一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

過去の反省は将来に向かっていることに意味があるのではないか?

2007-03-31 | あきなひ

原発「不適切な事例」、97件 東電含め電力7社
(2007年03月30日21時25分 朝日新聞)  

全国の12電力会社は30日、発電所におけるデータ改ざんやトラブル隠しに関する調査報告書を経済産業省原子力安全・保安院に提出し、不適切事例4518件を報告した。うち原発関連は7社で97件あった。東京電力は福島第一原発3号機(福島県)で78年に起きた制御棒脱落は臨界事故に至っており、それを隠していたと断定。同2号機で84年に起きた原子炉緊急停止も隠していたと報告した。

(中略)

一連の不祥事を受け、東電は同日、勝俣恒久社長ら64人を減給などとする処分を発表した。勝俣社長と田村滋美会長が3カ月間10分の3の減給、林喬副社長ら3人が3カ月間100分の15の減給など。

いいことか、と言われれば間違いなくよくないことなのですが、今から30年近く、または20年以上前の隠蔽について、現経営陣が責任を取る必要があるのでしょうか。

確かに70年代は原発が実用化されたばかりの頃なので、反対派を刺激しないように現場レベルでも隠蔽が行われがちな状況はあったと思いますが、問題はそれが現在の電力会社の内部統制とか企業風土にどこまで影響しているかということなのではないでしょうか。

個人的には30年近く前に遡って調査できること自体が立派だと思うのですが。

期末でバタバタしていて今回の(過去の)「不祥事」が何をきっかけにして表面化したのかは知らないのですが、事実を徹底的に調査し、再発防止に努めるということ以上に、現経営陣が責任を取る必要があるとは到底思えません。

それがいけないのなら、中国や北朝鮮が(未だに)主張する日本の賠償責任問題も十分理由があることになります(以前こんなことを書いてました)。
また、現在の明仁天皇の戦争責任も問えるわけです。
三菱重工などの第二次世界大戦当時の軍需産業は存在自体が許されないことになってしまいます。
(あ、朝日新聞としては一貫しているのかな?w)

電力会社としては内部調査は必要だとは思いますが、結果についてここまで非難する必要があるのでしょうか?
逆に、今更どうしようもない過去の事実でここまで吊るし上げを食らうとなると、企業は隠蔽に走ってしまうようにも思うのですが・・・

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タミフル

2007-03-30 | よしなしごと

タミフルを服用した子供の異常行動が問題になっています。

Wikipediaでは、「要出典」の留保つきですが

タミフルの全世界での使用量の内およそ75%を日本での使用が占めており、世界各国の内で最も多く使用されている上、同2位のアメリカと比べ、子どもへの使用量は約13倍とされる。

とされています。

世界レベルで言えば日本の医療は高水準にあることの証左なのか、日本人には「新薬好き」というような傾向があるのか、はたまた新薬重視の保険点数制度のゆがみが原因なのかは私はわかりません。

『ナイロビの蜂』のように製薬会社が人々の困窮と無知につけこんで新薬の治験をするのでなく、金持ち国が新薬に飛びつくことで結果的に大規模な臨床実験をしてやっている、という皮肉な見方もできます。

タミフルと異常行動の因果関係も大事ですが、世界的にも突出した日本人の「新薬好き」の意味や問題点も議論した方がいいのではないか、とふと考えた次第です。

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理想の上司

2007-03-29 | よしなしごと

理想の上司 女性は篠原涼子さん、男性は古田敦也さん
(2007年3月28日(水)23:40 朝日新聞)

女性上司1位の篠原さんは、有能な派遣社員を演じた主演ドラマ「ハケンの品格」の影響が強く、「姉御肌」「頼もしい」と評価され、昨年のトップテン外から急上昇した。特に女性票の5分の1を集め、同性から圧倒的な人気だった。

