白、マットは動揺する…。

ハワイの自然と、今のアメリカの家族の悩みが描かれています。
主人公は遺産を除いても裕福であり、悩みといっても妻の事故を除けば生活に関わるほど深刻なわけでもなく、まあ贅沢な方に分類される悩みではあるのですが、そこを丁寧に描いているところにリアリティがあります。

ハワイの自然と遺産についての問題の側の描かれ方がちょっと足りない感じもしますし、原住民とアメリカ人の混血と文化の混合、資産を持つ層と持たない層の生活の差などについては、冒頭部分に少しと登場人物や舞台の設定で触れられているものの、それではメインランドの人には伝わらないのではないか、という感じもしますが、そこまで求めるのは酷でしょう。

安心して見られる家族の物語です。


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『アフリカ 動き出す9億人市場』おまけ

2013-01-21 | 乱読日記

『アフリカ 動き出す9億人市場』からのメモ

外国からの支援が助けになることは間違いないが、中国、インド、ベトナムの変革は対外援助だけでなく国内改革に基づいて実現したということを思い出してほしい。

・・・ウガンダが1962年にイギリスから独立したとき、そのGDPは、ウガンダより5年早く1957年にイギリスから独立したマレーシアと同程度だった・・・今、マレーシアのGDPはウガンダの20倍もある。イディ・アミンによる抑圧的な独裁政権はその要因のごく一部にすぎない・・・。マレーシアは自国の工業化を促進するような経済的インセンティブや政策を実施してきたのだ。

ふりかえって日本はどうだろうか。
先進国への階段を先に上ることができたので、さらに進化するための努力を怠り、踊り場で一息ついて従来の延長線上での「成長戦略」で安心してしまっているのではないだろうか。

2005年にエチオピア政府は国内三か所のコーヒー生産地域(イルガチェッフェ、ハラール、シダモ)の名前を商標登録するべく、米国特許商標局に申請を行った。問題は、スターバックスがすでに「シルキナ・サンドライ・シダモ」という商品でシダモの名前を商標登録申請していたことだ。・・・2007年には合意が成立し、スターバックスは同年11月、エチオピアに農民の収益性向上を支援するセンターを開設すると発表した。

中国で「青森」などの商標が登録されていた件を思い起こします。
スターバックスのように実際に商品化されているともっとややこしくなるので、日本を世界に売り込むなら、このへんは要注意です。
(「ロッテガーナチョコレート」とかって大丈夫なんだろうか)

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『ツォツィ』

2013-01-20 | キネマ

『アフリカ 動き出す9億人市場』で取り上げられていた映画。

南アフリカにおける映画製作の新時代到来とまで言われた、南アの作家の小説を原作とし、南ア出身の監督がメガホンをとった作品。
2006年アカデミー賞最優秀外国映画賞など数々の賞に輝き、南アフリカでの興行成績を塗り替えたそうです。

南アフリカといえば2003年にノーベル文学賞受賞したクッツェーの小説『恥辱』 しか読んだことがないのですが、日常生活に暴力、治安の悪さが普通に同居しているところが、印象的でした。

本作は、その暴力の側にいる主人公の話。
貧困と暴力・犯罪の連鎖、貧富の格差、そしてそれが再生産されてしまう状況が背景として描かれて印象的です。

結末をどのように持っていくのかに興味がありましたが、救いの光を見せて終わっています。

この映画に関して『アフリカ・・・』に興味深いくだりがあります。

ヒット映画の例に漏れず、南アフリカの映画『ツォツィ』の海賊版が路上に出回ると、それが国民の怒りを買った。そのようなことは初めてではなかっただろうか。海賊版の値段は50ランド(595円)で、粗雑な編集作業により、オリジナルとは異なるエンディングになっていた。現地の映画が盗まれたことで、知的財産に対する懸念が身近なものになったのだ。

よくできた海賊版だったらどうだったのかも興味のあるところです。

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『アフリカ 動き出す9億人市場』

2013-01-19 | 乱読日記

積読していた2009年発行の本でしたが興味深く読めました。

アフリカといえば、BOP (Base Of the Pyramid)ビジネスが話題になっていますが、本書(著者はインド商科大学院の学部長を経てテキサス大学の経営大学院の教授をしているインド人)は、現地での詳細なリサーチをもとにアフリカの市場としての可能性をより多面的に語っています。

