一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

エド・マクベイン『最後の旋律』

2014-12-31 | 乱読日記

エド・マクベイン「87分署シリーズ」の最後の作品で、遺作でもある。


87分署シリーズは大学生の時に出会ったのだが、そもそも第一作が1956年と自分の生まれる前であり、その時点で既に30冊以上あった。
ハヤカワミステリ文庫(今はハヤカワHM文庫)になっていた旧作を一気読みして、それ以来新刊で出るハヤカワミステリ(小口と天地が黄色いやつ)を都度買っていた。

エド・マクベインは2005年に亡くなり、本書の刊行は2006年。名残惜しい感じがして購入してから今までずっと読まずにいた。
今回年末休みで「一気レビュー」するにあたり、大トリにふさわしいであろうと、昨晩一気に読んだ。


87分署シリーズは、ニューヨークをモデルにした架空の都市「アイソラ」を舞台にした警察小説。
複数の事件が同時進行する構成のうまさに加え、その時代を反映した事件や背景、刑事たちの人生・恋愛模様という横糸も魅力となっていた。
特に黒人・白人・ヒスパニックだけでなく多様な宗教・オリジンを持つ人々が生活する様子を、ちょっときつめのユーモアを交えて描くのがマクベインの真骨頂であり、毎回新しいが安心できる熟練技を見せてもらっていた。

本作は犯人が末期がんに侵されている、という設定になっている。ちょうどこれはマクベインが2004年に癌の手術をした後の作品になり、訳者の解説によれば次回作とシリーズ最終作の構想もあったようだが、ある程度は遺作となることを意識していたのかもしれない。

今回は87分署の刑事部屋の面々だけでなくよく登場する他の署の刑事や恋人など主要登場人物がもれなく顔を出している(たまに1,2名欠けることがある)のもその理由。
特に87分署の刑事の古株で主人公キャレラの相棒であるマイヤー・マイヤー(いかにもユダヤ系の名前と禿頭の風貌も含め、ユダヤ人ネタには欠かせないキャラでもある)が、ずっと出てこないと思ったら最後の犯人逮捕のシーンに2行だけ登場する。

そのシーン

・・・チャールズ(犯人)が素早くベッドの脇のテーブルに置いてあったグロックに手を伸ばした。
「触るな、禿げ」マイヤーが叫んだ。
自分のことは棚に上げてよく言ったものだ。

「いきなり出てきてこれかよ」と、深夜に思わず吹いてしまった。

このセリフを言わせるためだけに最後に登場させて、全員登場を完成させるとは、最後の最後までサービス精神旺盛な人でした。


改めて合掌。





では皆様、良いお年を。


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『なぜローカル経済から日本は甦るのか』

2014-12-31 | 乱読日記

従来日本の経済政策はグローバル企業を中心に考えられていたが、日本経済全体にグローバル経済でのプレイヤーの占有率は3割程度、雇用にいたっては2割程度に過ぎない。残り7割のローカル経済圏が復活してこそ、日本経済は成長軌道に乗ることができる。そのためにはグローバル経済のプレイヤー(Gの世界)への施策とローカル経済(Lの世界)への施策を分けて共に進めなければならない、という主張。

グローバル企業の業績が良くなってもトリクルダウンは起きない、Lの世界はサービス業が中心のため規模の経済よりは「密度の経済」が働く、など、Gの世界とLの世界の特性とそれぞれに必要な施策を整理している。

Gの世界とLの世界の比較対照表はこちら。

著者はGの世界とLの世界には優劣はなく、選択の問題だという。

そしてGの世界で日本が勝ち抜くには、より熾烈な競争に生き残るべく企業統治や雇用関係も見直す必要があると説く。
個人としてもリスクを取って頂点を目指す人材が求められるので、今までのように大企業に就職すれば安泰、という選択肢はなくなるわけだ。
なので、「普通にできる」人にとってはまさに選択の問題になる。

そして、Lの世界では労働生産性がポイントになり、労働生産性の低い古い企業が退場し、新しい企業が参入できるしくみが必要だと説く。

つまり企業も長期的にはGの世界で勝負するかLの世界で勝負するかが問われるし、それぞれの世界でがんばらないといけない。この、常に尻をたたき続けるところが冨山節の聞かせどころである。