古田さんは「頼もしさ」などに加え、「理論・頭脳派」との印象で、男女とも高く支持。

「頼もしさ」というキーワードは男女に共通しています。
一方で女性の上司には「姉御肌」、男性の上司は「理論・頭脳派」を期待しているというのも興味があります。
「頭脳派の女性上司と親分肌の男性上司」という逆の組み合わせは、10年くらい前までのひとつの典型的なイメージだったと思うのですが、そういうステレオタイプは飽きられてきたということなのでしょうか。


初回と最終回の2回しか見ていない僕が言うのもなんですが、「ハケンの品格」では「有能で戯画的なまでにプロフェッショナルな意識の派遣社員」という設定だから面白かったので、実際に上司でああいうテンションと能力の人がいたら困ると思うんですが・・・


今回アンケート対象だった「今春入社する新社会人の男女836人」も2,3年経つと「神輿は軽くて何とやら」などと言い出すんでしょうけどねw


PS
「ハケンの品格」についてはこちらこちらで細かい突込みをしていますのでご参照ください


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植木等さん死去

2007-03-28 | よしなしごと
「スーダラ節」「無責任」 植木等さん死去 80歳
(2007年3月28日(水)03:10 産経新聞)

クレージーキャッツといえば僕が物心ついた頃は人気の絶頂(をちょっとすぎた)あたりでした。
同時代で見た記憶があるのは「シャボン玉ホリデー」の最後の頃です。

 「おとっつぁん、お粥が出来たわよ」とか「お呼びでない」は(といっても知らない人には何のことやらでしょうが)今でも記憶に残ってます。

番組のスポンサーだった牛乳石鹸はまだ健在のようです^^


あとは歌ですね。
ヒットソングは刷り込みのように頭に残っていて、なんとなく聞きたくなって15年ほど前にCDを買ったこともあります。

一方で映画の「無責任男」シリーズはほとんど見た記憶がない(テレビで再放送しているのくらい。そもそも子供には面白さがわからなかったですしw)ので、今度借りてみようかと思います。


クレージーキャッツの面々は皆いい歳のとり方をしているな、と思っていたので、とても残念です。
ご冥福をお祈りします。
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PASMO(その2)

2007-03-28 | よしなしごと
定期券をPASMOにしました。

この前懸念したとおり、いまひとつ使い勝手がよくありません。

1.ICカード同士の干渉
定期入れにPASMOの定期券とSUICAを入れているのですが、2枚重ねた状態で自動改札タッチすると、エラーになってしまいます。
なので、定期入れを開いた状態でタッチしなければいけないので少々面倒。

2.SUICAとの併用ができない
もともとPASMO定期券はそのまま乗り越し精算もできるのがウリなのですが、経理処理の関係で乗り越し精算分はSUICAでやろうとしても、精算機ではPASMOを入れるとチャージするか現金精算しかできません。

まあ、あんまり想定していない使い方なのかもしれませんが、ちょっと不親切な感じもします。


SUICAと仕様を同じにして完全に共用できるようにしなかったのは、意地なんでしょうか。
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『約束された場所で-underground2』

2007-03-27 | 乱読日記

村上春樹による『アンダーグラウンド』の続編で、今回はオウムの(元)信者へのインタビューです。

巻末には河合隼雄氏との対談(ひとつは『アンダーグラウンド』刊行後のもの、もうひとつは本書のためのもの)が収録されています。

本書は1998年の刊行なので、河合隼雄さんが(文化庁長官などという厄介ごとを引き受ける前で、当然)御元気な頃ですから、非常に示唆に富む対談になっています。

本書では『アンダーグラウンド』のときも村上春樹がこだわっていた「物語性」への問題意識--麻原彰晃のストーリー、特に死生観・終末思想に対抗するストーリーをわれわれの社会が持ちえていなかったこと、一方でオウムの元信者たちの、ストーリーへの思い入れ方=唯一の世界観にあまりにも単純に同一化してしまうこと(平たく言えば純粋だが薄っぺらい考え)への違和感はより高まります。