そこには、貧困・汚職・貧弱な指導層ばかりをとりあげる「CNN版アフリカ」にはない、活力あふれるアフリカの姿があります。

アフリカには表題の9億人の人口だけでなく、ピラミッド型の年齢構成、統計に表れない非公式経済の規模(逆に言えば統計の捕捉率が低いために実態よりも低く評価されている)、外国への出稼ぎ者・移住者からの送金(2005年の在外ガーナ人の仕送りは国の輸出金額より多かった)など、一般に思われている以上に豊かで潜在力があると指摘します。

そして、権力こそまだ握っているものの過去にとらわれている「カバ世代」から携帯電話の普及でスピードとネットワークを駆使する企業家精神あふれる「チーター世代」が市場を切り開いている様子が描かれます。

起業家精神は、アフリカで健在なのだ。起業家は問題を解決する。電力がなくなれば、発電機やインバーターを売る。金融システムが不安定になれば、外国為替投資で稼ぐ、雇用がなくなれば道端で雑貨屋を開く。起業家精神と消費市場の発展は、政治改革よりもずっと明朗で、安定した、強力な長期的進展の駆動力なのかもしれない。

そしてアフリカの抱える問題は、ビジネスチャンスをも生み出せる。アフリカ各地における安定的な電力供給の欠如から、発電機や太陽電池の市場が生まれた。不安定な金融システムは、携帯電話の通話時間を交換するシステムやマイクロファイナンス、携帯電話による銀行システムなどを生み出した。エイズからマラリアまでさまざまな健康問題により、新たな治療法やジェネリック医薬品、検査器具、保険に対する需要が生まれた。


本書で取り上げられている起業家の話は、わくわくさせられるものばかりです。

想像ですが、終戦直後の日本もこんな感じだったのではないでしょうか。
(松下幸之助の二股ソケットなんか「足りないところを補う」典型的ですよね。)

今の日本に必要なのは、「出来上がった」先進工業国としてBOP市場の攻略を考えるだけではなく、この人のようにアフリカの若い起業家精神を自らにも取り込むことなんじゃないかと思いました。


本書の末文です。

アフリカの市場は発展を続けている。今からでもアフリカの成長に携わることはできる。古いアフリカのことわざにこのようなものがある。
「木を植えるのに一番いい時期は、20年前だ。二番目にいい時期は、今だ」


 

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『ロボット』

2013-01-14 | キネマ
インドのスーパースターラジニカーントが科学者とロボットの二役をするSFXアクション映画。
とても面白かった。

パッケージに「ワケわからんが面白い」とありますが、筋立ての基本はオーソドックスな映画です。

天才科学者が作り上げた外見が瓜二つのロボット。感情を持つようにプログラムした結果、科学者の恋人に恋をしてしまう。しかしロボットは恋に破れ失意のうちに失敗を犯し廃棄処分とされてしまうが、悪役科学者の手で冷酷なターミネーターとして蘇る・・・

というような話ですが、ロボット三原則を破るとどうなるか、というあたりからきちんと押さえたストーリーになっています。


前半はオーソドックスな展開で、インド人の口論の理屈っぽさとか女性の社会進出が進んでいる反面因習も残っているなどのお国柄が垣間見えます。

間にインド映画お約束のダンスシーンが入りますが、「スラムドッグ$ミリオネア」の音楽も手がけたA・R・ラフマーンの曲は今風で楽しめます。
なにより恋人役の女性がものすごい美人(1994年のミス・ワールドだそうです)なだけで大概のことは許せます。

ラジニカーントは、何でこのオッサンがスーパースターなんだ、というのはいまひとつ不思議なのですが、日本で言っても自分的には石原裕次郎もかっこいいとは思えないし(「太陽にほえろ」の頃は単なる人相の悪い太ったオッサンだったし当時の映像も二枚目じゃないと思う)「嵐を呼ぶ男」でのドラムソロをボクシングに見立てた一人芝居も今から見るとインド映画のダンス以上にイタいように思うので、まあ流行の違いとして受け入れられる範囲だと思います。