ご指摘の通りだと思う。

現在はGの規律とLの規律が混在していて、企業経営者も従業員も「いいとこどり」をしているがそれは長期的には成り立たないよ、というのはその通りだと思う。
かといって、大企業がすぐに舵を(特にGの方に)切れるかというとそこは慣性が働くので難しいというのも、日本経済の課題の一つである。
個人的には大量のリテール店舗と人員を持った「メガバンク」という存在がどうなるのか興味がある(本書では一応Gの世界に入っていたが)。

実家がベタなLの世界の町工場だったので、本書でいうLの世界では雇用の流動性が高い云々は認識していたし、またLの世界では一律給料が安いかというと、自営業者や歩合の営業マンは下手な大企業のサラリーマンより羽振りがいいのも知っているので、Gの世界とLの世界は選択の問題であるというのも理解できる。
ただ、Lの世界の問題は、同族での事業承継にこだわる経営者が多く、新陳代謝が行われにくいという点。筆者はここについては地方金融機関のデットガバナンスに期待しているがここもハードルがけっこう高そうではある。

ただ、今の日本は既得権の賞味期限が見えつつあるので、変われるチャンスかもしれないとも期待している。

 

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『限界集落の真実』

2014-12-31 | 乱読日記
『しなやかな日本列島のつくりかた』に登場していた社会学者の山下祐介氏の本

著者は、弘前大学時代に限界集落についてのフィールドワークを行い、限界集落が予想以上に消滅せずに残っていることに気づき、その理由を探る。

限界集落といっても、集落の人数と年齢構成だけを見れば消滅の危機に瀕しているが、実態は集落を出た子ども達が車で1時間程度の都市に居住していて、頻繁に実家に顔を出している。そして何人かは定年後を実家で暮らすことを選ぶ。
このように限界集落は親族を含めたより広い範囲でのつながりを考えると、その持続可能性は意外と高い。
また、もともと人数の少ない集落では人の結びつきが強く、人数が少ないだけ若い人(といっても定年近い人も含めて)が1世帯戻るだけでも地域へのインパクトがあり、地域再生の主体になりうる。

一方で、著者は本当に地域再生が難しいのは大都市だと指摘する。

大都市郊外の住宅団地は、ほとんどが都心に通勤しているため暮らしの中の相互作用が少なく、コミュニティも形成されていない。当然自治体の職員との交流もない。
こういうところは地方よりも「村であろうとする力」「町であろうとする力」が弱く、高齢化や人口減少に直面した時に耐性が弱い。

確かに都市部では自給自足も難しく、病気などで現金収入が減り、移動に支障出た途端に高齢者は孤立化してしまう。それを行政サービスで補うとしても、郊外の団地で軒並み高齢化が進み、税収の伸びも期待できないところでは難しい。

今後も地方の「限界集落」は何と言われようと自分たちの暮らしを維持できている反面、都市部の限界団地は行政のサポートを声高に言い出すとしたら、将来的には現在の都市住民の地方へのバラマキ批判と逆のことが起きるかもしれない。




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『しなやかな日本列島のつくりかた』

2014-12-31 | 乱読日記

『里山資本主義』の藻谷浩介氏の、地域経済の活性化の活動をしている「現智の人」7人との対談集。
そのうちの二人、神門善久氏の『日本農業への正しい絶望法』と村上智彦氏の『医療にたかるな』は既読だったので、ちょっと損した感じもしたが、読み直した+αと思えばいいか。

対談集なので個別のエピソードはいろいろ面白かったが、代表的なものを2点。

その1 地域プランナー山田桂一郎氏との「『観光地』は脱B級思考で強くなる」から
(山田氏はスイスのツェルマットで25年以上観光事業や観光局のマーケティングに携わってきた)