河合隼雄さん曰く

やっぱり人間というのはほんとにしょうもない生物やからね。だから自分の悪というものを自分の責任においてどんだけ生きているかという自覚が必要なんです。

最後の対談だけでも読む価値はあると思うのですが、オウムを正邪の基準で考えない(逆に多数の善良な人々が判りやすい正邪の基準に巻き込まれてしまったこと自体が問題だという)問題意識は健全だと思います。


それは現在でも、安倍政権の改憲論議とか北朝鮮をめぐる六カ国協議を国民に提示するやり方や逆にマスコミ(特に朝日新聞など)の論評のありかたへの補助線にもなるかと思います。

 






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白鵬の変化

2007-03-26 | よしなしごと

えっ変化?優勝決定戦にブーイング
(2007年3月26日(月)06:13 スポーツニッポン)

実況中継は見ておらず、夜のNHKスポーツニュースで知ったのですが、本割で朝青龍が変化をして、優勝決定戦では今度は白鵬が変化をしたんですね。
(最初に見た民放は白鵬の本割と優勝決定戦しか映していなかったのでこれはアンフェアだと思います)

白鵬にしてみれば、横綱が本割で勝ちにこだわり変化をした以上、優勝決定戦ではよもや変化はできまいという読みもあって自ら変化したのだと思います。その意味では、白鵬の読み勝ちであり、本割の時点で自らの選択肢を狭めてまでっ勝ちに行った朝青龍の自滅ともいえると思います。
横綱審議委員が注文をつけたようですが、僕は横綱になるまではしゃにむに勝ちに行く姿勢の方が大事だと思います。
決してアンフェアなことをやっているわけではないですし、「横綱相撲」は横綱になってから求めるべきものですよね(横綱になりたての朝青龍は決して褒められた取り口ではなかったですし、古くは横綱になってからも張り手をしていた三重の海なんてのもいました)。

本来横綱審議委に文句を言われるべきは朝青龍のはずです。
実績は既に大横綱なんですから、変化されたくらいで手をついてはいけないですし、よもや本割で変化するなどと卑しい勝ち星の取り方をしてはいけないはずです。


それで思い出したのが、第二次世界大戦中のドイツ軍の88mm砲の逸話。
もともと88mm砲は高射砲でした。ところがアフリカ戦線にイギリス軍が投入した新型のマチルダ戦車は装甲が厚くドイツ軍の対戦車砲では歯が立たなかったので北アフリカ戦線を蹂躙していたのですが、ドイツ軍の名称ロンメル将軍は高射砲だった88mm砲を水平に向けて対戦車砲として使用してマチルダ戦車を壊滅させたそうです(高射砲は上空に向けて撃つので発射速度が速い、運動エネルギーは速度の二乗に比例するのでそれを戦車の装甲版を打ち破ることに使えないかという発想です。もっとも高射砲の水平射撃自体はロンメルが発案したわけではないらしいですが)。

そして捕虜になったイギリス軍将校曰く

戦車に対して高射砲を使うとは騎士道精神に反する!

これに対してドイツ軍将校は冷静に切り替えして曰く

高射砲でないと撃破できないような戦車で攻めてくる方こそ騎士道精神に反するのではないか。


今回の白鵬はそんなに責められるいわれはないと思いますが・・・

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三遊亭圓生「代脈」-またはコンプライアンスと「粋」の関係について

2007-03-25 | よしなしごと

ここのところ、週末に車に乗りながら落語のCDを聴くというのがマイブームです(参照)。
今日は三遊亭圓生の「代脈」

圓生は亡くなったのが1979年なので子供の頃にテレビで観ていたはずなのですがあまり記憶にありませんでした。
この噺も含めて「圓生百席」というスタジオ録音のシリーズをいくつか聴いているのですが、ライブ以上に集中するせいか、マクラの部分から一気に圓生の語り口が作る世界に引き込まれます。
また、それぞれの噺の後にボーナス・トラックとして本人がその噺について解説やもちネタにした由来などを簡単に話す「芸談」もついていてお得でもあります。
最近のお気に入りであります。