見所は後半のロボットが大暴れするところ。
ここはSFX使いたい放題でコテコテの演出が楽しめます。
SFX自体はレベルが高いのですが、それをハリウッド映画のようにリアリティのあるギリギリのところにとどめるのでなく、あえてリアリティをちょっとはずした荒唐無稽な使い方をしているところが魅力だといえます。

139分の長編ですが、一気に楽しめます。
インドでのオリジナル版はさらに40分ほど長いらしいですがw


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『裏切りのサーカス』

2013-01-12 | キネマ
濃密な映画

ジョン・ル・カレの小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の映画化。

「サーカス」というのは英国情報部を指す隠語で、ゲイリー・オールドマン演じる主人公が幹部の中にいるソ連(舞台は1970年頃です)への内通者を探し出すというストーリー。「ティンカー、テイラー、ソルジャー」というのは、幹部それぞれにつけた略称です。

ヨーロッパの映画(英独仏共同制作)だけあって派手さはなく、緻密な作りになっています。
盗聴などのハイテクギミックも派手なアクションもなく、淡々と資料に当たり証人に話を聞き謎に迫っていく主人公をゲイリー・オールドマンが好演。もともと表情の動かしかたは上手い役者ですね。
登場人物も中年から老境に差し掛かった人が多く、それぞれの人生が微妙にからみあっているところも奥行きを増しています。
飲みながら見ていたら途中で筋を見失ってしまいそうになり、少し巻き戻したことを告白しますw

原作の小説は同じ主人公の三部作の1作目だったようですので、次回作も期待したいところです。
ジョン・ル・カレはちょうど僕が海外ミステリを沢山読んでいた頃、コーナーの一角を占めていたスパイ小説の大家ですが、不思議と今まで読んだことがありませんでした。
これを機会に読んでみようと思います。


PS
車好きにはシトロエンDSがメインの車として登場するのも見逃せません。


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『マネーボール』

2013-01-11 | キネマ

前から見たかったのですが、期待にたがわず面白かった。

なにより野球のプレーがしっかりしていて(スタントマンとして本物の選手を使った?)、しかもテレビ画面を通して見るところで実際の映像と合成(たぶん)したりして、リアリティ十分でした。
実際、野球映画で野球のプレーがしっかり描かれているのって初めてじゃないでしょうか。

関心のない方向けにあらすじをgoo映画から

メジャーリーグの野球選手だったビリー・ビーンは、引退後オークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャーとなる。しかし、財政が苦しいアスレチックスでは、せっかく育てた有望選手を、強豪球団に引き抜かれるという事態が続いていた。チームの立て直しを図るビリーは、統計データを使って選手の将来的価値を予測するという「マネーボール理論」を導入。イェール大卒のピーター・ブランドと共に、チームの改革を進めていく。

これは2002年の実話で、アスレチックスの成功を受け、ビリービーンが導入した野球を統計学で分析する手法(セイバーメトリクス、詳しくはこちら参照)は各チームで取り入れられました。(その結果「割安」な選手がいなくなって予算の乏しいチームはより不利になっているという皮肉な現状があるようですが)

映画ではあまり理論的に難しいことは言わず、その部分はアシスタントのピーターが好演で補っています。

球場もファンも魅力的に取り上げられていて、野球が好きな連中(ほとんどのアメリカ人はそうかw)が作った映画という感じがします。

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『ダーク・シャドウ』

2013-01-10 | キネマ

ティム・バートンとジョニー・デップのコンビで舞台が古い屋敷とヴァンパイヤという鉄板系の設定。
相変わらず細かい部分のブラック・ユーモアが利いています。

裕福な家に生まれ育ったバーバナス(ジョニー・デップ)は、魔女の手により不死のバンパイアにされ、生き埋めにされてしまう。2世紀を経た1972年、ふとしたきっかけで自身の墓から解放され・・・

というストーリーですが、70年代の音楽や自動車・ファッションなどは(知っている人には)楽しめます。

ただまあ、手堅くまとめたな、という感じはあります。

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『幸せへのキセキ』

2013-01-09 | キネマ

年末年始に観たDVDの感想を今日から何日かにわたって書きます。

最愛の妻を亡くした男が、廃園になった動物園を買い取り、それを立て直すことで悲しみを乗り越え家族の絆を取り戻す話。

実話に基づいているそうですが。できすぎなくらいよくできたストーリーになってます。
最初は半信半疑だった仲間が結束していったり、邪魔をする敵役がいたり、難題が次から次へと降りかかるもの、最後はハッピーエンド、と言ってしまえばものすごい定番の作りで、しかも「動物」と「子供」を一緒に出しすという禁じ手を使っているので、面白いし家族で安心して楽しめます。

