一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

今年もお世話になりました

2012-12-30 | よしなしごと

今年も拙ブログにお越しいただきありがとうございました。


今年は仕事が変わったことに伴い生活ペースも変わったため、更新も滞りがちになってしまいました。(言い訳)

エントリも本のレビューの割合が多かったのは、日常で拾った面白いが生だとちょっと、という話をブログネタに加工する知恵と時間と集中力が足りなかったのも一つの原因かと思います。(またまた言い訳+反省)
まとまった文章を書くのが億劫になったのはTwitterの影響もあるのかもしれません(または単に飲みすぎw)

来年はもう少し立ち止まって考える機会を作ったほうがいいかなと思ってます。


一方でgoo事務局にブログを止められるという稀有な経験もさせていただきました。
気がつくのが遅れたのは間抜けでしたけどが、復旧して無事に年末を迎えることができました。
(機会があればいつか御礼をしようと心の片隅で考えていますw)



来年が皆様にとってよりよい年でありますように!

 

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UZU~うず~

2012-12-27 | 飲んだり食べたり

期せずして安倍総理就任の日と重なりましたが、昭恵夫人経営の神田の居酒屋「UZU~うず~」へ。

場所は内神田の、皇居ジョギング愛好家の集まる銭湯の近く。
にぎやかな界隈からは離れて、ポツンとあります。

外観は凝ってはいないものの小じゃれた感じ

 


中はテーブル席が4つとカウンター5席。
カウンターの3席以外はいっぱいでした。

当然のことながら昭恵夫人は不在。

店員は若い男女。
男性はなぜか帽子をかぶっています。

メニューはカウンターの上にある黒板に書いてあります。
厨房の制約からか種類は多くありませんが、安倍総理の地元(選挙区)山口の食材のものなど
日本酒は全て山口のものですが種類は豊富。
「獺祭」「貴」「東洋美人」のほか「雁木」「山猿」「原田」(これらは初めてでした)など充実しています

ただ、料理はそれぞれ居酒屋メニューとしては普通においしいのですが、特筆すべきはポーションが小さいこと(値段は500~800円くらい)。
鍋があったのでそれを頼めばいいのでしょうが、酒のつまみでちびちびやろうとすると、意外と沢山注文することになります。
極め付けがこの「特上かまぼこ 1切れ600円也」

山葵も島根県産の有名なものらしいのですが、さすがにこうやって出てきたときにはちょっと引きましたw

2人で生ビール2杯日本酒5合+つまみで一人7000円くらいなので、居酒屋としてはちとお高め。
やはり歳出重視で財布の強靭化が求められるようです。

あと、今日は特に寒かったからかもしれませんが、ドアの下から外気が侵入してきて足元が寒かったのが残念でした。
新内閣成立直後なのですきま風には早すぎますね。


噂によれば、ファーストレディ(セカンド・タイムですが)になったので店は閉店してしまう予定とか。

駆け込みは今のうちかもしれません。

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『地域を豊かにする働き方』

2012-12-26 | 乱読日記

長年地域の産業振興に携わってきた研究者である著者が、東日本大震災の被災地復興の現場から、地域産業の復興へのポイントと課題を語ります。  

著者は「人の姿の見える地域」という単位の重要性を語ります。
「人の姿の見える地域」とは一つの地勢的、経済的、文化的まとまりをもった範囲で、人々が生まれ、育ち、暮らし、都会に出た人が戻ってくる単位を言います。
そこでの産業振興とは、500人、1000人という規模の工場を誘致する(それは現実的でない)のでなく、50~100人規模の地元企業や中堅・中小企業の拠点展開が重要で、それらの拠点と地元の人材との相互作用で産業を振興することで持続的な成長が可能になると説きます。

本書では、被災地でいち早く復旧した地元企業とそれらを支援する企業のネットワークの事例が紹介されています。  

著者は以前から地域経済の置かれていた厳しい現状とそのなかでの自律した取り組みの萌芽を知っているだけに、持続的な復興の難しさも承知のうえで、それに取り組むことが日本の将来にとっても重要だと言います。