さて、「代脈」という噺は、商家の娘の往診に大先生が代わりに送った与太郎が・・・(代診のことを代脈といった)という噺です。

この噺についての「芸談」が面白い。

これを改作して与太郎が代わりに駕籠に乗っていくのを人力車や自動車にかえて演った人もいますが、こうなると第一話がおかしくなる。人力車や自動車の時代に与太郎が代脈を取れば医師法違反ですよ。

与太郎でも薬の調合さえしなければ間違いはない。相手のお嬢さんが気鬱症、まぁ今の神経衰弱だからこんなものが行って失敗でもやらかせば、かえってお慰みになってよかろう、という昔のごく粋な考えからしたことなんですね。

今のような理屈っぽい時代にそんなことすりゃえらいことになる。

医師法などという切り口まで持っているところもおどろきですが、このCDの音源は昭和50年(1975年)。その頃も明治33年(1900年)生まれの圓生には理屈っぽい時代にうつっていたんですね。


さらに30年が経った現在では、世の中はコンプライアンスだの内部統制だのと世の中はさらに理屈っぽくなってしまっています。

でも、こんな時代にこそ、「粋な考え」を生かすことが大事なんだと思うのですが・・・

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与太話

2007-03-24 | よしなしごと

3月末に向けて、送別会などで夜が埋まる上に仕事がばたばたしています。
ということで場つなぎに酒の席での与太話ネタをいくつか。

昨日のネタ同様、宮内被告の実刑は重いか軽いか、司法取引的なものを量刑において考慮すべきかという話になったのですが、そこで出た警察関係者の裏読みは「同じ実刑だけど宮内は早めに出られるようになっている」というもの。
でも、警察の方がお相手しているような常習的犯罪者の方とは違って、一般人としては1ヶ月でも刑務所に入るというのは相当なダメージだと思うので、そういう配慮は有難くないんじゃないかな、と申し上げておきました。


都知事選で72歳の黒川紀章氏に年寄り扱いされてちょっと気の毒だった74歳の石原慎太郎氏。相変わらず舌鋒は鋭いのですが、某所で見かけた人の話では、足がちょっと弱ってるように見えたとか。
車移動が多いからでしょうか?
「マラソン知事」の浅野氏のつけ込みどころかもしれませんね。


これもこの前ちょっとふれたのですが、塩崎官房長官の評判が役人の間ではあまりよろしくないようです。何か説明に行っても「で、マスコミにはどう言えばいいんだ」ということしか関心がないとか。
それを聞いていた別の官僚が間髪を入れずに一言

「それじゃ石原伸晃と同じじゃないか!」

個人的にはこっちの方がウケましたw

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堀江被告と宮内被告の判決

2007-03-23 | 法律・裁判・弁護士

といっても私には量刑の適否について云々する専門知識はないのですが。

報道やブログを見ると、堀江被告の実刑判決は予想通りという見方がある一方で、検察に協力的だった宮内被告が懲役1年8ヶ月の実刑判決というのは予想外という見方と妥当という見方があるようです。

しかし僕自身はこの事案に限らずに「検察に協力したことが情状酌量に反映する」という部分については、本当にそれでいいのか?という疑問があります。

日本ではアメリカのように有罪を認める代わりに1ランク下の罪が適用されるというような司法取引はないとされています。
今回の宮内被告への判決について「モトケン」矢部弁護士のブログ

会社の金の私的流用について、宮内被告人と検察との間に仮になんらかの取引があったとしても、法廷で、つまり裁判官の目の前で犯罪事実を認めてしまえば無罪の理由にはなりませんし、私的流用の事実が真実存在するとすれば、その事実は宮内被告人にとって不利益な事実でしかありません。