  • 「早くアクセスできたほうがお客さんは増えるに決まっている」「人がたくさん来た方がもうかるに決まっている」と日本の観光地でよく聞くが」、納得できる根拠は聞いたことがない。
  • 日本はどこの地域でも「入込数(宿泊・日帰りを区別しない単純な来訪者数)」を重要視するが、ヨーロッパの観光統計はすべて延べ宿泊数が基本 ・観光バスでどっと乗り付けてすぐ立ち去る団体客がいくら増えたところで、本当の意味で地域は潤わない。
  • 日本の観光地がダメになった原因の一つは「一見さん」を効率よく回すことだけを考え、リピーターを増やすことを長く怠ってきたことにあるのではないか。
  • 観光地として一番重要なのは、顧客満足度とリピート率。これらを上げれば、お客様一人あたりの消費額も自然と上がる。

これはおととい書いた白川郷と高山の対比でも実感できる。
政府や観光庁は昨年「訪日観光客1000万人突破」で大喜びし、次は2000万人と言っているが、島国で空港のキャパシティがボトルネックになる日本では、より入込数より延べ宿泊数や消費単価を上げることの方が重要に思うのだが。


その2 経済学者宇都宮浄人氏との「『赤字鉄道』はなぜ廃止してはいけないか」から

  • 車が来れば客が来るという思い込みは誤りで、郊外でも中心地でも車を降りて歩く人が増えないと店の売り上げは増えない。
  • 道路にかかる費用は路面の面積に比例する。過疎地の一車線の道路より都市近郊の4車線で街路樹・歩道つきの道路の方が、舗装のし直し、路面の清掃・除雪、街路樹の剪定などはるかに金がかかる。
  • 鉄道は道路に比べると通行人員あたりの使用面積が狭く、しかもレールは摩耗に強いので維持費も安い。
  • 日本はたまたま20世紀に鉄道で成功してしまったから「鉄道事業は儲かるものである=設けないかぎりは無駄である」という意識が生まれてしまった。一方で道路は公共事業として維持費も含めた議論がなされない。

確かに「赤字路線廃止」とか「新路線は採算に乗らない」という批判はあるものの、代替交通手段のバスについて、道路整備・維持管理のコストまで含めたイコールフッティングの議論がされていない。
2020東京五輪の選手村などもバスのアクセスを前提にしているようだが、五輪後を考えると、湾岸地区の交通インフラがゆりかもめとバス、というのは相当弱い感じがする。

ただそれには、まず国土交通省の中で鉄道局(旧運輸省)と道路局(旧建設省)が仲良くするところから始める必要がありそうだし、東京の湾岸部は東京都港湾局(ゆりかもめ)と交通局(都バス)が仲良くするところから始めないといけない。

先は長そうだ。

 

 

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『税金を払わない巨大企業』

2014-12-31 | 乱読日記

そもそも変だし議論も生産的でない。
レビューを書くのも時間の無駄っぽいが、読んだ本の在庫一掃をするといった以上書くことにする。

趣旨は表題の通りで、

  • 日本の税制は大企業や資産家層に対する優遇税制や税金逃れができる欠陥が多い。
  • 現に大企業の中にはほとんど法人税を払っていない企業もある。
  • しかも企業のグローバル化が進む中で税制が空洞化し財政赤字の原因になっている。
  • 国民はそのツケを消費増税という形で払わされている。
  • (そういう中で法人税率を下げるなどはもってのほか)

ということをおっしゃりたいようだ。

冒頭、日本の大企業の実効税率が低い、ということを調査してまとめている。
で、ここからして、連結納税をしていない親会社・持ち株会社の税金だけを議論していて、グループの単体ベースの納税額の合計についての数字がないのであれ?となる。

そして、受取配当金の益金不算入に関して、  

このようにして、企業グループ内の各企業が、株式を保有しあえば、各企業の利益による配当金を、グループ内の企業でほとんど税金を支払わずに内部留保することも可能になります。

と言う。
海外子会社が現地で支払う法人税との二重課税の問題と、意図的に低税率国を経由する税源浸食や移転価格問題とごっちゃにしているし、国内だけでもそんなうまい話があるように書いている(ならみんなやっているはず)。

挙句の果てに、最近の企業は税金を払わない代わりに配当が多い、と文句を言っている。

バブル崩壊と「失われた10年」以降は、日本企業も、短期により多くの利益を求めるアメリカ型経営への傾斜と、株主重視の傾向が急速に強まってきています。その現象として「配当性向の増大」によって株主への配当金の大幅な増額が行われる一方で「労働分配率の減少」が進行し、非正規雇用といわれる派遣労働者や契約労働者、パート従業員などの給与水準が低下しています。