 常日頃、私は周りにいる日本の若者たちに「現在、世界で最も熱い『現場』に身を置きなさい」と忠告しています。少し前までは、それはイコール中国の「現場」ということでした。
 (中略)
 現在、「世界で最も熱い『現場』」は東日本大震災の被災地なのです。そこに身を置き、暮らしとは何か、生きるとは何か、地域とは何かを考え、自らの進むべき道を見定め、そこに向かって行くことです。
 日本は戦後、思いもかけぬ経済的な成功を収めました。冷戦構造の中でアメリカの傘の下に身を置き、「若くて貧しかった」父親世代がひたすら「アメリカの背中を見て頑張る」という構図でした。汗の量がポイントであり、汗を多くかいた人が経済的に成功するあたかも「一次方程式」の時代でした。それは85年のプラザ合意の頃まで続きました。20世紀後半型の発展モデルというものでした。
 しかし、冷戦が終結し、バブル経済も崩壊した以降、日本は以前とは全く異なった枠組みの中にいます。 ・・・かつての「アメリカ」「若くて貧しい」という「一次方程式の時代」から「アジア」「豊かで、高齢」「IT」「環境」という四つのキーワードから構成される「連立方程式の時代」に踏み込んでいるのです。  
 しかも、この「連立方程式」は自分で作っていかなければならないのです。・・・この「問題発見」「連立方程式」に踏み込む場合、かつての単純な「一次方程式の時代」を生きてきた前の世代は対応できそうにありません。以前の成功体験が強すぎるのです。新たな「問題発見」をし、前例のない「連立方程式」を組み立て、それを解いていくのはバブル経済も経験していない新たな世代に違いありません。そして、そのきっかけになるのが「世界で最も熱い『現場』」ということになります。


私自身も、ここでいう「一次方程式」すなわち昭和のビジネスモデルの末端で恩恵を受けた世代でもあり、来年は、もっと若い人にチャンスを与えることに貢献せねばいかんなと思う年の瀬であります。



そして、実はより大きな問題は、著者の期待している20代、学生の世代でなく、もうすぐ40歳を迎える就職氷河期の世代だったり、バブル期に大量採用されて企業の中でポスト不足に直面している世代だったりするわけで、団塊の世代が逃げ切りをはかる中で、中間の我々の世代がどう身を処すかというのは、世代論としても、個人の生き方としても大事なんですよね。

 

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『史観 宰相論』

2012-12-25 | 乱読日記

文庫版解説の北岡伸一の言葉を借りると  

昭和の政治史については、清張の代表作は『昭和史発掘』であり、専門家から見ても、いまだに教えられることの多い傑作である。本書における昭和の宰相論は、この『昭和史発掘』を裏側から見るような観がある。

松本清張は推理小説、サスペンスのほかにも、歴史、特に近現代の政治・社会運動についての著作でも有名で、 特に『昭和史発掘』はそこで取り上げられている事件自体がすでに取り上げられることが少なくなっている中では貴重な本だと思います。  


松本清張は反権力、政治家・財界などの「巨悪を暴く」姿勢を一貫してきましたが、同時に小説で人間の欲、情念、コンプレックスなどを描いてきました。  

本書では大久保利通以後の明治の元勲から戦後の吉田茂までの宰相について触れられていますが、やはり清張流のメリハリをつけ、業績だけでなく、個人としてのアクの強さ、複雑な人格と人格形成に至る背景を持っている人により焦点をあてています。
そして随所にちりばめられている人物評が本書の魅力です。  
たとえば  

西郷は倒幕までは素晴らしかったが、維新となりその体制や組織が整うにつれあたかも痴呆症の如くになった。かれは破壊には強かったが、建設された組織の運用には弱かった。それもひっきょうは西郷が近代化についてゆけなかったからである。その点、西郷と毛沢東とは似ていると思う。--西郷隆盛論をするつもりはないが、「大久保宰相」論を云うためには、どうしても西郷を引き合いに出さねばならない。敢えて西郷鑽仰者流の美化に反することにする。  

当時の新聞・雑誌記事に加え、本人や関係者の日記などを丹念にあたり、意思決定プロセスだけでなく人間像を描き出す手法は、最後の評価の部分について清張の目が入ったとしても、説得力のあるものになっています。  


橋下市長についての週刊朝日記事などを思うと、こういう丁寧な仕事をする人が少なくなったなという別の感慨も持ってしまいます。
(佐野眞一氏も、人格形成に迫る手法は同じにしても、ダイエーの中内功を描いた『カリスマ』などの頃は良かったと思うのですが、どうしてしまったのでしょうね。)