と、情状以前に司法取引の制度がない中で事実を認めてしまった宮内被告側の不用意さが実刑の元になっていると分析しています(という理解でいいんでしょうか)。

また、そこで引用されている落合弁護士のブログでは

検察庁と宮内被告人の間に、弁護人が強く主張するような「黙契」まではなかったとしても、宮内被告人側に、検察庁に協力することによって寛大な刑にしてもらえる、間違っても実刑にはならない、という強い期待が存在した可能性は高いでしょう。
その期待が、裁判所によって見事に裏切られてしまったということになると、検察庁としては、今後の、特に堀江被告人の公判維持上、いつ爆発するか、どれくらいの威力があるかわからない時限爆弾を抱えてしまった、という面はあると思います。

とつぎの展開への影響を分析していますが、ここでも、司法取引の仕組みがない中では被告人と検察は「ガチンコ」にならざるを得ない、という認識が基本にあるように思います。

しかし一方で、罪を認め改悛の情を表すことは一般的には情状として酌量され、逆に最後まで無罪を主張すると、情状の判断上は不利になる(有利には取り扱われない)ようです。
そしてこれが、今回捜査に協力した宮内被告に実刑判決が下ったのは予想外、という見方の背景にあるようです。


これがからむと素人にとっては話がややこしくなります。

刑事事件には推定無罪の大原則があります。
これと上の「情状酌量システム」(特に「改悛の情」に対するもの)は矛盾しないのでしょうか?

つまり、刑事被告人としての当然の権利である無罪を主張することが、情状酌量を受けない有罪判決か無罪判決かという"all or nothing"の賭け=被告人にとってリスク(正確に言えばボラティリティ)の高い行為になってしまっているのではないか。無罪を主張することは被告人側の「賭け金」だけを一方的に吊り上げることになってしまっているのではないか。その結果一般的には「おとなしく有罪を認めて情状酌量にすがる」という方向にインセンティブを与えているのではないか、ということです。
(痴漢の冤罪事件で警官の前で自分がやっていないのに罪を認めてしまう方向に追い込まれる構造にも似たようなものがあるかもしれません) 


この点についてtoshiさんはある意味情状酌量の効用を積極的に認められているようで

粉飾決算に関連する刑事事件は、たいへん立件が難しいとされています。こういった刑事事件におきまして、検察としては、できるだけ「本丸」に登るための協力者を欲するところでしょうが、今回の判決を前提といたしますと、「どんなに捜査に協力的な態度をとっても、やってしまったことの重大性だけが判決の基礎となるのであれば、一か八か、無罪主張にかけてみよう」といった、共犯者の動機付けになってしまいそうであります。(もちろん、保釈申請の現実をみた場合、できるだけ早期に事実を認めてしまおう・・・といった気持ちになってしまうのも現実であります。ただ、今回、堀江氏は無罪を争いつつも保釈されていますし、無罪を争う動機を保釈制度の現実が排斥してしまう、ということにはならないと思われます)今後の証券被害事件の捜査にとって、このたびの実刑判決は、果たして望ましいものなのかどうか、私自身はかなり懐疑的な気持ちを抱いているところです。

と、量刑の中で捜査に協力したことを斟酌したほうが今後の同種の問題の解決には資するのではないかという意見を述べられています。

今回の判決の経済事件全般に与える影響についてはよくわからないのですが、自分が被告人になったときに、具体的な根拠はないけど運用上は情状酌量の可能性が高いから罪を認めた方がいいよ、といわれても、「はい、わかりました」とは言いたくないな、というのが素朴な感想です。

確かに経済事犯の捜査は難しい部分もあると思いますが、そうであればこそ司法取引のようなものを制度として導入してもいいのではないでしょうか(独禁法でもリーニエンシー制度が導入されているくらいですから。)。



それから、刑事裁判では判決言い渡しの後に裁判官からひとこと、というのが慣例になっているようですが、これは必ず必要なんでしょうか。

堀江被告への判決のときの手紙の話などは、こぼれ話としてはいいかもしれませんが、正面から罪を争っている堀江被告に言ってもどれくらい効果があるのか疑問です。
ひょっとすると、裁判所の中で慣例になってしまっていて、「やらなければいけない」というものになっているとしたらそれはそれで問題なんじゃないかと思いますが。