本書全体を通じて、著者は、「既存の法人税のシステムを所与にして、企業はその本旨に従ってきちんと税金を納めるべき」という論を展開しているように感じられる。

高度経済成長期には、低い配当や税制優遇や雇用関係においてはメンバーシップ型雇用制度や退職金制度(この点については『日本の雇用と労働法』に詳しい)などによって、利益を再投資に回し収益を拡大してきた。

一方で現在は金融の国際化で株主構成も変化し、個人金融資産も1500兆円に達する中で上場企業の株主還元への要求も強くなっている。また、経済成長の結果円が強くなり、国内生産コストの優位性が失われたために海外への生産拠点の展開が進み、企業への課税関係も国を越えた複雑なものになっている。さらに、雇用関係もバブル崩壊以降の極端な非正規化から少子化を前に新しいシステムの模索が始まっている。
税についてもBEPS(税源浸食と利益移転)について、ルール作りの議論がされている。

そういう中で、企業の収益を株主と従業員と国(税金)と再投資にどのように配分すべきかを議論するならともかくこれでは単なる床屋談義である。

 そもそも議論すべきは「日本企業にその全体の企業活動に対していかに日本国への税金を納めさせる」のではなく、「日本で(に関係して)企業活動を行っている世界中の企業にいかに日本国に税金を納めさせるか」逆にいえば「日本国に税金を納めてもいいと世界中の企業が思うような市場であり税をはじめとした制度をどう作るか」という議論が大事なのではないか。


著者のように現在の法人税制度を墨守し、その前提と違う企業行動は税制の欠陥か不当な行為だ、と怒っているだけでは、何も始まらないと思う。

 

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『0(ゼロ)葬--あっさり死ぬ』

2014-12-30 | 乱読日記

現在の葬儀や墓の維持は金がかかりすぎる、という現実を、制度・規制や最近の「定額制」などの動きから、そもそも現在の葬式仏教の成立まで遡り、最後は自然葬や火葬場で遺骨を引き取らない「0葬」を提唱している。

戦後次男三男で東京に出てきた世代が自分の墓を確保することで墓地の需要は増え続けてきたのだろうが、長寿化が進む一方で少子化や離婚・再婚の増加など、自分の墓は後の世代にとってどのような意味を持つのだろうかと考える高齢者も多くなってきたことから、現在は簡易な葬式や墓を求める流れがあるように思う。

本書によると現在の葬式仏教はつぎのような由来がある。

  • 本来インド仏教の輪廻転生とは異なる「死後に西方極楽浄土に生まれ変わる」という中国で生まれた浄土教信仰が日本に伝わった。それが平安期の末法思想や鎌倉仏教の念仏信仰に発展する中で(本来悟りを開くことが重視されてきた)仏教が死と結びつけて考えられるようになってきた。
  • その中で仏教式の葬式を編み出したのは曹洞宗で道元とともに二大宗祖とされる螢山紹瑾で、修業途中で亡くなった雲水の葬儀の方法を俗人の葬儀に応用する道を開いた。これが他の禅宗である臨済宗だけでなく天台宗、真言宗、浄土真宗などにも広まった(ただ、日蓮宗と浄土真宗は曹洞宗式の葬儀を受け継いではいない)。
  • 曹洞宗式の葬儀の特徴は、死者をいったん僧侶にしたうえで葬る--死者を剃髪して出家したことにし、そのうえで戒を授け、戒名を与えること。
  • 江戸時代に入ると幕府は寺請け制度を設け、それぞれの家が必ず地域の檀家になることを強制した。これによって、葬儀は必ずその寺で行うようになった。
  • 位牌という習俗はもともとは儒教の信仰に由来する。仏教は釈迦が出家したように元来は家を否定し世俗の世界から離脱することを奨励する宗教だったが、中国を経て祖先崇拝の教えが入り込んできたもの。

著者は、仏教式の葬式は単なる形式をそろえるための道具であり、そこに宗教的的価値を見出している人は少ない、つまり、葬儀社がつれてきた初対面の「導師」にお布施を払って葬儀を「主宰していただく」ことで故人が成仏するとは考えていない、と主張する。

