一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

最後までラムズフェルド

2006-11-10 | よしなしごと

(追記あり)

「21世紀最初のこの分かりにくい戦争」 ラムズフェルド長官会見
(2006年11月9日(木)18:15 gooニュース)

・・・大統領はさらに、03年に英国の「意味不明な迷言(Foot in Mouth)大賞」に選ばれて有名になったラムズフェルド氏の発言を引用。「ドンの有名な言葉がある。『世の中には、分かっていると分かっていることがある。分かっていないと分かっていることもある。そして分かっていないと分かっていないことがある(There are known knowns; there are known unknowns; and there are unknown unknowns)』のだと。とすれば長官殿、分かっていると分かっていることが、ひとつあります。つまり、あなたのおかげでアメリカはより強くなり、アメリカは前よりも安全な国になったという事実です」と称えた。

一方でラムズフェルド長官は「この6年間、国防総省に仕えるという予想外の機会を与えてくれた」大統領に感謝。「なかなかの経験でした。『批判されることは、私にとって実に有意義な経験だった。そして批判され足りなくて困るなどという事態には、一度もならなかった』というウィンストン・チャーチルの言葉を思い出します」と笑いを誘った。

長官はさらに「21世紀最初のこの戦争、分かりにくく、なじみのないこの戦争を戦う大統領を、私は尊敬しています。この戦争についてよく知る人は少ない。よく理解されてもいない。人々が理解するには複雑すぎる戦争だ。しかし時間がたてばいずれ、この戦争を戦うあなたの貢献は歴史に刻まれるはずだと確信しています」と述べた。

最後の発言は、ホワイトハウスのHPによると以下のとおりです。

The great respect that I have for your leadership, Mr. President, in this little understood, unfamiliar war, the first war of the 21st century -- it is not well-known, it was not well-understood, it is complex for people to comprehend. And I know, with certainty, that over time the contributions you've made will be recorded by history.  

以前、ラムズフェルドの上の発言などの「名調子」をネタにしたエントリを作ったことがあるのですが(こちら)、辞任会見でも相変わらずの味を出しているようです。
not well-known で not well-understoodな戦争を遂行したことが批判されているのを承知の上でこういう発言をシレッとできるのもひとつの才能ですね。
 


ちなみに引用したチャーチルのセリフは以下のとおり。 

"I have benefitted greatly from criticism, and at no time have I suffered a lack thereof."





※ 今までは配信元の名前が載っていたのですが、「gooニュース」というのはどこと提携しているんでしょうかね。


***************************

(追記)

極東ブログで、NYTラムズフェルドの軍備再編戦略(21世紀型紛争に対応するために重装備の兵器から小回りの効く小型ハイテク兵器に切り替える、その予算捻出のために地上部隊を削減した)自体の誤りを指摘している社説を引用しています。
「そもそも正しくない(正義のない)戦争に突入した」というよりも「出来ることと出来ないことを見誤った(結果正しくない戦争を行ってしまった)」という切り口ですね。
確かに、犠牲者が少ないうちに治安が回復してしまえば、アメリカ国内では反対論は盛り上がらなかったのかも知れません。

ご参考まで。

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子母澤寛 『新選組始末記』 『新選組遺聞』

2006-11-10 | 乱読日記

昨日おとといと新幹線に乗っている時間が長かったので、いろんな本を読めました。

途中までだった子母澤寛『新選組遺聞』を読了。
これは『新選組始末記』につぐ子母澤寛の「新撰組三部作」の2冊目です(もう一冊『新選組物語』というのがあるのですが、それは未読)。

もともとは池波正太郎の『食卓の情景』で知りました。

子母沢氏が若きころ、多忙をきわめた新聞社勤務のかたわら、それこそ体力にものをいわせ、
「ときには、夜行で行き夜行で帰ってきたことも、何度かありました」
といわれるほどに京都へ通いつめ、新選組ゆかりの場所を綿密に調査されると共に、当時のことを知る〔生き残りの人びと〕を探して聞き書をとられ、およそ十年がかりで完成したのが名著〔新選組始末記〕である。

ここまで書かれたら読まないわけにはまいりません。


『新選組始末記』は出版が昭和3年です。
小説というよりは新選組についてのノン・フィクション、ドキュメンタリーに近い性格の本です。

これを読んで今までの新選組に関する小説やテレビドラマなどと大きくイメージが変ったのが沖田総司です。

・・・背の高い痩せた人物、肩がぐっと上り気味に張って、頬骨が高く、口が大きく、色は黒かったけれども、何処かこう、いうに云われぬ愛嬌があった。
(『新選組遺聞』)

・・・勇の来ない時には、きっと代わりに沖田総司がやって来た。しかしこの人は、自分の出来る割に、教え方が乱暴で、お負けになかなか短気であったから、門弟たちは勇よりはずっと恐ろしがっていた。
(『新選組始末記』)

「肺病で亡くなった天才剣士」というイメージから、大概は色白で優男として描かれることが多いのですが、実際は違ったようです(土方歳三のほうが男前で有名だったらしい。)。

病気だといっても何時も元気で、戯談(じょうだん)ばかり云っている。酒はいくらでも飲むが、酔ったような顔もしなかった。そして盃を持っている時の機嫌などは、本当に笑い上戸であった。


(鳥羽伏見の戦いから)江戸へ戻る富士山艦の中でも寝たきりであったが、他の病人達と相変わらず戯談口を利いて、笑ってばかりいた。
「笑うと後で咳が出るので閉口するな」
といったのを近藤が聞いて、
「あんなに死に対して悟りきった奴も珍しい」
と、後で、牛込廿騎町に自宅で妻のつね女に話したことがある。
(『新選組遺聞』)

僕としては、こちらの沖田総司のほうが好きです。

 












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