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『カポーティ』

2007-03-22 | キネマ
トルーマン・カポーティがカンザスの一家惨殺事件を取材して「冷血」を書き上げるまでの、作家としての欲望と犯人への親近感との葛藤を描いた映画です。

ハリウッド映画にしては「正義の裁き」をせずに、カポーティやそれをとりまく人々(犯人、友人、恋人(ちなみに彼はゲイ)、編集者)などの心の揺れを淡々と描いています。
カポーティが完成させた作品は「冷血」が最後で1984年にアルコール中毒で死去、と最後のテロップで付け加えたのはよかったかどうか・・・

あまり起伏のない話でしかも時間の制約があるのでエピソードが飛び気味の脚本になるのは仕方のないところかもしれませんが、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンの熱演で飽きずに見せます。


映画を観ながら考えてしまったのですが、これは1960年代という時代ならではの話で、現代だったら容疑者や関係者の手記の争奪戦がおきたり、取材をする作家自体にリアルタイムで密着するテレビ局などが出てきたり、容疑者側にも支援者がついたりと、もっと即物的な大騒ぎになりそうだな、ということでした。


まだ「冷血」は読んだことがなかったので、読んでみようと思います。










<追記>

『冷血』読んでみました(こちら)。
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ニホンユウセイ

2007-03-21 | 余計なひとこと
日本郵政、企業マークと制服発表 イメージカラーは4色
(2007年3月20日(火)06:00 朝日新聞)

この前日本郵政の人から電話がかかってきたのですが、取り次いだ人も僕も「日本郵船」と勘違いしちゃいました。

今度定めた共通のロゴは「JP」だそうですが、「JP」と名乗ったら今度はJPモルガンと間違われたりして(それはないか)。


持ち株会社の日本郵政の下に事業会社として「日本郵便」「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命保険」ができるそうですが、「ゆうちょ(郵)銀行」と「かんぽ(簡)保険」っていう名称も馬から落ちて落馬してるような・・・?

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PASMO

2007-03-20 | よしなしごと

18日からPASMOの利用が開始されました。

ところが会社の経理からのお達しが来て、の経費精算にはSUICAは今までどおり使えるけどPASMOは原則使えないそうです。
理由はSUICAの利用明細は一度のみ印字可能なのに対し、PASMOの利用明細は何度でも印字可能なので未精算分の判定が困難だからとか。

そもそもPASMOはSUICAとは名前だけ違うけどまったく同じ物と思っていたのですが、違うものなんですね。
確か電子マネーの技術はソニーのFelicaだったように思うのですが、あえて仕様だけ変えたのはなぜでしょうかね。

定期券+乗越し精算用にオートチャージ機能のついたPASMOを申し込んでいたのですが、SUICAも持つ必要があるとなると、ICカード同士の干渉があるので持ち歩き方も考えないといけません。

 しかし後発のサービスのほうが不親切、ということもあるまいと考え直して調べてみると、「PASMO & Suica相互利用徹底ガイド」によれば  

3月18日以降は、PASMOの公式WebサイトにアクセスしてWebブラウザから残高や履歴を表示・印刷できるサービスもスタートする。会社の交通費精算などを想定したサービスだ。こちらも、PASMOとSuicaの履歴を合わせて印刷できる。  

このサービスを利用できるのは、記名PASMOとPASMO定期券のみ。無記名PASMOでは利用できないほか、PASMOサイトに自分の氏名、生年月日、電話番号を登録することが必要になる。サイト内の「マイページ・PASMO履歴照会サービス」で3月18日以降登録できるようになる。

そうです。
そりゃそうだよね。
でも、無記名PASMOは精算に適さない仕様にする、という割り切りも思い切ったものだと思います。

経理のお達しをよく読むと「使用者が未精算金額を正確に管理できる場合にかぎりPASMOによる経費精算も認める。」とあるので、これでいけるんじゃないかな。
でも、それなら最初からこのサービスを紹介してくれてもいいじゃないか・・・

********** ( 追記 ) *********

PASMOのサイトを見てみると、残高履歴の重複発行の問題は解決されていないようです。

今の定期は3月いっぱいあるので、もう少し調べてみることにします。

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「公務員制度改革」は何のための改革か?