葬儀はその多くが急に起きるので、遺族・喪主としては「とりあえず余計なことは考えずに形を整えたい」という発想が働く。 しかし葬儀はさておき、墓となると自分の子ども以降の世代をイメージせざるを得ないし、単身者にとっては維持自体が課題になる。
葬儀も長生きすればするほど友人・知人・親戚は先に逝ってしまい、参列者は子ども達くらいになる。
そこで葬祭場での通夜・告別式、という葬儀までは必要なのかという疑問も起きる。 なので最近「終活」が流行っているのであろう。


本書では「0葬」以外の選択肢もいろいろ提示しているので、考えてみるいい機会にはなった。


途中から著者が会長を勤める「葬送の自由をすすめる会」の宣伝っぽくなってくるが、表紙の著者の肩書にも小さくではあるが書いてあるので文句も言えまい。

著者は同旨の本を何冊か書いているようなので、関心がある人は1冊読めばとりあえずは十分だと思う。

 

 

 

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『働き方の教科書』

2014-12-30 | 乱読日記

ライフネット生命の出口治明氏は今さら紹介の必要はないだろう。
「『無敵の50代』になるための仕事と人生の基本」という副題も説得力がある。

おおざっぱに言えば

  • リスクはリアルに認識すればコストとして計測可能になる。
  • 50代になれば様々なリスク-たとえば教育費や住宅ローン、アップサイドでは今の会社でどこまで偉くなれるか-がコストとして認識できるようになる。
  • 一方で人生はトレードオフで、「あれもこれも」を求めてもうまくいかないし、そもそも「思い通りに行く」ということはほとんどない、ということがわかってくるのが50代。
  • 一方で人生にはチャンスはそれほど多くない。
  • 起業について言えば、「目利き」と「お金」が重要だが、50代は前者は過去の経験から、後者は今までの人間関係から得ることができる分かえって若者より有利なくらいだ。

という50代へのエールと、若者世代へのエールを送っている。


まさにそのとおりだと思う。


そして「中高年は組織にしがみついていてもグローバル化の波の中で淘汰されてしまうぞ」という北風アプローチよりも、自分のようなオッサンの目を開かせるには効果があると思う。

(でも、「そのとおり」と言いながら年末ジャンボを買ってしまった自分がいるのだが・・・)

 

 

 

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『ワルの外交』

2014-12-29 | 乱読日記

著者はロシア大使館公使、ウズベキスタン・タジキスタン大使を歴任した外交官。
一度講演を聞いたことがあるのだが、澄ましたところがなく歯に衣着せぬトークが面白かったので本書を購入。

最近題名は編集者が営業を考えてつけることが多いが、「ワルの外交」というタイトルは著者がつけたらしい。

そのココロはまえがきに書いてある。

・・・この本は二つのことを提案する。一つは、日本人はもっと「ワル」になって、巧妙・老獪な広報・宣伝合戦を展開していこう、ということ。そしてもう一つは、この世界を動かすものは高邁な理念とか理想より赤裸々な利益であることを肝に銘じて、高邁な理念のウラに隠れた真実の動きを見極めてから行動しよう、ということである。
 これは、日本の政府に提言したものではない。普通の人たちに提言したものである。というのは、韓国や中国と歴史問題で口論するにしても、慰安婦は強制連行されたかどうか、あるいは南京で虐殺されたのは30万人なのか1万人なのかというような議論は、日本国内ではよくしておく必要があるけれど、これをアメリカとか西欧とかの第三国でやると、「慰安婦」「虐殺」という言葉が先に立って、日本のイメージをかえって下げる。第三国で広報をやるのだったら、もっと別のやり方がある、それはどんなやり方か、というのが一つ。
 そしてもう一つは、国際情勢の中で日本が置かれた真の状況を見極めるノウハウを持っていないと、戦前、満州事変をきっかけに過度の国家主義に傾き、壊滅的な戦争を招いた過ちをまた犯す、国際情勢の真相、歩留まりを見極めるには何に気をつけたらいいか、ということである。ワルの外交、ワルの視点とでも言おうか。