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『日本政治の崩壊』または安倍内閣の課題

2012-12-17 | 乱読日記

自民党の圧勝という選挙結果をうけて安倍内閣発足ということになるわけですが、引き続き、本書の「新政権の外交課題」という前回の安倍内閣の発足時に書かれた評論(2006年10月8日 読売新聞掲載)から。

・・・(安倍)首相が祖父を深く尊敬していることは、よく知られている。安部外交が、どの程度、岸外交をモデルにしているのかまだわからないが、今後の安倍外交を考えるうえで、岸外交の出発を振り返ることは意義のあることだと考える。
 (中略)
 岸には、一方でタカ派のイメージがあり、他方で、「両岸」という言葉があるように、曖昧な態度で様子を見る日和見主義者というイメージがあったが、実際の行動から見る岸は、明確なヴィジョンをもち、実務的にこれを実行に移す、きわめて有能なリーダーだった。
 岸の行動から、どういう教訓が読み取れるだろうか。時代も環境も違うので、自明の教訓が出てくるわけではない。しかし、私は次の点に注目したいと思う。
 第一は、その実務的性格である。岸はイデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施し、外遊などの行動によって、その方向を示した。第二に、防衛力整備と対米協力が不可分であることを理解し、これを推進したことである。第三に、対米協調とアジアとの協調の関係である。アジアとの関係の強化が、対米関係強化につながり、また日本の独自性を維持するに資すること、そして対米関係の強化が対アジア関係の強化につながることを、岸は理解し、実践した。第四に、国連の重視である。アメリカとの関係を強化しつつ、独自性を維持するために、岸は国連に注目した。これらはいまなお注目するに足るポイントであるように思われる。
 安倍首相は所信表明演説で、アインシュタインの言葉を引用して、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心」を二一世紀に維持したいと述べた。結構なことである。よき伝統を維持することが保守の本質である。
 しかし、安倍首相に対して寄せられている懸念は、保守でなくて、復古反動ではないかというものである。そういう人たちに取り囲まれているではないかという懸念である。アインシュタインの言葉は、1922年のものである。しかし、満州事変以後の日本人が、そして日中戦争以後の日本人が、いわんや日米戦争期の日本人が、それほど「謙虚」で「静か」だったろうか。
 安倍首相の課題は、こうした懸念に応えて、彼が保守しようとしているものが、こうした時期の日本ではないこと、そして複雑な国際協調であることを示すことではないだろうか。その要素は、すでに所信表明演説の中にある。あとはこれを静かで着実な行動で示すことである。

最後の「しかし」以降は今回の選挙のときの安倍総裁に対しても妥当する指摘のように思います。

前回の首相だった2006年に比べ、外交では中国の存在感がより強まり、経済・財政問題もより厳しさを増し、さらに原発・エネルギー政策が加わる中では、謙虚で静かな心を持って「イデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施」することを期待したいと思います。
 

 