主役のマット・デイモンは、頑固オヤジが似合う歳になってきたなと感じました。

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『税務署の裏側』

2013-01-08 | 乱読日記

単なる内幕暴露本ではないが・・・

著者は東大卒で元国税調査官になったものの4年で退官、在職中に合格した税理士資格を取得し、税理士とともに税理士向けの税務調査対策コンサルタントなどをやっている人です。

本書は著者の税務署職員時代に感じた違和感と税理士になって直面した理不尽とも思える税務署員の行動について、税務署の実態から解説しています。

残念なところは、「税務署はこんなに楽」という勤務条件や福利厚生面での記述が多いことで、読んでいて「それは地方公務員とか国家公務員の一部にも言えるだろう」ということに多くの紙幅が割かれていることです。
(そして、昭和の頃の銀行の支店とも似た雰囲気を感じました)

参考になったのは税務署員の行動原理について触れた部分です。
中でもなるほど、と思ったのは「挑戦的課税」

これは、脱法的だがグレーゾーンの節税に対して、とりあえず税金を課税しちゃえ、という傾向を言います。
一番いい例が武富士事件です。
挑戦的課税の一番の目的は、勝ち負けに関係なく、世間の注目を集めて法律の抜け道がクローズアップされることで、法改正を実現させることにあるといいます。

・・・国税局の幹部職員が、研修で以下のような話をしていました。
「法律を変えるのは大変だし、実際に法律を作成する主税局の職員は忙しいから、法律の抜け道に対して、適宜ブロックする法律が成立しないことを責めることはできない。むしろ、悪いのは法律の抜け道を利用しようとする納税者で、法律を変えるためには、勇気を持って勝ち目のない裁判をしても致し方ない

武富士事件は結果的に国が敗訴し、課税した1500億円に対する利息相当の還付加算金が約400億円というのですから、立法コストとしては相当高くついたわけです。
税金を掛け金にしてギャンブルをするような「挑戦的課税」が起きる一番の問題は「主税局の職員は忙しいから・・・」という上には物申せない文化にあるように思います。

後半は税理士を目指す人へのアドバイス(税理士事務所につとめるより税務署職員のほうが勉強時間もあるし、永年勤続すれば科目免除や試験自体免除の特典もあるetc.)が主になるので、興味のある方は。

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『がん保険のカラクリ』

2013-01-06 | 乱読日記

正月休みに保険を見直そうかと購読。

がん保険だけでなく医療保険や年齢・ライフステージによる必要な保険の考え方が整理してあって参考になりました。

僕が若かった頃はまだ、実家の知り合いの外務員などに説明を聞きながら入っていたものでした。
ひどいものでは、新入社員の研修で保険の勧誘をやらされていて成績次第で配属先が決まる、と同級生から泣き落としを受けて入った(しかもそいつは数年後に転職してしまったw)A生命なんてのもありました。

そんなこともあったので、死亡保障については2度ほど見直しをして整理がついた状態なのですが、がん保険もあまり深く考えずに入っていました。
本書にもAFLACは企業の代理店を通じてに営業をかけて顧客を拡大したとありますが、まさにその術中にはまったわけです。
しかも毎年に近く新しい特約やらの新商品ができて、ついつい何年に一回かは付加してしまったりした結果、入院保障とがん以外の疾病のときの特約については確かに過剰感がありました。
まあその辺、ライフステージに応じて徐々に減らしていこう、という計画を立てられたのが一番の収穫でした。
(なので、著者が副社長をやっているライフネット生命には入らないけどご勘弁を)

契約の時には合理的な判断ができないのが生命保険の特徴だとAFLACの創業者も言っていたようですが、本書は一般人が陥りやすい思考の誤りを指摘してくれています。

いずれにせよ、保険を選ぶ際にもっとも大切なのは、「いくら払って、その代わりに何を保障してもらえるか」という算式である。高い確率で起こる事象を保障してもらうためには、その分保険料は高くつく。保険料を低く抑えようと思えば、その分保障範囲を限定しなければならない。その点において「お得な保険」なんてものは存在しないのである。