本文にはいろいろなエピソードがちりばめられていて非常に面白い。

外交というのは首脳対首脳(または外交官対外交官)というような1対1の交渉ではなく、それぞれの当事者が本国の期待や周辺国の思惑を意識しながら行うもので、しかもそれぞれの国や状況によって交渉当事者と政治家・官僚・国民との関係や国内の利害対立の状況も異なるし、関係国の利害も異なる。
そのような状況で、建前を主張しつつ実利を得て、しかも将来に禍根を残さないためには、著者が言う「ワル」-現実的で冷静に考え実利を取る-姿勢が重要ということなのだと思う。

一方で日本人は「一騎打ち」が好きなのか、報道や我々の関心も「交渉に勝ったか負けたか」「どこで譲歩したか」というところが中心になりがちのような気がする。
TPP交渉でも「フロマンUSTR代表vs甘利大臣」という構図がクローズアップされたり、それが進展しなければ「オバマvs安倍」という話に持っていきたがる。しかし条約は国会での批准が必要であり、当事者もそこの落としどころを見ながらの交渉になる。その交渉の途中で「勝った負けた」といちいち騒ぎ立てられたり、経済界から念仏のように「TPP早期成立」が唱えられる状況があると、それらも交渉の1要素として「形を整える」ことを実利より優先する方向に動いてしまうかもしれない。
なので、国民も外交に対しては単純に熱くなってはだめだよ、と本書は言っているように思う。

 

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『ニッポン景観論』

2014-12-29 | 乱読日記
続けて「ガイジン本」

古美術品や書そして古民家再生や景観コンサルティングなど幅広く行っている「日本文化研究家」アレックス・カー氏(Websiteはこちら)が日本の都市・観光地・公共工事が景観をいかに藝術的なまでに損なっているかを豊富な写真を交えながら訴えた本。

数年前に同氏の講演を聞いたがその内容を発展させた感じ。

観光地の無遠慮な看板や禁止サイン、景観をあえて破壊するような無骨な土木工事、どこも同じな地方中核都市の駅前(特に新幹線停車駅のペデストリアンデッキとか)などはまったく同感。


観光地についてはインバウンド観光客が今年は1300万人に達しようという勢いの割には現地が追い付いてきていないところも多い。

本書でも取り上げられている白川郷は、世界遺産効果もあり年間約140万人にものぼるが、平均滞在時間は40分に過ぎない。これは大型観光バスによる観光ツアーに特化してしまった弊害だと著者は指摘する。


実際白川郷は高速道路のインターチェンジが近いため、高山から富山・能登半島に抜ける「ドラゴンルート」の通過点になってしまっている。

これが一般の白川郷のイメージだと思うが



車で来ると村の入り口に巨大な駐車場ができていて、バスが頻繁に出入りしている。



しかも、なぜか駐車場の外側のアプローチ道路沿いに1件だけ合掌造りの家が残っていて、そこが蕎麦屋を営業している。そして、駐車場に行く車をいちいち止めては「食事をしたら駐車料金無料にするよ」と個別に客引きをしている。
日本人の自家用車客対象だろうが出だしから気持ちがくじかれる。

世界遺産になると難しいのかもしれないが、駐車場を作るときに移設などは出来なかったのだろうか?

さらに、集落の中も土産物屋はどこも同じようなものを売っていて商品も個性がないし、重要文化財の建物は個別に入場料を取っていて煩雑。
どうも住民同士が共同して盛り上げようというよりは世界遺産に指定されたのがゴールになってしまっている感じがした。

リピーターはあまり期待できないのではないか。


対照的に近く高山市は観光地として歴史があるにもかかわらず、「昭和の観光地」にとどまらず真っ当である。

言ってしまえばもともと高山市は古い町並みと祭りくらいしかコンテンツがないのだが、そこをきっちりと磨き上げている。




町並みは非常にきれいで整備されているだけでなく、商店もそれぞれ個性のある品物を扱っている。
もともと江戸時代は材木の産地で天領として産業・文化が栄えたこともあるのであろうが、スイーツもオリジナルの店も多く、数ある酒蔵ではそれぞれ試飲コーナーが用意されている。




日本の観光地だってやればできるのであり、また、きっちり魅力を磨いているところも増えている。
著者も四国の山奥の古民家再生などでそれを実証しているし、観光業は21世紀の基幹産業になると唱えている。