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『日本政治の崩壊』またはこの6年間のおさらい

2012-12-16 | 乱読日記

北岡伸一氏の2006年9月から2012年3月までの評論集。
ちょうど安倍内閣から福田→麻生→鳩山→菅→野田内閣までの間にあたります。

選挙に行く前に振り返りをかねてざっと目を通しました。

まえがきでのこの内閣の変遷がいいまとめになってます。

・・・しかし、小泉内閣は真の改革には取り組まなかったように思う。自民党の最も強い基盤である公共事業については、道路特定財源への切込みを一時考えたものの、すぐに断念してしまった。・・・いずれにせよ、小泉は自民党の崩壊過程を推し進めたが、再生にまで至ることはなかった。
 ・・・安倍首相にはリアリズムとイデオロギー的な保守主義が同居していた。また「戦後レジームからの脱却」という大きな目標を掲げながら、これを実施する態勢をもっていなかった。
 ・・・福田は近年まれにみる知性の持ち主だったが、周囲に首相を支える政治家があまりに少なかった。
 (中略)
 こうして2009年9月鳩山由紀夫内閣が成立した。・・・しかし民主党は、国民の高い期待に応えられなかった・・・
 民主党は野党として反対することは知っていても、与党として意見を集約して決定する経験に乏しかった。また、政治主導を標榜して官僚の行動を封じたため、さらに政治を麻痺させてしまった。・・・自民党モデルが崩壊し、いまだ民主党モデルがない状況で、政治は漂流せざるを得なかった。
 ・・・菅は日米同盟の堅持(普天間基地の移設の実現)、財政健全化(消費税増税)という方向をとり、その点で鳩山・小沢との反対の立場となった。しかし、菅の発言は一貫性に欠け、国民の信頼を得られず、民主党は七月の参議院選挙で敗れてしまった。自民党時代の衆参両院のねじれは、今度はまた逆転して続くことになった。
 (中略)
 東日本大震災は、日本の政治の弱点を直撃した。自民党時代から、日本は危機への対応を苦手としていた。首相の周辺に自衛官出身の秘書官がいないことに象徴されるように、非常時を想定しないのが、日本の政治なのである。しかも民主党になって、政治主導のもとで政治と官僚との関係は、きわめて疎遠となっていた。
 (中略)
 八月・・・野田佳彦が代表・首相に選ばれた。ここに、ようやく民主党は日本が抱える大きな課題に前向きに取り組み始めたように感じられる。野田首相はTPP(環太平洋経済連携協定)協議参加を決断し、社会保障と税の一体改革に取り組んでいる。
 (中略)
 野田内閣は野党の協力を得て前進できるだろうか。もしできなければ、既成政治勢力は外部の厳しい批判にさらされるだろう。一つはマーケットの攻撃により、国債が暴落する可能性である。もう一つは、橋下徹大阪市長の率いる「維新の会」などの新しい勢力の急速な台頭である。それは別に日本の終わりを意味するわけではないが、大きな痛みを伴う大変革になるだろう。 

このまえがきは今年の3月に書かれたのものですが、その後消費税法案は成立し、社会保障とTPPはこれから(?)という状態で、今回の総選挙になったわけです。

こんなことを振り返りつつ、投票に。



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『ケインズはこう言った』

2012-12-04 | 乱読日記

本書はいわゆるケインジアンの主張ではなく、「多様で複雑な 現実を念頭に置きながら、政策の効果が実際にどうなるかを論じる」 ケインズだったら今の日本経済をどうとらえただろう、という切り口の本。

帯に「これがケインズの経済学だ!」とありますが、ケインズ以外についても言及している奥行きの広い本になっています。  

逆にケインズ以外のところが面白く、今の新自由主義者の主張はハイエクの主張とは異なるという説明なども興味深く読めます。  

ハイエクは、政府よりも市場の方が経済的に効率的だからという理由で、「民間にできることは民間に委ねればよい」とは言わなかった。 また、規制や保護よりも「自由な市場にまかせるほうが高い成長を実現できるから競争は望ましい」とも言わなかった。
・・・いかなる人間知性であろうとも社会の運行を司る知識をすべて理解することはできない。だから、人間の裁量的な判断(政府) に依存しない自生的なルールに基づく、非人格的なメカニズム(市場)が必要だ。−−これがハイエクの主張である。  
・・・何が最適な生産技術であり、どのような価格が需要と供給を均衡(一致)させるかを誰も知らないから、それを見つけるために 情報を普及させることが競争の意義だ。−−これがハイエクの意見である。

 ハイエクの唱えた真の新自由主義と、偽りの「新自由主義」との間には大きな違いがある。「政府は非効率、民間は効率」というドグマ(独善) によって、市民の安全や安心を守ってきた規制や保護まで撤廃したり、あらゆる分野において自由化や民営化を進めたりすることに 経済学的な根拠も、また社会的な正当性も一切存在しない。

さて、本題。  

著者は現在の日本はケインズが言う非自発的失業でなく、逆に古典派の言う均衡賃金以下で 働くことを選択せざるを得ない「非自発的雇用」が存在する状態だと主張します。


その理由を解き明かすために、本書はケインズやハイエクだけなくマルクスにまで遡ります。  

 使用価値が異なる二つの商品の価値が等しくなる理由を、マルクス以前(ケインズの時代よりもさらに古い時代) の古典派は、一台の机と二個のイスに投入されている労働の量が等しいからだと説明した。 ところが、マルクスは逆に一台の机と二個のイスが市場で等しい価値を持つ商品として交換される結果として、 両者に投入された抽象的な労働の量は等しい関係になると喝破したのである。
 ここで一台の机を人間の労働力に、二個のイスを賃金に置き換えてマルクスの「商品」の理論を適用すれば、 賃金と交換される労働力の価値は、その労働力を再生産するために必要な貨幣の価値と等しいのではなく、 実際に支払われた賃金の価値が結果的に労働力の価値に等しいと結果的に評価されたことになる。  