2007-03-19 | まつりごと

公務員再就職「人材バンク」で管理、首相が法案化指示
(2007年3月16日(金)21:30 読売新聞)

渡辺行政改革相は16日、政府の経済財政諮問会議で、省庁による天下りのあっせんを全面的に禁止し、代わりに新たな「人材バンク」で再就職あっせんを一元管理することを柱とする公務員制度改革の政府原案を提示した。  
これを受け、安倍首相は同案に沿って国家公務員法改正案の策定を進めるよう指示した。  
原案は、各省庁の幹部の公募について、2007年度にポストの1割に各省や民間からの公募枠を設け、「今後5年間で更なる目標を定めて拡大する」と明記した。このほか、<1>能力と業績評価に基づく人事の確立<2>勤務成績不良の公務員に対する分限処分等の厳格な対処<3>専門スタッフ職の創設などによる定年引き上げ――などを盛り込んだ。

そして

公務員改革、中川幹事長「役所忠誠の閣僚は想定外に」
(2007年3月17日(土)20:53 読売新聞)

自民党の中川幹事長は17日、北京市内のホテルで同行記者団と懇談し、公務員制度改革について、「閣僚は安倍首相の意向に従って役所を説得し、政府案にしていくべきだ。万が一、首相より、役所に忠誠を尽くす閣僚がいれば、想定外のことになる」と述べた。

とまあ、こんな流れになっているのですが、内閣というのは行政府の長で、行政が有効に機能するためには公務員制度はいかにあるべきか、という視点が必要で、食客三千人ではないですが人材を確保するにはある程度の無駄は必要な部分があると思います。

見直すべきは「天下り」という行為ではなく、「無駄な天下り」であって、それはすなわち天下り先の政府系特殊法人の存在自体の方をまず見直すべきなのではないでしょうか。
天下りを全廃してしまうと、結果的に現在特殊法人のトップに座っている人をコントロールできなくなってしまうという副作用が出るのではないか、と知人の官僚は懸念していましたが、確かにそういう問題もあるかもしれません(日本の民間企業の社長は自分が決めるか不祥事でもない限り交代するきっかけがないと批判されるのと同じですね)。

まず天下り廃絶ありき、というのは小泉首相が得意とした「敵作り」の手法の下手な真似のような感じもします。


また、「能力と業績評価に基づく人事の確立」ですが、そもそも中央官庁の局長級以上の人事は内閣(官房長官と3人の官房副長官で構成される人事検討会議)の承認事項になっています。
小泉内閣の時は、内閣の方針に合わない官僚の更迭が何回かあったそうです(郵政民営化における総務省とか)が、安倍内閣ではほとんど官庁の原案が通っているとか。

余談ですが、官僚が人事案を持っていくと、塩崎官房長官などは「女性や民間人の登用」などと(ちょいとピンボケなことを)言って困るそうです。


まずは内閣自らが高級官僚人事において率先して「能力と業績評価に基づく人事の確立」の範を示すべきなんじゃないでしょうか。


それから、「2007年度にポストの1割に各省や民間からの公募枠を設け、「今後5年間で更なる目標を定めて拡大する」ですが、一般論として人事に関する話は(圧倒的な供給過剰の状況にでもない限り)あらかじめ制度的な枠をはめてしまうのは得策でないと思うのですが・・・

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Style Book 2007

2007-03-17 | 余計なひとこと
雑誌「ブルータス」の吊広告です。



写真を見て気になったのですが、犬ぞりの人は、右端でふんばっている犬のフンをちゃんと拾ったのでしょうか?
なんとなく見て見ぬふりをしているようにも見えるのですがw



でも実際、犬ぞりってフンの始末はどうしているんですかね?
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