本書は日本の観光業や街づくりへのエールととらえたい。
(ウエブサイトを見ると、カー氏の活動拠点が最近タイに移っているのが気になりますがw)



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『ニッポン社会入門』

2014-12-29 | 乱読日記
この手の「ガイジンの見た日本」本の中ではかなり面白い。

今までの多くの本は、「ガイジン目線」で「日本はここが特殊だ」という切り口で日本社会を評論しているものが多かったのに対し、日本に留学しその後英国メディアの日本特派員として仕事をしていた著者が、「日本に適応しようとする自分」「日本を知らない友人に日本を教える自分」「日本に初めてくる友人の反応を楽しむ自分」「日本に適応して英国人に/から違和感を持つ/持たれるようになった自分」という視点から日本社会(と自分)を描くという本書のスタンスによるところが大きいと思う。

たぶんこの視点は日本人が外国に適用しようとするときにも有効だと思う。

読み比べるのも面白いと英語版も購入したのだが、読む暇がないのが残念。



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『反転する福祉国家』

2014-12-28 | 乱読日記
本書は「オランダモデルの光と影」という副題で、1990年代から雇用・福祉改革を進め、その成功例として国際的な注目を浴びているオランダが同時に、近年の反イスラム感情の高まりとともに「移民排除」と「移民統合(同化)」へと移民・難民政策を転換している状況を描いている。

本書はオランダの政治体制の歴史から説き起こしており、事例紹介だけでなく、社会福祉制度は往々にして「○○モデル」同志の優劣が論じられるが、どこの国にも社会福祉の「理想形」というものはなく、それぞれの国の歴史と政治過程の中で築きあげられてきたもので、それだけ形だけ導入することは難しいという当たり前のことを改めて理解することができる。

たとえば
・オランダの雇用保障
オランダの制度は解雇制限や生活保護などが手厚い半面、保障受給者に対する就労義務は厳しく、受給者は原則として(「切迫した事情」を立証しない限り)全員求職義務を課せられ、あっせんされた仕事が「一般に受け入れられている労働」(売春などの違法な労働や最低賃金を下回る労働以外)である限りこれを拒むことができない。

言われてみれば日本の雇用保険制度やハローワークの業務は失業保険の給付に重点を置かれ、職業紹介も「紹介」(=マッチング)にとどまっているように思う(伝聞だが)。
「紹介する以上働け」というくらいのものがあってもいいし、その方が失業保険の財政も健全化されるように思う。
同時に「ブラック」な、労働法制を守らない企業を厳しく取り締まらないといけないが。


・パートタイム労働
パートタイム労働者の権利はフルタイム労働者と完全に一緒で、いわば「短時間労働正社員」といえる。
一方オランダは従来女性は家事労働に従事するのが当然という風潮があった。1960年代からは社会意識の変化や労働需要によりパートタイムは増えたが、現在でも女性はパートタイム労働、男性はフルタイム労働が多いという傾向がある。これは保育支援が北欧諸国に比べて整備が遅れている(1990年代から取り組み始めた)というのも一つの理由。

欧米は女性の社会参加が進んでいるかというと、それはお国柄によるようだ。
日本で「正規」「非正規」の区別が問題になっていて、有期雇用・雇止めの可否の違いが問題になっているが、まずは年金や社会保険などの権利を同一にすること(そして退職金優遇税制などの長期勤続者への優遇制度がなければ)が先のような気がする。
そうすれば解雇規制以前に雇用の流動化が促進されるのではないか。


・移民
2000年代から移民の制限(「オランダ化」の試験の義務付けなど)が行われ、かつての移民大国は政策を大きく転換した。また、難民の受け入れもハードルを高くしている。
2010年で滞在許可者は56,000人(これは日本とほぼ同じ)ちなみにそのうち「知識移民」(いわゆる高度人材、これは積極的に受け入れている)は一割強の5900人
最近移民の制限はオランダやデンマークの様な福祉国家で生じているこれらの国家では女性や高齢者・失業者などへの保護を手厚くする一方で移民や難民を外部者として排除するという動きが進んでいる。
これは権利の前提として社会への「参加」が求められる福祉社会においては「参加」という責任を果たすものにのみその構成員となることが許される、という制度の性格の変質があるのではないか、と著者は分析している。