これは理屈ではわかっているし、自動車保険などではけっこう実践しているのですが、生命保険だと情報が得にくいこともあり、合理的な判断は難しいですね。

それから、言われてみてなるほど、と思ったのは

・・・保険の本質は「発生する確率は低いが、起きたときに大きな経済的損失を被る可能性がある事故に備えるため、大勢で少しずつお金を出し合って備える仕組み」である。・・・
 これに対して、「自分の身に起きる確率が高い事象」については保険ではなく貯蓄等の資産形成によって準備されるものである。子供の教育費、老後の生活費は必ず必要になることがわかっているお金である。「偶然の事故に備えて大勢で少しずつお金を出し合う仕組み」である保険には適していない。
 (中略)
 この点、老後の生活に入ってからの死亡や病気は「発生確率が低い現象」とは呼べないのではないか。・・・
 したがって、老後の生活において私たちにふりかかる死亡・病気等の事象に対しては、原則として保険ではなく貯蓄による現預金で対応すると考えるべきである。

まったくその通りだと思います。

特に日本は健康保険制度が充実している(=掛け金を負担している)ので、自己負担はさほど多くないという現実をきちんと認識して判断すべきで、本書はその点の説明も充実しているので、保険を見直そう、新たに検討しようという方にはオススメです。



 

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制度の慣性

2013-01-03 | よしなしごと

元旦のNHK・ETVで「ニッポンのジレンマ」を途中から見ました。

番組の最後のほうで、猪子寿之氏の日本は規制が多すぎるしほとんどの規制は不要だという発言がありました。(もっとも他の人があまりついてこなくてかみ合った議論にならず、すぐ次の話題に移ってしまったのですが...)

こういう意見を聞くと、既存の制度の中で泳いできた時間が長いオジサンとしては、それぞれの規制には成立してきた理由があり、恩恵を受けている人々もいるし、なにより既存の制度を廃止するには役所の抵抗が大きいという現実を無視するわけにはいかない、という現実が頭をよぎってしまいます。

つまり制度のほうは現状を維持しようという慣性が働くわけです。

これに対して「規制はいけない」と勢いだけでガラポンしようとしても、(先の民主党政権のように)出来るところをちょっと変える中途半端なものだったり、制度は変えずに結果新たなバラマキに終わってしまうことにもなりりかねません。

一方で、今ある多くの制度は、実は制度を作ったときと前提条件が大きく変わっているものがけっこうあります。
そこを指摘することは、制度から恩恵を受けている人々の存在を否定することにもなりうるので、政治的な抵抗はあるので力がいると思いますが、現象面を指摘するよりも前提が変わっていると指摘するほうが、根こそぎ変えるには結局は近道のように思います。


年末に高齢者雇用安定法による65歳までの雇用義務付けはよくない、という議論をしてました。
そもそもの問題は長期間の勤務のインセンティブをもたせるような年功的+退職金に依存した賃金制度で、これ自体が高度経済成長期に企業の成長を前提に若年者の大量採用を可能にするための「後払い」システムであり、高度成長はもとより企業の永続自体が所与の前提にならない現在においては、そこから見直すべきではないか、高齢者雇用のために(50代はともかく)40代の給与を下げるというNTTは本末転倒もはなはだしい。逆に、65歳まで働くのを前提とするなら、45~50歳くらいを定年にして、第二の人生の期間を失敗をしても出なおせるくらいとったほうがいいのではないか、というのが私の考えです。

家に帰って年末年始に『日本の雇用と労働法』を読み直しました。
現在の年功型の賃金体系の形成過程については

  • 1946年に日本電気産業労働組合協議会が勝ち取った生計費実態調査に基づいて本人の年齢・扶養家族数に応じて生活保証給を定め、それに能力給や勤続給を加味した「電産型賃金体系」が戦後賃金体系の原型になった。
  • 一方1950年代から60年代にかけて使用者側は同一労働同一賃金原則に基づく職務給の賃金体系を主張してきた。
  • ところが1960年代後半になると、急速な技術革新に対応するための大規模な配置転換が必要になり、労働側は失業を回避するために配置転換を受け入れるとともに労働条件の維持を要求し、経営の現場もこれを受け入れるとともに、仕事に着目するする職務給ではこれに対応出来ないためヒトに着目する職務給へと転換することとなった。日経連も1969年の報告書『能力主義管理-その理論と実践』で方針転換を明確にした。
  • その結果これ以後の日本の典型的な賃金制度は、個々の労働者の職務遂行能力を評価した資格(職能資格)に基づいて賃金を決定する職能給となり、同時に職務の限定なき雇用契約、という在り方が確立した。