 つまり、マルクスにしたがえば、非自発的雇用とは労働の苦痛よりも賃金の方が低い状態ではなく、 企業が労働力の価値を、雇用者が実感する苦痛よりも低く評価する状態なのである。  

そして、企業が労働力の価値を再生産可能な水準よりも低く評価する自由を得ている状態では、 「自発的雇用」はゼロ金利でも、財政支出でも解決できない、と言います。  

私たちはここで岐路に立つ。なお、成長の可能性に雇用の安定と暮らしの安心を求めるのか、 それとも成長に固執せず働く機会の確保と暮らしの安心を求めるのか。  

そして著者は、非自発的雇用の解決には経済成長を目指すよりも法定労働時間数の大幅な短縮などにより人為的に労働需給の逼迫を作り出す ことが有効だと主張します。

その分析には納得する部分もありますが、企業活動がグローバル化している現状では、一国だけで「人為的に労働需給の逼迫を作り出す」 ことが可能なのかどうか、賃金の安い国の労働者に職を奪われる(著者流に言えば、企業が賃金の安い国の労働者と同等の評価をする) という状態が問題の深刻なところなのではないかと思います。

 そのあたりは新書版としての本書の問題提起のつぎにくるものと期待したいですと思います。


 

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静かな日曜

2012-12-02 | まつりごと

今週末は街頭演説もなく静かな週末でした。

先週聞いた公職選挙法のトリビアですが、都知事選挙の告示後、衆議院総選挙の告示までの期間は政治活動が制限されるので、衆議院議員に立候補を予定している人の街頭演説などはできないのだそうです。

公職選挙法を見てみると、確かに

(都道府県知事又は市長の選挙における政治活動の規制)
第二百一条の九  政党その他の政治活動を行う団体は、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラの頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、都道府県知事又は市長の選挙の行われる区域においてその選挙の期日の告示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。ただし、政党その他の政治団体で所属候補者又は支援候補者・・・を有するものが、次の各号に掲げる政治活動につき、その選挙の期日の告示の日から選挙の期日の前日までの間、当該各号の規定によりする場合は、この限りでない。
 
という規定があります。
候補者を有する政党についても例によって細かい規制があるので、衆議院選挙に割く余力はないということでしょう。
ちなみに「次の各号」とはこんな感じ。
 
 政談演説会の開催については、都道府県知事の選挙にあつては衆議院(小選挙区選出)議員の選挙区ごとに一回、市長の選挙にあつては当該選挙の行われる区域につき二回
 街頭政談演説の開催については、第三号の規定により使用する自動車で停止しているものの車上及びその周囲
三  政策の普及宣伝及び演説の告知のための自動車の使用については、政党その他の政治団体の本部及び支部を通じて一台
三の二  政策の普及宣伝及び演説の告知のための拡声機の使用については、政談演説会の会場、街頭政談演説(政談演説を含む。)の場所及び前号の規定により使用する自動車の車上
 ポスターの掲示については、都道府県知事の選挙にあつては衆議院(小選挙区選出)議員の一選挙区ごとに、長さ八十五センチメートル、幅六十センチメートル以内のもの五百枚以内、市長の選挙にあつては当該選挙の行われる区域につき、長さ八十五センチメートル、幅六十センチメートル以内のもの千枚以内
 立札及び看板の類の掲示については
 その開催する政談演説会の告知のために使用するもの(一の政談演説会ごとに、立札及び看板の類を通じて五以内)及びその会場内で使用するもの
 第三号の規定により使用する自動車に取り付けて使用するもの
 ビラの頒布(散布を除く。)については、当該選挙に関する事務を管理する選挙管理委員会に届け出たもの二種類以内
 
衆議院総選挙の告示は12月4日、投票日16日、その後はクリスマス、年末となるので、年内最後の静かな週末だったのかもしれません。

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