日本でも国際競争力の強化を目標に高度人材の流入を促進しようとしていますが、少子化対策としては「高度人材中心の移民」というのは現実的ではないこと、また逆に10万人単位の移民は社会的影響が大きいことが推察される。
そして、移民を大量に呼び込むには、日本人が移民をともに社会に参加して制度を支える存在としてとらえることが必要になる。
これは今の生活保護受給者への批判の在り様などを見ても相当ハードルが高そうである。



人をうらましがったり目標を見つけるための本ではなく、「人のふり見て我がふり直せ」の本といえよう。




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橘川武郎『日本のエネルギー問題』

2014-12-28 | 乱読日記
総合資源エネルギー調査会基本問題委員会の委員でもある著者が、そこでの議論やデータを紹介しながら「リアルでポジティブな原発のたたみ方」を説いている。

「リアルでポジティブな原発のたたみ方」とは、
・原発議論はややもすると「賛成」「反対」の二項対立になりがちだが、脱原発を実行するにもその「出口戦略」が必要
・一方で使用済み核燃料の問題の根本的な解決は困難であり、原子力発電を永久的に続けることはできない
・したがって脱原発にあたってはリアル(現実的)でポジティブ(積極的・建設的)な対案を示す必要がある
・原発依存度を下げるには、大体の電源の確保や省エネの一層の推進などが必要で、原発依存度はそれらの「引き算」でしか実現できない時間軸のある問題で、それらを総合的に議論する必要がある

という主張。

本書でも「こうすれば解決できる」という妙案があるわけではない。
しかし、どういう要素を考慮しながらそれぞれを前に進めていくことが必要か、ということについてデータに基づいた至極真っ当な議論がなされているので、原発問題を語るうえではぜひ参考にすべき本だと思う。
(本書は2013年11月の刊行だが、それ以降原発については再稼働問題が注目を浴びていて、そもそもどうするかという将来に向けての議論が「重要なベース電源」以上には一向に深まっていないところも気になる)




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窪美澄『アニバーサリー』

2014-12-28 | 乱読日記
作者の作品は初読。
最近ミステリや時代小説以外では女性の作家のほうが元気がいいのではないか。


戦前生まれでマタニティスイミングの講師である主人公の人生とその教え子の人生が震災を機に交錯する。
二人の人生についての長い叙述が、女性の生き方・職業観の変遷、親子の問題、について考えさせ、次の世代につなぐことのエンディングにつながっていく。

エンディングは途中の重苦しさのカタルシスとなってはいるが、読後には次代への課題を想起させる。

性別や世代によって受け止められ方が違う小説でもあると思う。



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『やってのける』

2014-12-28 | 乱読日記

めったに自己啓発本は買わないのだが、「意志力を使わずに自分を動かす」という副題に騙されて買ってしまった。

アメリカのこの手の本のお約束で各章の最後にポイントが5,6項目にまとめられているのだが、13も章があるのでポイントが70~80になる。
一個一個はもっともなんだろうが(それに心理学的に実証されてもいるらしい)、そりゃぜんぶできればうまくいくだろうけどそれには大変な意志力がいる。

せめてと思い「少ない自制心でも動ける四つの方法」というのを読む。

① 初めから手を出さない(いったん始めた行動をやめるのには自制心がいる)
② 「なぜ」という理由を考える
③ 自制心が多く求められる目標を同時に二つ以上設定しない
④ 報酬・目標設定をする

これだけでも相当の自制心が必要だと思う時点で、私はこの本を読むレベルに達していない。

しかも

最近の研究では、わたしたちには自分が衝動を抑えられると過信する傾向があることがわかっています。

だそうだ。

どうすればいいというのだ。


 

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『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出 』

2014-12-28 | 乱読日記
積読から掘り出したもの。

3月11日に常磐線に乗っていて東日本大震災に被災した著者の地元の人とともに避難した数日間と何度か再訪した後日談。

鮮度優先で出版された感はあるいが、突然起きた事象に対し、情報がない中でどう判断し、どう行動したか、そして被災後の放射線問題をどううけとめるか、の当事者の側からの記録として。



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