退職金と定年制については

  • 終戦直後の労働協約では「従業員の採用・解雇は組合の承諾なく行なわないこと」という規定が多く盛り込まれていた。一方戦時生産体制で膨れ上がった過剰雇用の解消のため使用者側は人員整理のための定年制度の導入を求め、同時に雇用保障という意味で定年制は労働側からの要求にも合致した。
  • 同時にこの時期はインフレ下で厚生年金制度が機能を停止する中で、労働者が企業に退職後の生活保証を要求し、その結果退職金制度が急速に広まった。
  • 定年制と退職金制度は、解雇をめぐる争議が頻発する中で過剰人員を整理解雇という形をとらずに退職させるという意味で使用者側にもプラスであり、退職金は長期勤続へのインセンティブであるとともに余剰人員の排出の手段でもある(これは早期退職制度における割り増しなどに表れている)という二重性格を持つことになった。
  • 1954年にインフレで機能停止した厚生年金制度を再建するために厚生年金法が改正され、男子の支給開始年齢が55歳から60歳に1974年までに段階的に引き上げられた。
  • これにより労働側から定年延長要求が表れ、大企業から延長されていくなかで1986年に高齢者雇用安定法が成立し、60歳以上定年の努力義務が規定され、1994年改正により60歳未満定年が禁止された。

というのが実際の経緯のようです。

「後払い」というのは誤解だったようですが、現在の雇用慣行がインフレと経済成長を前提として辻褄の合うように形成されてきたことは間違いがないようです。

また、『がん保険のカラクリ』(レビューはこれから)によると、国民健康保険に国庫の補助を制度化(1955年)するなどで1961年にようやく国民皆保険・国民皆年金が実現したのち、高度経済成長を受けて1973年に医療保険・年金制度の大幅な給付改善が行なわれました。
70歳以上の医療負担無料化、健康保険の家族給付率7割、3万円超の高額医療費制度(いずれも当時)が導入されたのがこのときです。
さらに1973年秋にオイルショックを契機としたインフレが起き、診療報酬・年金給付額の大幅引き上げが行なわれました。

このブログでは何回か触れましたが、実は日本の合計特殊出生率は戦後一貫して下降し、既に1950年代後半には2.0を割り込んでいます。
しかし1970年代の第二次ベビーブームなどがあり出生数は上昇傾向にあり、また70年代のインフレ対応が優先課題であったため、高度成長の終焉と少子・高齢化とによる長期的な成長率の低下や財政の逼迫というのは念頭に置かれていなかったのかもしれません(または知っていて目をつぶっていたか?)。




一方、今回の年金支給開始の65歳までの延長は、少子高齢化による財政問題に起因します。
本来それへの対策としてはインフレ・高度経済成長期モデルの制度自体を見直すことであって、デフレ・不況下の企業に余剰人員の雇用を義務付けることではないと思います。
そして、もともと経営規模が小さく業績の変動も大きい(そしてだからこそ)人材の流動性も高い中小企業にまで雇用を義務付けるのは、経済の活力を損なう以外の何物でもないと思います。

逆に若年層の雇用を活性化させるとともに、中高年層の雇用の流動化をはかって経済を活性化させるためにも、定年年齢を引き下げる一方で、経過措置としては上に指摘されているように、退職金の余剰人員排出機能を働かせて割増退職制度を充実させるなどの対策をとったほうがいいのではないでしょうか。


などということを年明け早々考えてました。


そうなったら、またそうはならなくても65歳までの自分自身はどうあるべきか、制度や自分の周りの慣性をいかに客観視できるかというのが、新年のテーマとなりそうです。



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あけましておめでとうございます

2013-01-01 | よしなしごと

巳年といえばこれでしょうw


(2まわり前の巳年の番組のようです)



今年も地味に更新していきますので、気が向いたらお寄りくださいませ。

 

 

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